第4章 被告の主張する新規利水開発以外の目的の検討

第1 流水の正常な機能の維持

第2 洪水調節

第3 発電

第4 自然環境の破壊、特に大型猛禽類への悪影響

第5 まとめ

第1 流水の正常な機能の維持
1 被告の主張
 被告は、徳山ダムの目的の1つとして「流水の正常な機能の維持」を上げているが、その具体的内容は次のように説明されている(被告第1準備書面p46、乙115p2「徳山ダムの公益性について」)。
@不特定補給
  貯水池容量配分:洪水期58,000千m3、非洪水期107,000千m3
  揖斐川における確保流量:岡島地点10m3/秒、万石地点17m3/秒
A渇水対策
  貯水池容量配分:洪水期・非洪水期ともに53,000千m3
 このうち、A渇水対策は、1993年のフルプラン一部変更により、名古屋市の水道用水に割り当てられていた開発水3m3/秒分を返上したことによって付け加えられた目的である。これは、「木曽川水系における異常渇水時に緊急水を補給する」ものとされているので、木曽川水系において「渇水」がどのように発生するのか、そのメカニズムを検討する必要がある。結論から言えば、木曽川水系で「渇水」を生じているのは牧尾ダムと岩屋ダムを水源とする地域、すなわち愛知県と名古屋市であり(乙115p20「近年の渇水における木曽川水系の取水制限の状況」、乙104)、これは木曽川における渇水調整(既得水利権との調整と河川維持流量の一時的変更)によって解決が可能であり、徳山ダムすなわち揖斐川からの水の補給は不要である。
 他方、@不特定補給は、揖斐川における確保流量の問題であるので、揖斐川を水源とする既得水利権(農業用水)および揖斐川の河川維持流量が検討されなければならない。結論から言えば、投下する費用に比して得られる利益は僅少であって、徳山ダムを建設して対処する必要性は全くない。
 まず、A渇水対策から詳述する。

2 渇水対策
 1) 「渇水」の意味
  イ) 被告による「渇水」のとらえ方
 被告や水公団は、どのような事実を「渇水」というのか、その定義をあいまいにして議論を展開している。そこでまず、議論の出発点である 「渇水」の意味を明らかにしておく必要がある。

 乙115p20「近年の渇水における木曽川水系の取水制限の状況」では、木曽川水系の1973(昭和48)年から1996(平成8)年までの取水制限の状況が示されている。この取水制限の内容は、木曽川水系のダム依存水利権(最大取水量として許可)の取水制限であるので、被告等のいう「渇水」とは、ダム依存水利権の取水量(最大取水量)の制限、それも制限率を問わない取水制限を指しているかのようである。
 この点、門松証人調書(第13回)p24の13行目以下では、次のように述べられている。
 「渇水の定義でございますが、水資源開発施設であるダムの幾つかございますが、そのうち一つでも空っぽになったときに、節水せずに使った場合に空っぽになるような状態を渇水というふうにいっておりますが、渇水まで至らないでも取水制限とか節水をしているというような状況までいれますと、毎年のように起こっているということでございます。」
 すなわち、「節水をしないで水使用を続けてダムの貯水量がゼロになった状態」が「渇水」なのである(敷衍すれば、「現行の水資源計画を超えた渇水事態が発生し、通常の管理計画では対処できなくなる渇水」である)。しかし他方で、取水制限や節水まで含めて渇水と説明しようとしている。「渇水」の定義をあいまいにするものである。
 したがってここでは、被告等のいう単なる取水制限は「渇水」ではないということを確認しておく必要がある。すなわち、取水制限は最大取水量(乙104)に対するものである。現実には、最大取水量と日平均給水量との間にかなりの開きがあるので、工業用水道や上水道は施設として配水池や調整池を持っていて、最大取水量で取水できるときに貯水しておき、取水制限が直ちに水使用に影響を与えないような工夫もなされている。したがって、取水制限が行われても水使用に不都合を生ずるようなことはない(なお、乙169「ダム開発水の内訳イメージ(例:木曽川用水)」は、取水制限は最大取水量に対して行われるのでないことを説明しているかのようであるが、これは水公団の施設に取水量の申込みを行う場合のものであって、自ら取水施設を有している場合には当てはまらないことに注意する必要がある)。
 給水制限に結びつかない単なる取水制限は、「渇水」ではない。「渇水対策」という場合の「渇水」は厳密な意味での渇水に他ならない。
  ロ) ダム依存水利権で起こる「渇水」
 水利権とは河川の流水を占用する権利、つまり河川から取水する権利であるが、河川の自然流(自流)がある限り取水できる水利権(自流水利権)と、河川が基準流量を下回ると自流取水ができず、ダム放流をして取水しなければならない水利権(ダム依存水利権)に分かれる。したがって、ダム依存水利権といっても、ダムから直接取水するのではないし、また、ダムの貯水だけを使うのでもない。河川の表流水を取水するのであって、基準流量を下回るときにダムからの放流によって表流水の補給がなされるのである。
 「自流水利権」は第二次大戦前からある既存水利権で、慣行水利権やそれに由来する農業団体の水利権、名古屋市水道の水利権が代表例である。
「ダム依存水利権」は第二次大戦後に許可(特許)を得た都市用水(水道用水と工業用水)および農業用水のための新規水利権で、既存の水利権の自流使用に影響を与えない範囲でしか自流取水ができず(基準流量が設定される)、基準流量を下回るときは取水できない。そのため、ダムを建設して自流が基準流量を超えている時に貯水し、基準流量を下回った時は、ダムからの放流水(補給水)によって取水しなければならない。
 河川から水がなくなれば、誰も取水することはできない。自流水利権は、河川から水がなくならない限り、取水することのできる権利である。しかし、河川に水があっても基準流量を下回っていれば、ダムの貯水量がゼロで放流水がなくなれば、ダム依存水利権は取水することができなくなる(河川の水は流域全体から涵養されてくるので、ダムの貯水量がゼロになっても河川に水は流れている)。これがいわれるところの「渇水」、つまり異常渇水である。
 したがって、「渇水」が問題になるのはダム依存水利権についてである。つまり、「渇水」とは、河川から水がなくなること一般を指すのではない。河川から取水する権利がなくなることである。
  ハ) ダム操作上予定された取水制限
 ダム湖の貯水は降水という自然現象に影響される。降水は、年ごとに年間降水量が違うし、一年のうちの降水量の時期的な変動も年によって異なる。ダム湖の貯水量は、このような降水量の変動に影響を受ける。
 したがって、ダム操作では、ダム湖の貯水率の低下が通常年よりも大きいときは、早期から、計画的に、ダム依存水利権の取水制限を段階的に行う(甲71p86の「渇水対策線」による予防措置である。なお、乙169もこのような予防措置の一つと理解される)。このようなときのために、工業用水道や上水道の施設として配水池や調整池があり、自流取水できる時に取水された水が貯水されている。通常は、段階的な取水制限を行っているうちに(その対策として調整池等がある)、降水あるいは自流水利権の使用(灌漑使用)の減少による流量の増加によって、ダム貯水率が回復して、取水制限は解除される。このような取水制限は、渇水ではなく、渇水にならないための予防的措置であって、自然の予測不確実性による水資源の計画的管理の問題である。
 ダム湖の貯水量の通常年とは異なった減少は、降水という自然現象に左右されるダム貯水とダム依存水利権に不可避なものであって、これに対応するための取水制限は、ダム操作とダム依存水利権では予定されていることである。これは渇水ではなく、ダム操作上予定された取水制限である。
 1973(昭和48)年以降、ダム湖の貯水率がゼロになったのは、牧尾ダムで1984(昭和59)年度、1986(昭和61)年、1994(平成6年)度の3回、岩屋ダム(1977年度から供用開始)で1994(平成6)年度の1回である。その他の年は、貯水率はゼロになっていない。ダム湖の貯水率がゼロになってダム依存水利権の水利利用ができなくなる本当の渇水は、牧尾ダムでは29年間で3回(10年に1回)、岩屋ダムでは25年間で1回に過ぎない。
  ニ) 計画規模を超えた渇水と渇水調整
 ダム建設による水資源開発、つまりダムの新規利水貯水容量は、どんな年の降水量に対しても所定開発水量の取水利用ができるように計画されてはいない。おおよそ10年に1回程度の頻度の少降雨に対応することを計画規模としている。
 そのため、過去の数十年の降水記録からこの規模に相当する計画対象年を選び出して、その年の降水を対象として貯水容量を定めている(利水基準年)。木曽川水系のダムの計画対象年は、岩屋ダムと阿木川ダムは1951(昭和26)年であり、味噌川ダムは1949(昭和24)年である(乙115p19「木曽川水系年降水量」)。
 つまり、計画対象年の降雨に対して対応できるように計画されているのであって、いかなる年代においても10年に1回程度の頻度の規模の少降雨に対応するようには計画されていないのである。年降雨量の長期的変動により、計画対象年を下回る降雨量の年が10年に1回程度以下の頻度で出現するようになっても、それは、計画対象年を変更して、開発水量を減少させる計画変更がない限り、計画規模を超えた渇水であることには変わりがない。
 降水量がこの計画対象年である利水基準年の降水量を下回る時は、計画規模を超えたものであって、当該ダムの対応限界を超えており計画対象外である。
 したがって、計画対象年の降水量を下回るような時は、自流水利権や河川維持流量との渇水調整(河川法53条、53条の2などによる)が必要となる。木曽川は、後記のように、余剰のある豊富な農業団体の自流水利権と河川維持流量があるので、これらとダム依存水利権者とが渇水調整を行うことによって、ダム依存水利権者の水利利用を可能にできる。
  ホ) 小括
 「渇水」とは、水の利用に制約を受けるあらゆる場合をいうのではない。すなわち、ダム依存水利権における問題であり、しかも単なる取水制限は「渇水」ではない。また、計画規模を超えた渇水は、ダムによる対応限界を超えているので、渇水調整を可能にする。「渇水」は厳密にとらえられる必要がある。
 2) 「渇水」の人為的要因(基準流量の設定)
  イ) はじめに
 近年、「渇水が頻発している」といわれているが、木曽川の水が枯れるというような事態は生じたことがない。木曽川に豊かな流れが絶えたことはない。渇水は、小降雨という自然条件を前提とするが、「基準流量」という人為的な要因によって引き起こされているのである。以下、そのメカニズムを詳述する。
  ロ) 基準流量
 上述したように、「渇水」が問題になるのは、ダム依存水利権についてである。ダム依存水利権は新規の水利権で、既存水利権の自流使用に影響を与えない範囲でしか自流取水ができず(このため「基準流量」が設定される)、基準流量を下回る時は、ダムから補給水を放流して取水しなければならない。基準流量は、既存水利権の水量確保のための「水利権流量(水利流量)」と河川や河口域の環境維持を目的とする「河川維持流量」を含めたものである(河川法施行令10条2号。乙116p25は両者を併せて「正常流量」と言っている)。
 木曽川水系では、@今渡地点100m3/秒、A馬飼地点50m3/秒(以上木曽川)、B兼山地点200m3/秒(5月1日〜10月3日、木曽川本流)、C上麻生地点155m3/秒(4月1日〜9月30日、飛騨川)の基準流量が設定されている。他方、木曽川水系には、新規利水のためのダムとして、木曽川本流に牧尾ダム、味噌川ダム、阿木川ダム、支流飛騨川(その支流馬瀬川)に岩屋ダムがある(甲45)。このうちC上麻生地点は飛騨川にあり、岐阜地域のみにかかるので、ここで問題にすべき基準流量は@ABである。
 上記の基準流量のうち、@今渡地点(今渡ダム下流)100m3/秒は、木曽川水系工事実施計画では流水の正常な機能を維持する流量になっている。これは、木曽川で最も古い基準流量であり、上流ダムの貯水に対して下流の既存水利権の流量を確保するため設定されたもので、今渡地点で100m3/秒を下回る時は、上流ダムでは流水貯留ができない。ダムの貯留制限流量である。今渡地点の上流の牧尾、阿木川(以上愛知用水の水源)、味噌川(名古屋市の水道用水と愛知用水の水源)、岩屋(名古屋市の水道用水と尾張の水道、工業用水の水源)の各ダムが制約を受ける。
 A馬飼地点(馬飼頭首工下流)50m3/秒は、馬飼頭首工(木曽川大堰)の下流には今では自流水利権者はなく、もっぱら河川維持流量の確保の目的となっている。馬飼地点50m3/秒の基準流量は、新規利水の自流取水制限流量であり、この流量を下回る時は、新規水利権者は自流の取水ができず、必要な取水量は水源ダムから放流される補給水によらなければならない(必要な取水量をダムから補給するのであって、自流に50m3/秒の流量を確保する義務までは負わない。後述の「確保流量」と異なる)。他方、新規利水制限流量であるから既存水利権者(前記1)ロ))は制約を受けず、この基準流量を下回っていても自流取水ができる。この基準流量の制約を受けるのは、愛知県側関係では、馬飼地点の上流の兼山・犬山から取水する愛知用水の水道・工業・農業用水(水源は牧尾、味噌川、阿木川の各ダム)、尾西・馬飼から取水する尾張の水道・工業用水(水源は岩屋ダム)、犬山・尾西から取水する名古屋市の水道用水のダム依存分(水源は岩屋、味噌川の各ダム)である。
 B兼山地点(兼山取水口下流)200m3/秒は、もとは、愛知用水兼山取水口の下流の兼山、今渡の関西電力の発電ダムの水利権と既得農業用水の水利権の流量確保のために設定されたものであるが、下流の既得農業水利権が犬山頭首工と馬飼頭首工での合口取水によって安定的に取水できるようになったので、今では発電用水利権量確保のための基準流量になっている。この基準流量は、新規利水の自流取水制限流量であり、この流量を下回る時は、新規水利権者は自流の取水ができず、必要な取水量は水源ダムから放流される補給水によらなければならない。この基準流量の制約を受けるのは、兼山から取水する愛知用水である。
 上記の基準流量の一つでも下回っていれば、新規水利権者はダムの貯水ができない。すなわち、ダム貯留制限流量(今渡地点基準流量)を満たしていなければ、自流取水制限流量(馬飼、兼山地点基準流量)を上回っていても、新規水利権者はダムの貯水ができない。他方、ダム貯留制限流量(今渡地点基準流量)を上回っていても、自流取水制限流量(馬飼、兼山地点基準流量)を下回っていれば、自流取水ができずにダム放流しなければならない。そのためダムの貯水量は低下していく。
 そして、基準流量が大きく厳しいときは、ダム貯水が容易にできないため、ダムの貯水率が低下しやすい。上記の基準流量のなかでも、愛知用水のみにかかる兼山地点200m3/秒は厳しい。そのため、愛知用水の水源ダム、特に牧尾ダムは貯水率が低下しやすく(阿木川ダム、味噌川ダムが完成する前はその傾向が強かった)、取水制限の回数も貯水率ゼロの回数も多い(乙115p20参照)。
 注:ダム貯留制限流量と自流取水制限流量との違いは、基準地点に取水口があるかどうかによる名称の違いである。いずれにしてもダムの貯留を制限するもので、自流が基準流量を下回るときには利水者はダムからの補給を余儀なくされるが、それ以上のものではない。他方、確保流量(揖斐川の岡島・万石各地点、他に利根川の栗橋地点)は、文字どおり基準地点における流量を確保するものであって、水利権流量だけでなく、自流が基準流量から不足している流量分についてもダムから補給がなされる。このために、大量の不特定補給容量が必要になる。したがって、被告等が「木曽川水系には不特定補給容量が確保されていないので渇水に陥りやすい」などというのは、基準流量の内容を無視した誤った主張である。
  ハ) 基準流量の内容
 次に、基準流量を構成する「水利権流量」と「河川維持流量」について、その具体的内容について検討する。
a) 水利権流量(必要以上の農業用水量)
 木曽川での基準流量(特に今渡地点100m3/秒)を構成する水利権流量の自流水利権は、その殆どは農業用水で、愛知県側では犬山頭首工・濃尾用水44.54m3/秒(既得水利権量54.5m3/秒が合口により減量)、馬飼頭首工・木曽川用水(濃尾第二地区)20.44m3/秒の合計64.94m3/秒、岐阜県側(馬飼頭首工)6.52m3/秒、三重県側(馬飼頭首工)5.19m3/秒(既得水利権量33.63m3/秒が合口取水により減量)の合計76.25m3/秒である。その他に、名古屋市水道用水の7.56m3/秒がある。総合計で83.81m3/秒である(甲71p95の第1表参照)。
 これによれば、農業用水、それも愛知県側の農業用水の水量が非常に多いのがわかる。愛知用水と木曽川総合用水の愛知県営工業用水道の水利権量は合計しても17.71m3/秒、名古屋市水道と愛知県営水道の水利権量は合計しても23.885m3/秒であり、愛知県側農業用水はこれらの3.7倍と3.2倍ある。
 ところが、減反と宅地等への転用で、合口取水のための頭首工が計画された昭和30年代に比べて、水田面積が大幅に減少しており、農業用水の実際の必要量は大幅に減少しているのが現実である。特に、都市化の激しい愛知県側の犬山頭首工関係ではその程度が大きい(例えば、木津用水土地改良区では水田面積が、1977(昭和52)年ですでに3,208haと、1955(昭和30)年の5,600haに比べて約60%になってきている)。
 水利権流量である自流水利権をもつ農業用水は、水田面積の減少によって実際の取水必要量が権利としてもつ水利権量(最大取水量)よりも大幅に減少しているのである。農業団体側は、先祖から営々と私財を投じて構築してきた慣行水利権(既得水利権で私権である)が、建設省(現国土交通省)の許可水利権論によって、必要水量の減少を理由として、一方的に、それも無補償で消滅させられるのをおそれており、このことを表立って言わないだけである(建設省が農業団体に敬意を払って、慣行水利権を尊重する解釈と行動をとれば、農業用水水利権の建前と実際が乖離している不自然な状態は大きく変わるのである。中西準子・甲46)。
 実際は使用されない水利量があっても、権利上の水利権量が基準流量になっているため、この流量を維持しなければならず、そのためダムに貯水ができないダム操作規程になっているのである。その結果、ダム貯水量が減少していく。必要以上の農業用水水利量が水利権流量になっているため、上流ダムの貯水量が減少していくのである。
b) 過大な河川維持流量
 馬飼地点50m3/秒は、基準流量のもう一つを構成する河川維持流量である。
 この河川維持流量は、木曽川の下流部の水質確保のためとされている。水質とは、河川流量によって確保しようとする下流部の水質であるから、塩分濃度である。したがって、水量は、常時50m3/秒以上であることを要しないものと考えられるとされている(農林省農地局「昭和38年度木曽川水系地区における調査実施方針」)。
 下流部の河川維持流量、特に馬飼頭首工下流の維持流量50m3/秒は、木曽川程度の規模の他の河川と比べて、かなり大きい流量である。木曽川より流域面積のはるかに大きい利根川では(基準地点の栗橋までの流域面積8588km2は木曽川の基準地点・犬山までの流域面積4684km2の約1.8倍)、以前の河川維持流量は50m3/秒であったが、利根川河口堰の建設によって、堰下流部では30m3/秒に変更され、その差の20m3/秒は堰上流から取水する水道用水と工業用水の新規都市用水に転用された。利根川は木曽川に比べて流域面積が2倍近くあるのに、堰(頭首工)下流の維持流量は30m3/秒、60%なのである。木曽川の馬飼地点の維持流量50m3/秒がいかに大きい流量であるかが分かる。
 また、揖斐川における万石地点下流の河川維持流量は約10m3/秒と理解されるが(乙115p15によれば、万石地点下流の既得用水の水利権合計は7.4m3/秒である)、実にその5倍の流量である。
馬飼地点の基準流量50m3/秒は、その上流の全ての新規水利権の自流取水を制約しており、この流量を下回るときは、新規水利権者は自流取水ができず、必要量はダム放流水で補給しなければならない。そのため、上流ダムはダム貯水量が減少していくことになる。馬飼地点の過大な河川維持流量のため、上流ダムの貯水量が減少していくのである(甲44)。
  ニ)人為的に起こる渇水
 以上のように、木曽川の牧尾・味噌川・阿木川ダム(愛知用水)や岩屋ダム(木曽川総合用水)の貯水量が減少していき、貯水率がゼロになるのは、降水量という自然条件を前提とするが、具体的には基準流量によるダムの貯水の制約によるのである。基準流量という人為的なものが渇水の要因の一つなのである。
これを裏返せば、木曽川は自流が豊富な結果、@必要以上の農業用水とA過大な河川維持流量が存在し、この2つを調整利用することによって、渇水は容易に回避することができるのである。
 被告等は渇水に関して、自然条件について述べてはいるが、ダム貯水を制約し、貯水の枯渇要因となっている木曽川の基準流量については述べていない。基準流量を検討することは、渇水時の対応方法、すなわち渇水対策を考えるうえで必要不可欠である。そこで、次に渇水調整について検討する。
 3) 異常渇水への対応(自流による渇水調整)
  イ) 「利水基準年」による計画
 新規利水のための水資源開発(ダム建設など)は、おおよそ10年に1回程度の頻度の少降水量には対応することを計画規模としている(利水基準年)。そのため、過去の数十年の降水記録からこの規模に相当する計画対象年を選び出して、その年の降水を対象としてダム貯水容量を定めている。前述したように、木曽川水系のダムは、昭和40年代以前の20年間程度の期間のなかから、計画対象年を選び出しており、岩屋ダムと阿木川ダムは1951(昭和26)年であり、味噌川ダムは1949(昭和24)年である(乙115p19)。
 ところが、最近の20年間は、昭和40年代以前に比べて降水量の少ない年が多くなっている。そのため、最近は、計画対象とした年の降水量が、10年に1回の頻度でなくなっている。
 しかし、この少降水現象を受けて、新規利水に対するダム開発供給水量を10年に1回の規模の年の降水量に対応する水量(例えば、乙116p28、図8。それによれば、木曽川水系全体で53m3/秒と試算している)に縮小することは行われていない。その動きすらない。新規利水のダム開発供給水量は計画のままである。したがって、ダムの計画対象年は計画から変わっていないのである。
計画規模を超えているかどうかは、最近の20年間で10年に1回の少降水であるかどうかではなく、開発供給水量を求めた計画基準年の降水規模を下回っているかどうかである。乙116p27でも、「利水安全度10分の1」とは、どの年代でも10年に1回ではなく、過去の一定年間「の降雨や流量のデータを基に、概ね10年に1回程度発生すると想定される規模の渇水の年(利水基準年)においても必要水量を安定的に供給できる」ことと説明されている。
 したがって、降水量がこの計画対象年(利水基準年)の降水規模を下回るときは、計画規模を超えており、当該ダムの対応限界を超えた計画対象外のものである。このような場合には、次に述べる「渇水調整」で対応することになる(被告等は新規ダム開発によって対応しようとするのであるが、それが経済面、環境面から問題があることにつき、伊藤達也「渇水対策の選択肢」甲70p5以下)。
  ロ) 自流による渇水調整
 計画対象年の降水を下回るような時は、自流水利権や河川維持流量との渇水調整(河川法53条、53条の2などによる)が必要に応じて行われる。
木曽川は、上述したように、余剰のある豊富な@農業団体の自流水利権とA河川維持流量があるので、これらとダム依存水利権者とが渇水調整を行うことによって、ダム依存水利権者の水利利用を可能にできる(甲70、甲46、甲47)。すなわち、農業用水から都市用水への一時的転用であり、河川維持流量の一時的切り下げである(なお、転用がなされた場合には正当な補償がなされるべきことにつき、甲47参照)。
 ダム建設よりもこのような渇水調整の方が容易かつ低廉であることは明らかである。徳山ダムの渇水対策容量は無用のものである。
  ハ) 過去の事例
 被告等は、「近年は、少雨化傾向等によりほとんど毎年のように渇水が生じており、市民生活、経済・社会活動に著しい被害を与えるようになってきました」と主張する(乙116p23、p28など)。しかし、自然現象だけによって、本当にそのような事態が生じているのか、冷静に検討される必要がある。そこで、これまでに異常渇水と言われた年について、とられた対応なども含めて検討する。これは、徳山ダムを建設して渇水対策を行う必要があるのかを過去の事実にもとづいて検証するものである。
   a) 1986(昭和61)年度
 1986(昭和61)年9月3日から1987(昭和62)年1月19日で取水制限が行われている(乙115p20)。その原因は、8月〜12月の降水量が少なかったためである。この期間は、通常年では台風期であり、非灌漑期であることもあり、河川流量が多く、ダム貯水ができる時期である。しかし、同年8月〜10月の降水量は、名古屋137mm、牧尾ダム272mm、岩屋ダム284mmと、明治24年以降(ダム建設以降)、最少であった。計画規模を越えた異常渇水で災害というべきものである。
対策として、11月20日から、馬飼地点の基準流量が50m3/秒から40m3/秒に緩和され、牧尾ダム、岩屋ダムに依存する新規都市用水は、10m3/秒の自流取水が可能となり、水道用水は20%の取水制限に収められた。10m3/秒は約86万m3/日であり、名古屋市の日平均給水量に相当する水量である。
 渇水対策として、基準流量(河川維持流量)を切り下げて自流取水を可能にした意味は大きい(甲71plO3)。馬飼地点50m3/秒が絶対の数字ではないことを示している。
   b) 1994(平成6)年度
 1994(平成6)年渇水は、まさしく異常渇水であって、計画規模を大きく超えた災害である。このような異常渇水に対しても、木曽川の基準流量を前提として、新規利水者にはダム補給水で対応しようとするのは、過大なダム建設、したがって過大な費用、過大な環境破壊が必要であり、誤りである。水資源開発計画も、上述したように概ね10年に1回を計画規模として計画対象年(利水基準年)を定めて、その年の降水に対応するように計画を定めている。
 したがって、このような場合には、ダム貯水の前提となっている基準流量の変更と自流利用による調整を考えるべきである(甲70p5〜9、甲46、甲47)。
ところで、乙142「平成6年渇水における岩屋ダム貯水率と木曽川成戸地点の河川流量について」では、8月上旬から9月中旬まで岩屋ダムの貯水率が0%となり、馬飼地点も50m3/秒を切っていたことが示されているが、他方、今渡地点では100m3/秒前後の流量が確保されていた(甲72p24図2)。このことは、今渡100m3/秒を切り下げ、早期の対応策をとっていれば岩屋ダムの貯水率が0%となることはなかったことを、むしろ示しているといえる。
 この点、愛知用水系の市町で8月17日から行われた時間断水は、行政の対応の遅れが原因である。9月1日より水道用水の取水制限率が33%に緩和され、時間断水が解除されたが、これは農業用水から自流取水量合計25m3/秒の提供があったからである。したがって、早期に自流取水の農業用水との間で自流取水量を調整し基準流量を切り下げておけば、時間断水は回避できたのである(甲72p29、甲46、甲47)。
 なお、1994(平成6)年は地下水位の低下が大きく、地盤沈下は、沈下量が大きく沈下域も広範囲であったため、これをもって渇水対策(地下水揚水量の削減)の根拠とされているが、濃尾平野地盤沈下対策要綱規制域での地下水揚水量は、前年の1993(平成5)年よりも減少していることが指摘されなければならない(甲36p37〜38)。地下水位の低下を大きくした「渇水」は、[「渇水」→工業用水道給水量の減少→事業所の地下水利用量の増加→地下水位の低下]のパターンではないのである。「渇水」の原因となった降水量自体が少なかったため、地下に浸透して地下水になる地下水涵養量が少なかったためである(沈下した層が第一帯水層であることからも明らかである。揚水はもっと深い層からもなされる)。降水量が少ないという自然現象が原因なのである。現在では地下水位は回復している。
   c) 1995(平成7)年度
 1995(平成7)年8月22日〜1996(平成8)年3月18日で取水制限が行われている(乙115p20)。
 甲74図7は、1995(平成7)年8月〜1996(平成8)年2月までの木曽川の基準流量地点である今渡地点と馬飼地点の流量である。馬飼地点では、基準流量の50m3/秒程度になったのは、8月中下旬、12月中旬〜1月中旬である。
 今渡地点では、10月中旬以降、短期間を除き基準流量かそれ以下である(50m3/秒は上回っている)。馬飼地点の基準流量を40m3/秒に、今渡地点の基準流量を10月中旬以降は50m3/秒近くまで切り下げていれば(10月中旬以降は自流取水の農業用水の使用がなくなるので、基準流量の切り下げは農業用水に影響を与えない)、ダム依存水利権者は自流取水とダムの貯水ができ、取水制限の回避、少なくとも大幅な取水制限は回避できた(甲74p2)。
   d) 2000(平成12)年度
 取水制限は主として愛知用水の水源である牧尾ダムで行われた。
 同じ愛知用水の水源である味噌川ダム、阿木川ダムについて、「有効利用」や「総合運用」が行われて、愛知用水としての取水制限率は工業用水で25%、水道用水で10%になった。
 つまり、阿木川ダムと味噌川ダムの完成により、それらと同じ愛知用水の水源である牧尾ダムと総合した運用が可能になって、それまで渇水になりやすかった愛知用水は、渇水回避が容易になったのである。牧尾ダムと阿木川ダム、味噌川ダムとの総合運用は、愛知用水の渇水回避に大変有効であり、阿木川ダムと味噌川ダムによって、愛知用水としては渇水対策の備えができたといえる。
  ニ) 小括
 上記の過去の「渇水」から分かったことは、異常渇水である1994(平成6)年を除いて、渇水被害というべきものは無かったということである。
 すなわち、木曽川では、渇水や渇水の恐れに対しては、基準流量の一時的変更と自流利用による渇水調整で対応が可能であり、それが有効であるということである。自流が豊富な木曽川では、自流利用や河川維持流量を調整してダム貯水量が低下するのを防止することと、自流自体を調整利用することが可能なのである。
 また、味噌川ダム、阿木川ダムと牧尾ダム、岩屋ダムとの総合的運用も有効ということである。阿木川ダムと味噌川ダムが完成したので、ダムの総合的運用が可能になったのである。
 今後の渇水対策は以上の方法を考えるべきである(甲70p5〜9、甲46、甲47)。あらゆる異常渇水(例えば、1994年の渇水)に対して、木曽川の基準流量を前提として、新規利水者にはダム補給水で対応しようとするのは、過大なダム建設、したがって過大な環境破壊を招き、費用対効果の点でも見合わない(甲70p5「W異常渇水の選択肢」の項参照)。木曽川では、渇水対策としては、基準流量の一時的変更と自流利用による渇水調整、既存ダムの総合的運用をすることが最も合理的である。
 4) 計画のない揖斐川からの取水・導水
 既設都市用水供給事業は、長良川から取水する北伊勢工業用水2.951m3/秒と 長良川河口堰・長良導水2.86m3/秒を除いて、兼山、犬山、尾西、祖父江(馬飼)など木曽川から取水している。徳山ダムは揖斐川にある。したがって、徳山ダムの渇水対策容量の開発水をこれらの都市用水供給事業が使用するためには、揖斐川への取水堰等の取水施設と、そこから長良川を越えて木曽川の取水施設に至るまでの導水施設の各建設が必要である。しかし、これらの取水施設・導水施設は、現在のところ、建設はもちろん、計画もない。したがって、徳山ダムが建設されても、徳山ダム渇水対策容量の開発水は利用できない。上記の乙115p27における徳山ダム渇水対策容量の取水制限緩和の効果は、計画もない仮想のものである。
 また、徳山ダムの渇水対策容量の開発が、取水施設・導水施設の建設・維持管理費を含めて、費用・効果的に合理的か(後記5)によればその取水制限緩和の効果は全効果の4分の1程度である)が検討されなければならないのは、計画論上当然である。自流水利権や河川維持流量との調整による基準流量の一時的変更と自流利用による渇水対策の費用・効果との比較が必要である。
 5) 過剰な開発水の渇水対策容量への目的外利用
 計画対象年の規模の範囲内の降水量で供給する水(通常の供給水)は、計画対象年の降水量を前提として、計画目標年に発生する水需要を満たすための供給水である。これに対して、計画対象年を超えた規模での降水量のときに供給する水(渇水時供給水)は、計画目標年に発生する水需要を満たすための供給体制を前提として、計画対象年の降水量を下回る渇水のとき、その供給では不足する供給量を補うためのものである。両者は別のものであって、ダムの同じ用途で同時に両方の目的を満たすことはできない(甲74p5、甲47)。つまり、利水容量と渇水対策容量の両方を兼ねるということはありえないのである。
 牧尾・岩屋・阿木川・味噌川の各ダムおよび長良川河口堰は、被告等のいうような利水安全度の低下に対する渇水対策として建設されたのではない。将来発生する新規水需要に対する供給のために建設されたのである。
 ところが、長良川河口堰を除いても、完成済みの上記のダムで供給余剰、特に工業用水は供給過剰であるので、余剰分が本来の目的でない利水安全度の低下に対する対応に転用され、目的外の使用がなされているのが、現在の状態なのである(例えば、味噌川ダム・阿木川ダムは、愛知用水地域の渇水対策用に常に満水状態とされている。これは計画で予測された水需要が発生していないためにできることである)。フルプランや乙115の被告等の予測通りに水需要が発生しておれば、被告等のいう渇水対策はできないのであり、被告等の需要予測が誤っていることが前提なのである。
 そして、余りにも供給過剰であるので、長良川河口堰の開発水は、愛知用水南部系水道用水のための長良導水2.86m3/秒以外に取水・導水施設もなく、利水安全度の低下に対する対応にも用いられていない。
 乙115p27渇水対策容量の効果に関する概略試算結果概念図(木曽川)に、取水制限を20%に緩和する効果として、徳山ダム渇水対策容量(青色)の他に、長良川河口堰・味噌川ダム(白色)が記載されている。しかし、長良川河口堰にも味噌川ダムにも渇水対策容量はない。長良川河口堰には不特定補給容量もない。長良川河口堰の需要のない余剰水(乙116図8によれば、長良川河口堰の1994年渇水での供給可能水量を7m3/秒と試算している)を目的外に転用しているのである。木曽川水系の水余りを前提とした試算である。
 また、取水制限を20%に緩和する効果の寄与の比は、徳山ダム渇水対策容量(青色)と長良川河口堰・味噌川ダム(白色)の面積比とされている。その面積比は図上で概略計算すると、
 (徳山ダム渇水対策容量 1):(長良川河口堰・味噌川ダム 3)
である。徳山ダム渇水対策容量の効果は全体の4分の1であり、長良川河口堰・味噌川ダムの効果の方が圧倒的に大きい。
 被告等は、木曽川水系には渇水対策容量や不特定補給容量が設けられていないことをことさら問題視するが(乙116p30など)、自流が豊富であり、開発水も供給過剰な状態であるために、そのような容量をそもそも必要としないというのが木曽川水系の実態なのである(甲70p11注6参照)。自流に余裕のない他の河川では不特定補給(利水)容量が必要であるといえても、木曽川にはあてはまらないのである。
 6) 被告等のいう「安定供給可能水量の変化」について
 乙116p28および図8の「木曽川水系における安定供給可能水量の変化」によれば、開発水量が92.665m3/秒、近年10分の1渇水時における安定供給可能水量が約53m3/秒、1994(平成6)年渇水時における安定供給可能水量が約29m3/秒と試算されている。
 しかし、この対象はあくまでもダム依存水利権であることに注意する必要がある。@自流取水権(名古屋市水道、農業用水)、およびA地下水(愛知県尾張地域、大垣地域)は含まれていないのである。また、既得水利権量や河川維持流量の確保のための基準流量によって自流取水が制限されて生じた供給可能水量の変化でもある。前述したように、木曽川には豊富な自流があるので、渇水時には、ダム依存水利権の自流取水を制限している余剰のある自流取水権との調整および河川維持流量の一時的変更で、ダム依存水利権の安定供給が可能である。また、地下水利用地域であれば、水利用は河川流量の影響は受けない。ダム依存水利権が、気象と基準流量による自流取水制限によって供給可能水量が減少しても、木曽川水系では安定供給は可能なのである。
 そもそも、この「安定供給可能水量」の算定には問題がある。どのような仮定や算定過程を経て「安定供給可能量」が算定されたか明らかでない。そして、特に、開発水量の大きい岩屋ダムについて、「近年1/10渇水時」も、「H6年渇水時」も、その供給可能水量がより低く算定されている。なぜ、岩屋ダムについてこのように低く見積もられているのか、その理由は明らかではない。岩屋ダムの開発水量は、木曽川総合用水で整理された既得の自流水利権を前提にしているので、本来は自流利用があるはずで自流利用を前提としており、岩屋ダムの安定供給可能水量はもっと大きい。
 したがって、被告のいう「安定供給可能水量の変化」は徳山ダムの渇水対策容量の必要性を根拠づけるものではない。
 7) 渇水対策容量の費用負担(利水者の負担増)
 3〜4年に1回と利水安全度が低下しているので、利水安全度を計画上必要な10年に1回にするために、徳山ダムの渇水対策容量による開発水を用いるというのであれば、それは、既設用水供給事業について計画範囲内の通常供給の追加水源にするということである。利水安全度が低下しており、それを計画上必要な10年に1回という利水安全度にするために、新たに「利水基準年」を設定し直して、この利水基準年での供給量を確保するために、徳山ダムの渇水対策容量の開発水を用いるからである。
 そして、この開発水を利用するには、上記したように揖斐川からの取水施設、そこから長良川を越えて木曽川に至る導水施設の建設が必要である。
 計画上必要な利水安全度にするというのは、利水基準年の計画規模を超えた渇水に対する対策としての流水正常機能の維持(渇水対策)ではなく、都市用水の確保であって、流水を水道や工業用水道の用に供する利用者が特定しているのである。したがって、これらに対する費用負担は、特定の利水者の負担とされるべきであり、費用負担割合(アロケーション)の変更が必要となる。
 以上のことは、愛知用水工業用水道や尾張工業用水道のなどの需要家に直接用水を供給する工業用水道事業に大きな問題を生じさせる。
 既設工業用水道の利水安全度を計画規模にするため、徳山ダムの渇水対策容量を追加水源に用いるとき、それは工業用水道の建設改良であるので、地方公営企業の独立採算義務(地方財政法6条)から、その費用負担金と取水・導水施設の費用を既設工業用水道の料金に加算しなければならない。したがって、既設工業用水道の料金(愛知県営工業用水道では、現状26.50〜30.00円/m3)は値上げ、それも大幅に値上げをしなければならない。
 しかし、「利水安全度を向上させるための建設改良・維持管理費用は、地方公営企業には独立採算義務があるので、料金から回収しなければならない」と、既設工業用水道の利用者企業を説得しても、企業は何よりも生産コストを最重視するので、料金値上げに応じないのは間違いない。逆に、徳山ダムの渇水対策容量の開発が料金値上げをもたらすのであれば、現状の水源、供給体制で十分であるので、渇水対策容量の開発を止めるよう反論されるだけであろう。
 また、料金値上げを強行すれば、契約水量の改訂が行われよう。既設工業用水道利用者企業は節水を一層強化して、既存の支払料金の範囲内に水使用量(新規補給水量)を抑制する。その結果、既設のダム・堰による工業用水は一層、供給過剰になる。
 8) 小括
 以上によって明らかなとおり、木曽川水系においては、「渇水」はダム依存水利権についてのもので、それは、気象を前提としつつも、基準流量の設定という人為的な要因によって発生している。また、木曽川水系のダム開発水は大幅に余剰で水余り状態である。そして、基準流量は豊富な余剰のある既得農業水利権流量や河川維持流量の確保のために設定されているので、これらとの調整によって、ダム依存水利権の「渇水」や実際の水使用への影響は回避可能である。徳山ダムの渇水対策容量は、渇水対策であれば、木曽川水系の渇水影響を回避したり軽減するために役立つことはない。渇水対策でなく利水安全度を計画規模にするためのものであれば、それは需用者に拒絶されるか、工業用水の料金値上げによる一層の供給過剰をもたらすものである。「渇水」のための徳山ダム建設は意味がなく、また有害である。

3 不特定補給
 1) 内容
 徳山ダムには、「不特定補給」として洪水期58,000千m3、非洪水期107,000千m3の貯水池容量配分がなされている。これによって、10年に1回程度発生する規模の渇水時においても、揖斐川において岡島地点10m3/秒、万石地点17m3/秒の流量を確保するとされている。
 ところで、「流水の正常な機能を維持する流量」は「正常流量」といわれ、河川維持流量と水利権流量で構成される(河川法施行令10条2号。乙115p2「徳山ダムの公益性について」の「不特定補給」の「内容」の項においても「揖斐川の既得用水の安定的取水」と「河川環境の維持」という表現で同様の説明がなされている)。乙115p15「揖斐川本川の主な既得用水」によれば、万石地点下流の農業用水の合計量は7.4m3/秒とされている。これ以外の水利権流量はないので、万石地点下流の河川維持流量は9.6m3/秒となる。そこで、農業用水と河川維持流量のために不特定補給容量が必要であるのか検討する。
 2) 水利権流量(農業用水)
  イ) 取水制限
 被告等は、1994(平成6)年渇水において、7月18日から9月19日までの64日間で、農業用水の取水制限率が40〜70%に達したとされていることから(乙15p25)、徳山ダムの必要性を主張している。
 しかし、この取水制限を受けたのは、横山ダム係りの農業用水であり〔乙115p26「渇水対策容量の効果に関する概略試算結果概念図(揖斐川)」の注1)参照〕、具体的には岡島取水口で取水する西濃用水である。万石地点下流の農業用水での取水制限率を示すものではない。
 ところで、揖斐川においては、岡島取水口で西濃用水(右岸)14m3/秒、西濃用水(左岸)9m3/秒が取水される。このため、岡島〜万石間は表流水が少ない。1994年渇水の写真(乙15p21)はこの間の、しかも根尾川の合流前のものである。「万石地点流量がゼロに」という事態も、上記のような事情が影響している。しかし、西濃用水で取水された表流水は万石地点下流で揖斐川に戻り、揖斐川の表流水は復活している。しかも、万石地点下流では牧田川、津屋川などからの合流もあり、福束用水、長良川用水他には取水制限などの影響はなかったのである。
  ロ) 農業被害の有無
 農業用水の取水制限で問題となるのは、農業被害の発生の有無である。仮に、取水制限が行われても農業被害が発生しなかったのであれば、取水制限だけを取り上げて問題視しても意味のないことである。被告は、取水制限率を問題にはしているが、農業被害の具体的な金額などには一切触れていない。上記「渇水対策容量の効果に関する概略試算結果概念図(揖斐川)」には「里芋、キュウリ、ナスなどの野菜に枯死などの被害(大垣市)」という説明もあるが、定量的なデータは一切示されていない。
 1994(平成6)年の大渇水における揖斐川の取水制限の期間は7月18日から9月19日までである。この期間の大部分は灌漑期ではあるが、代かき期のように最大量を必要としない期間である。むしろ、このような水期間であるので、大幅な取水制限ができたとみられなくもない。
 いずれにしても、農業被害を抜きに取水制限だけを取り上げても意味のないことである。
  ハ) 費用対効果
 被告によれば、「洪水対策」および「流水の正常な機能の維持」の費用負担割合(アロケーション)は1000分の444とされているが(被告第一準備書面p15以下)、さらに「洪水対策」「不特定補給」「渇水対策」ごとの割り振りは明らかにされていない。このうち、「渇水対策」は名古屋市3m3/秒の返上に相当するものであるので、費用負担割合は1000分の59である。「洪水対策」と「不特定補給」の割合は、貯水池容量配分に従えば、およそ洪水期が2対1、非洪水期が1対1であるので、洪水期が257対128、非洪水期が192.5対192.5となる。事業費を1985年単価の2540億円とすれば、「不特定補給」の負担は約325億円から約489億円となる。このような巨費を投じてまでも対処しなければならない被害が生ずるのかが問題である。
 ここで問題とされるのは農業用水である。上述したように、1994年の大渇水においても、大垣地域において農業被害が発生したとの報告はない。ましてや、万石地点下流の福束用水、長良川用水においては、取水制限さえも受けていない。投下する費用に対して、得られる効果は全く見合わないのである。
 3) 河川維持流量
 万石地点下流の河川維持流量は9.4m3/秒であるので、岡島地点より下流は約10m3/秒が揖斐川における河川維持流量と考えられる。
 河川維持流量として考慮すべき事項について、河川法施行令10条2号は、「舟運、漁業、観光、流水の清潔の保持、塩害の防止、河口の閉塞の防止、河川管理施設の保護、地下水位の維持等」を挙げている。
 ところで、被告から「揖斐川・万石流量について」が示されている(乙115p16)。これは、昭和17年から昭和42年までの26年間における揖斐川の万石地点における流量を示すものであるが、低水流量では10m3/秒を下回った年はない(すなわち1年のうち275日以上は10m3/秒以上が流れていたということである)。渇水流量、最小流量では10m3/秒を下回る年がでてくるが、その期間は10日以下(渇水流量)、1日だけ(最小流量)にすぎない。
 ところで、このデータはダムのない時代のものであって、河川の自然な状態を表しているということが重要である。揖斐川では常に10m3/秒を超える流量があるわけではなく、河川の流量は時季によって大きく変動しているのである。そして、河川の流量が大きく変動しても、河川生態系に与える影響はほとんどないのである。河川に生息する動植物は、そのような変動を前提にしているため、わずかの期間のことであれば、それに対応する能力を十分備えているということである。
 したがって、これへの対処は巨額の費用を投じてまで行うことではない。費用対効果が全く見合っておらず不合理である。
 4) 小括
 以上の通り、揖斐川において、現状において農業被害や環境影響は認められず、農業用水と河川維持流量のために不特定補給容量は必要でなく、また、それは費用対効果があっておらず不合理である。

第2 洪水調節
1  揖斐川の洪水防御計画
 揖斐川の治水は木曽川水系工事実施基本計画(以下、工事実施計画)に基づくが、そのうち、洪水防御計画の内容は次の通りである。
基準点:大垣市万石地点(約40.6q地点)
基本高水ピーク流量・計画高水位:6,300m3/秒・7.09m(零点高:標高5.0m)
計画堤防高:計画高水位+余裕高2.0m(6,300m3/秒規模では、1.5m)
河道流量3,900m3/秒、ダム削減流量2,400m3/秒(横山・1965年完成、徳山)
基本高水ピーク流量決定の方法:
2日間計画降雨量395mm(1/100規模)を過去の洪水の雨量において引伸し、ピーク流量が最大となった1959年9月洪水を対象とする。
2 過大な基本高水のピーク流量の設定
 1) 降雨に基づく基本高水のピーク流量の決定方法
 工事実施計画では、揖斐川の基本高水のピーク流量は計画降雨からいくつかの過程を経て求められている。揖斐川での計画降雨から基本高水とそのピーク流量の求め方は以下の通りである。計画規模を年超過確率1/100と定めて、計画降雨の期間を2日間として、過去の2日間の雨量記録から年超過確率1/100に対応する計画降雨量を求める。その2日間計画降雨量と過去の代表洪水(昭和28年9月、昭和34年8月、昭和34年9月、昭和35年8月、昭和40年9月)での実績2日間降雨量の比で、実績の時間降雨量と地域降雨量を引き伸ばす(引伸ばし率は、上記表4-2-1過去の主な洪水の表の通り)。これ流出解析して河川流量に転換して、各洪水型毎の洪水流量ハイドログラフとそのピーク流量を求める。そのなかから、防御の対象とする基本高水とそのピークを選択する。
 そうすると、検討し、選択した降雨と洪水は、計画降雨での年超過確率1/100をさらに、細分化したものである。その降雨と洪水の年超過確率は、1/100よりも小さくなる。資料数的には、5類型しかないなら、1/100×1/5=1/500である。
 したがって、基本高水のピーク流量が年超過確率1/100の規模を超えて、大きすぎることがある。
 2) 2日間雨量の比による時間降雨量の引伸ばしの問題
 上記のように、計画の対象とする基本高水のピーク流量は、代表洪水時の雨量に、それと計画降雨量との比を乗じて、代表洪水時の雨量を引伸して得た雨量によって算出されている。比較されている降雨の期間は2日間雨量である。
 しかし、洪水防御計画において求めたいのは洪水ピーク流量である。
 乙11の3p24・第7回ダム審補足資料p4と上記表4-2-1過去の主な洪水の表の最大流量欄をみると、揖斐川では、洪水ピーク流量つまり、洪水波形一山は12〜24時間雨量に対応しているようである。洪水一山波形が12〜24時間雨量程度の洪水について2日間雨量が用いられるのは、洪水の原因となる降雨が日界をまたいで2日間に亘って生じることがあるが、雨量資料が日単位で集計されているためである。したがって、2日雨量は比較的少なくても、短時間の雨量が多いと洪水のピーク流量は多くなる。その結果、2日雨量の比で時間雨量を引き伸すと、2日雨量が少なく短時間の雨量が多い場合は、洪水のピーク流量は他の場合に比べてより多くなりやすい。過大な流量になることがあるので注意が必要である。
 昭和34年(1959年)9月洪水は、このような2日雨量は多くないが、短時間に降雨が集中して(12時間程度)、その間の雨量が多かったため流量が多かった場合である。同洪水の時間雨量を2日雨量の比で引伸して求めた流量は、計画規模を超えた過大な流量の可能性がある。
 3) カバー率による適正ピーク流量の選定
 上記のように、2日間計画降雨量を年超過確率1/100から求め、その降雨量と過去の幾つかの洪水での実績降雨量の比で実績の時間と地域の降雨量を引伸ばして、洪水流量を求めると、その降雨型による洪水流量の年超過確率は計画規模である1/100を超えることがある。数類型のなかから、その最大のものを選ぶと1/100を超えることは明らかである。ピーク流量の最も大きい洪水型を選ぶと、ピーク流量が計画規模1/100の年超過確率を大きく超えて、過大な流量となることがある。
 そのため、基本高水の決定は、各洪水類型の解析で得られたピーク流量を、カバー率によって比較検討し、過大な基本高水のピーク流量が選択されないようにしなければならない。例えば、河川砂防技術基準では、カバー率50%以上とするとなっており(乙34の1p16)、過大な基本高水のピーク流量が選択されないようになっている。なお、ここでカバー率とは「ピーク流量のカバー率」であり、門松第1回目調書p12は、「降雨のカバー率」と言っており、間違っている。
 「カバー率」は、ある年超過確率の計画降雨量から求めた洪水ハイドログラフ群(したがってピーク流量群)において、あるピーク流量の当該ピーク流量群における充足率のことである(乙34の1p16)。カバー率50%は中央値であって理論的に最も起こりやすい場合であり、理論的な当該年超過確率(例えば1/100)の流量に相当する。
 揖斐川において検討対象とした各代表洪水型でのピーク流量は以下の通りであった(乙11の3p26・第7回ダム審補足資料p6)。
  昭和28年(1953年)9月  5,000m3/秒
  昭和34年(1959年)8月  4,000m3/秒
  昭和34年(1959年)9月  6,300m3/秒
  昭和35年(1960年)8月  5,300m3/秒
  昭和40年(1965年)9月  5,900m3/秒
 6,300m3/秒は、検討対象とした洪水ハイドログラフ群の最大値で、資料のなかでは、カバー率100%であり、50%を大きく上回っている。カバー率50%の流量は、5,300m3/秒である。
 洪水防御の対象となる基本高水のピーク流量では、6,300m3/秒の年超過確率は防御対象となっている計画規模の年超過確率1/100ではなく、それを大きく上回るものである。
 4) 流量で確率評価すればよい
 結局、河川の洪水防御計画で防御対象として求めたいのは洪水のピーク流量である。
 したがって、年超過確率で防御規模を決定するとしても、過去の洪水での最大流量を年超過確率で評価して、防御対象とする基本高水のピーク流量にすればよい。
 あるいは、理論的な当該計画規模の年超過確率の流量に相当する上記カバー率50%の流量を、防御対象とする基本高水のピーク流量にすればよい。

3 徳山ダムの洪水調節効果は限られている
 1) 徳山ダムによる洪水調節効果は、ピーク低減量の推算によれば(表4-2-1、乙11の4p73・徳山ダム審技術部会資料p20)、1959年9月型では1,600m3/秒、1959年9月型以外は300〜800m3/秒である。1959年9月型は、降雨が揖斐川最上流の徳山村地域に多かった。他の洪水型では、根尾川、揖斐川の徳山下流に降雨が多かった。洪水パターンは多様であるから、徳山ダムの洪水ピーク流量の低減効果は限られている。
 甲42洪水対策関係資料p1過去の主な洪水の表、および、その基礎にした乙11の4p73(徳山ダム審技術部会資料p20)から明らかなように、徳山ダムによるピーク低減量をみると、昭和34年9月型洪水で低減量1,600m3/秒、低減率0.25だが、その他の洪水では低減量、低減率ともこの約半分以下で、特に昭和35年8月型洪水では低減量300m3/秒、低減率0.06である。
 降雨の地域分布をみると、昭和34年9月洪水は徳山に多く雨が降ったが、昭和35年8月洪水は根尾川上流に多く雨が降った(甲41台風6号報告書p144、145)。
 揖斐川は本流の外に、大きな支流として根尾川がある。その他に、坂内川、粕川、牧田・杭瀬川もある。
これを流域面積に関する資料(乙11の4p65、66・ダム審技術部会資料p12、13)によって検討しよう。流域面積では、徳山ダム集水域(流域番号1)は254.5q2で、万石地点より上流流域の0.21である。横山ダム固有の集水域の徳山下流、坂内川流域(流域番号2)が216.5q2ある。横山ダム集水域(流域番号1+2)は471q2で万石地点より上流流域の0.39である。これに対し、根尾川流域(流域番号5〜8)は約416q2で、万石地点より上流の0.35である。万石地点より上流の流域面積からみると、根尾川は揖斐川本流の横山ダム上流に近い流域面積である。
 徳山ダムは、万石地点より上流の揖斐川全集水域の20%に降った雨の水しか貯めることはできない。残りの約80%の流域に降った雨による流量は削減できない。昭和35年8月型洪水(計算ピーク流量5,300m3/秒)で、低減量300m3/秒、低減率0.06なのはそのためである。
 そして、横山ダム+徳山ダムでも、甲42洪水対策関係資料p1[過去の主な洪水]の表の計画降雨ピーク流量から徳山ダムピーク低減量と横山ダムピーク低減量を差し引いた流量(河道流量)から明らかなように、1959年9月型洪水と1960年8月型洪水は、河道流量は計画高水流量3,900m3/秒を超える。
 乙115p7に工事実施計画に記載されている揖斐川の計画高水流量配分図がある。
この流量配分のパターン(徳山ダム1,720m3/秒、横山ダム1,080m3/秒の流量カット)になる洪水型はないのである。1959年9月型洪水1,600m3/秒のように徳山ダムで多く流量低減するときは、横山ダムでは500m3/秒しか流量低減できない(その結果、河道流量は計画高水流量3,900m3/秒を超える)。他方、1965年8月型洪水1,200m3/秒、1960年8月型洪水600m3/秒のように横山ダムで多く流量低減するとき、徳山ダムでは、1965年8月型洪水で800m3/秒、1960年8月型洪水で300m3/秒しか流量を低減できない(その結果、1960年8月型洪水は河道流量は計画高水流量3,900m3/秒を超える)。
 以上のように、徳山ダムの洪水調節による揖斐川の洪水防御効果は限られている。その原因は徳山ダムは万石地点より上流の流域面積のうち約20%しか集水できないからである。洪水防御効果の範囲を広げることができるのは、広い流域面積をカバーする対策である。洪水が流れる河道での対策は、そこに流入する洪水の防御範囲からは100%であり、それでどの程度の防御が可能か十分に検討する必要がある。
 2)イ) 本年2002年7月9〜10日に台風6号の影響を受けて、揖斐川流域では大雨があり、揖斐川は洪水となった(以下、2002年7月洪水という)。特に万石地点は、後に述べるようにこれまでの最高水位の7.38m(TP12.38m)を記録した。この洪水の降雨と水位の記録は、1時間毎の速報値が国土交通省のインターネットホームページによって公表されている(甲91の1、92の1)。2002年7月洪水は、徳山ダムによる万石地点の水位・流量低減効果等について興味深い結果をもたらした。甲91の1、92の2の揖斐川流域の各地点の記録や新聞記事を基にして検討する。
  ロ) 万石地点(甲91の1p3、計画高水位7.09m・TP12.09m)は、7月10日1:00から水位が上昇し始め、11:00には計画高水位7.09mを突破し、12:00に最高水位の7.36mに達した。その後、水位は12:20に7.38mに達して、過去最高の昭和50年8月洪水の7.37mを上回る水位を記録した。甲91の1p3では、7月10日6:00〜9:00の間、水位は2.32mで変化していないが(10:00は欠測)、洪水時に水位が全く一定であるのは不自然であり、上流、特に山口地点(甲91の1p2)の水位が連続的に上昇していることから万石地点の水位も上昇するのが自然である。これは装置のトラブルによるものであって、水位は、5:00の1.95mから11:00の7.10mに連続的に上昇したものと推定される(近似値的には、5:00と11:00の水位を繋げる)。
 万石地点で7.38mと過去最高水位7.37mを記録した1975年8月洪水(最大流量4,400m3/秒)を上回ったということは、洪水流量はかなりのものであったと推定され、水位から考えると、4,400m3/秒を上回っていておかしくない。
  ハ) 降雨量の状況を、流域毎の代表的地点について、揖斐川の上流から順に、揖斐川での洪水の一山波形に影響する12時間程度の降雨時間となる降り始めから7月10日11:00までの雨量でまとめると、以下の通りである。
 降雨量の最も多いのは、根尾川上中流域で、次いで揖斐川上流・横山ダム集水域で、その次が牧田川流域であった。いずれも300oを大きく超えている。これらの流域の降雨量に比べて、揖斐川最上流・徳山ダム集水域の降雨量は多くなく、特に東側の支流である根尾川上中流域に比べて、100〜200oも少ない。このことは、甲92の2朝日新聞2002年7月11日の7月9日0時から10日15時までの降雨量分布図にも示されている。降雨量400〜500oが根尾川流域、300〜400oが揖斐川上流域と牧田川流域にかかっているが、揖斐川最上流の徳山ダム集水域は200〜300oの雨量域である。
 2002年7月洪水は、降雨は根尾川流域と牧田川流域、特に根尾川流域に集中したのである。降雨パターンからは、根尾川流域に降雨が多かった1960年8月洪水(甲41p145)に近いが、400oを超える雨量は根尾川上流域に集中したこと、徳山ダム集水域での降雨量がより少なかったこと、牧田川流域で300oを超える雨量があったことに違いがある(甲41p145図-7-5(e)昭和35年8月洪水で、200o以上の等雨量線を東に移動させて、400oと500oの等雨量線を根尾川流域で閉じて収束させるパターンであろう)。
  ニ) 水位の状況を、流域毎の代表的地点について、揖斐川の上流から順にまとめると、以下の通りである。
 最高水位は、揖斐川・万石地点と牧田川・烏江地点で計画高水位を超えた。
 なお、万石地点の水位は7.38mで計画高水位7.09mを約0.3mを上回ったが、計画堤防高は計画高水位に余裕高2.0mを上乗せした9.09mであるので、それからは水位は約1.7m下の高さである。後記のように揖斐川の基本高水のピーク流量6,300m3/秒に対応する河川管理施設構造令での余裕高は1.5mであり、計画堤防高9.09mからの計画高水位相当の高さは7.59mで、上記水位はこの水位より低い水位である。2002年7月洪水でも、河川管理施設構造令による安全基準からは、洪水位は安全基準の計画高水位相当水位を下回っている。
 万石地点(甲91の1p3)との関係で注目すべきは、根尾川・山口地点(同p2)と揖斐川・岡島地点(同p1)である。水位の上昇の始まりは、岡島地点は7月10日1:00、万石地点は2:00からであり、最高水位は、山口地点では7月10日9:00、万石地点では12:00である。万石地点も山口地点も水位が急激に上昇し、最高水位に達するまでの時間でみると、万石地点は山口地点から1〜3時間遅れて水位が上昇している。山口地点の水位上昇に合わせて万石地点の水位も上昇しているのである。一方、岡島地点の水位は、7月9日24:00から上昇し始めて、7月10日3:00に0.82mになり、4:00に−0.02mと低下した後、再び上昇したが、7:00から9:00まで1.5m程度で殆ど変化がなく、その後、11:00に最高水位2.32mになって約0.9m上昇した。その後、再び水位は低下し、13:00の1.58mからほぼ横ばい・漸減傾向である。岡島地点の水位が上昇していない時刻と万石地点での岡島地点の水位が反映する時刻(約1、2時間後)での水位をみると、万石地点の水位は急激に上昇しているのである。以上のようなことから、万石地点の激しい水位の上昇が根尾川からの流入によって生じていることが読み取れる。
 岡島地点の水位の動きは特異である。横ばいの水位があることから、上流で流量が調節されていることが窺える。上流の横山ダムでは7月10日9:00まで貯水位維持を行っていたが、9:00から600m3/秒の放流を始めている(甲91の2)。上記のように、岡島地点の水位は、7月10日7:00から9:00まで1.5m程度で殆ど変化がなく、その後上昇し、11:00に2.32mに達して再び低下し、13:00の1.58mからほぼ横ばい・漸減傾向であるが、これは、横山ダムの調節によるものであろう。
 上記降雨の検討で見たように、根尾川上中流域は降り始めから7月10日11:00までの12時間程度の降雨量が360〜470oに達しており、これが根尾川・山口地点の水位を上昇させた。それがさらに下流の揖斐川・万石地点の水位を上昇させたのである。一方、揖斐川本流は、最上流の徳山ダム集水域では260o程度であり、上流横山ダム集水域では、降雨は降り始めから7月10日11:00までの12時間程度の降雨量で300oに達したが、横山ダムで流量が調節・削減されて、岡島地点の水位は大きく上昇しなかった。岡島地点では、7月9日24:00から水位が上昇し始め3:00に0.84mになって4:00に一時低下して再び上昇している(甲91の1p1)。揖斐川上流・横山ダム下流の同ダムから岡島地点までの降雨は、7月9日24:00〜10日1:00に最大時間雨量50o以上の強降雨があり、その後降雨量が減少した(甲92の1p3、4)。岡島地点の7月9日24:00〜10日4:00の水位の変化は、この横山ダム下流の岡島地点までの降雨によるものである。
 万石地点の水位は急激に上昇し、最高水位は計画高水位を約30p超えたが、その最大の原因は根尾川流域に降った雨であった。そして、揖斐川本流の雨は横山ダムで流量が調節・削減され、万石地点のこの水位の上昇に大きく寄与していないのである。
 結局、徳山ダム集水域に降った雨は、万石地点の水位上昇に大きな影響を与えていないのである。徳山ダムは、2002年7月型洪水の場合、万石地点の水位を低減させる量は低く、洪水流量を削減する河川工事としては効果がなく、洪水調節ダムとして意味がない。
 2002年7月洪水で、万石地点の水位が計画高水位を超えて高くなった原因は万石地点の河積にもある。万石地点の現況河積は計画河積よりも小さい。例えば、万石地点のある40.6K地点の計画高水位以下の河積は、甲43の2現況値2,107m2は甲43の3計画値2,299m2より192m2小さい。また、視覚的は、甲91の1p3観測所別水位グラフの図を見ても判る。特に、下流の今尾地点(甲91の1p4)と比べると、河積の大きさと水位が計画高水位を上回るかの関係がよく判る。万石地点で河積を計画のように拡大すれば、それだけで洪水水位は下がるのである。単純に計算しても、甲43の2、3の計画高水位以下の河積を川幅389mで割ると、計画は現況より、約0.5mの高さだけ河積が大きい。
 計画降雨量との関係でも問題がある。おそらく、木曽川水系工事実施計画での揖斐川の洪水防御計画で前提としている計画降雨量・2日間395oに比べて、2002年7月洪水の2日間降雨量は少ない。したがって、2002年7月型洪水として検討するときは、降雨量は引き伸ばされる。1960年8月型洪水では、1.199倍引き伸ばされている。この降雨量の引き伸ばしをした場合、最も雨量が多くなって流量が多くなるのは根尾川流域であるから、万石地点の水位は、これによって一層上昇するはずである。徳山ダムの水位低減効果(流量低減効果)としては、1960年8月型洪水の削減パターン(徳山ダムのピーク流量低減率0.06・表4-2-1、甲42p1)が増強された形態であろう。この場合、徳山ダムを造っても、万石地点の水位は計画高水位を超えることになろう。 工事実施計画に記載されている揖斐川の計画高水流量配分図の流量配分パターン(徳山ダム1,720m3/秒、横山ダム1,080m3/秒の流量カット)が意味がないことが、またも追加された。
  ホ) 牧田川・烏江地点は、7月10日2:00から急激に水位が上昇し始め、9:00に最高水位10.27mに達して、水位は、その後低下して、12:00からは9.4m程度で横ばいである(甲91の1p5)。牧田川合流後の揖斐川本流にある今尾地点の水位は、満潮による潮位の影響を受けた7月9日20:00の2.24mから低下して、7月10日2:00の1.44mから上昇し始めて、14:00に8.79m達してその後は横ばい・漸減している(甲91の1p4)。
 牧田川が、最高水位に達した後に、本流の揖斐川の影響を受けて、水位が低下しなくなったこと、また、揖斐川本流も、最高水位に達した後、牧田川の流入を受けて、水位が低下しなくなったことが読み取れる。しかし、最高水位に達するまでの水位の上昇過程では、水位の低下過程ほど明瞭に判る影響や変化は読み取れない。
 また、今尾地点の水位の上昇と万石地点の水位の上昇を比較すると、殆ど同じ時刻に同じように直線的に上昇しており、水位がかなり高くなってから今尾地点の水位の上昇が続き、水位の上昇が遅れるようになっている。牧田川の流入で今尾地点の水位が先に上昇して、それに遅れて万石地点の水位が上昇しているのではない。今尾地点の水位がその上流の万石地点の水位を大きく上昇させたのではないようである。
  ヘ) なお、牧田川の支流の杭瀬川のさらに支流の大谷川が、右岸の大垣市荒崎地区にある洗堰(越流堤)で溢水して、同地区の島町、長松町が浸水した。杭瀬川流域の降雨量は表4-2-2の赤坂地点のように210o程度であって(甲92の1p9)、根尾川や牧田川流域の300oを大きく越える降雨量はもちろん、徳山ダム集水域の260oよりも少なかった。
 大谷川右岸の荒崎地区のところは、以前は無堤であって、同地区は遊水地であった。それが築堤され洗堰が築かれて越流堤となったものである。洗堰(越流堤)であるから、洪水は洗堰を越流して堤内の荒崎地区に流れ込むようになっており、同地区が遊水地であることは変わりがない。ところが、岐阜県営団地が建設され、都市計画法の市街化区域になって、住宅が建築されるようになった。遊水地に住宅を建設すれば、浸水被害を受けるのは当然である。
 しかし、同じ大谷川右岸の荒崎地区でも、十六町は輪中堤があるので(十六輪中)、これによって浸水は止められて被害はなかった(中日新聞2002年7月30日夕刊)。
 荒崎地区は1975年8月洪水でも、洗堰の越流により浸水をうけている。その報告は、建設省中部地方建設局木曽川上流工事事務所『台風6号調査報告書』1976年5月p63〜68でなされており、特にp67において、「当地区(注・大垣市荒崎地区のこと)は従来からの遊水池であり本来ならば家屋の建て得ない所である。当地区は下流部に牧田川、杭瀬川の狭窄部があり大谷川、相川の水がはけないために一時遊水地域として昔より利用されてきた所である。………当地区もいずれは締め切られるであろうが、締め切られるまでには、杭瀬川高淵の引き堤、相川、大谷川合流点から杭瀬川までの河道改修が行われた後になろう。そうでないかぎり、この洗堰を締め切ればその結果として、他の地区にその効果がおよび、より以上の災害が起こることは必至である。又、洪水は最終的には人為に制禦し得ないという立場をとるべきであり、超過洪水(計画規模を越えた洪水)が発生した場合により被害を小さくするにはこのような遊水地域はぜひとも必要である。」と述べられている(下線原告ら代理人)。
 また、高橋裕(河川工学、元河川審議会委員)は、「かって両岸の堤防の高さが違う河川は多く、低い方に家を建てなかった。1960−70年代にそういう所も宅地化が進んだ。水があふれるに決まっている場所を、市街化地域に変更したのが間違い。岐阜県は荒崎地区だけでなく対岸や下流の住民と専門家でつくる委員会を設け揖斐川や周辺河川も含めた新しい形の総合治水を考える必要がある。」(中日新聞2002年8月5日夕刊)と指摘している(下線原告ら代理人)。
 同報告書や高橋がいうように、洪水を河道から堤内地に越流させる洪水対策は、日本で昔からある方法で、河道負担を緩和し、また、超過洪水での被害防止・軽減方法として重要である。そして、洪水越流による家屋等の被害を防止する方法として、堤内地における輪中堤がある。西濃地域は、古くから輪中が発達した地域であって、治水の思想や方法として、最も進んだ地域である(大谷川右岸の荒崎地区にも十六輪中があり、そこは被害を受けなかった)。高橋が指摘するように、洪水は河道から溢れるものであることを前提として、流域の住民や専門家で委員会を設けて、新しい形の総合治水対策を構築することが必要である。その場合、西濃地域の先人が築き上げた輪中から学ぶことが、まず必要である。

4 河道の流過能力の検討
 1) 1975年以後とその前とは河道の水位−流量関係に大きな違いがある
  イ) 過去の主な洪水流量の計算と実測の違い(同じ流量では計算は水位が高い)
 表4-2-1の最大流量は水位−流量関係式(H−Q式)による計算流量である(証人門松第2回目調書p1)。しかし、過去の洪水には流量の実測資料がある(乙11の3p40の水位流量曲線図の◆印が実測流量である)。
 実測結果の判明している年(1965年や1975年)の洪水での最大流量の実測値は、次の通りである。
 1965.9:11.02m・3882m3/秒(甲40洪水予報p73、74)、
 1975.8:12.37m・4414m3/秒(◆印、甲41台風6号報告書p29、30、140)
 H−Q曲線と実測値◆とを比較すると、同じ流量でも、最大流量付近では水位は計算値の方が高く、それより少ない流量付近では実測値の方が水位が高い。H−Q曲線は最大流量になるほど実測値より高い水位側に離れていく。したがって、H−Q式に最大流量を代入すると、得られる計算水位は実測結果を離れて高くなる。
  ロ) 1975年以後と前とは、洪水での水位−流量関係に大きな違いがある
 過去の洪水における水位−流量関係をみると、1975年以後は、その前に比べて、同じ水位でも流量が小さい=同じ流量でも水位が高い。表からも読みとれる。H−Q式は、次の通りである。
  1960年:Q=99.8(H+0.39)2
  1965年:Q=83.2(H+0.66)2
  1975年:Q=53.56(H+1.48)2
  同じ水位で、1,000〜1,500m3/秒も、1975年が1960年や1965年より流量が少ない。
 建設省(当時)の資料では、最大流量の水位−流量の関係は、1965年以前に比べて、1975年以後は、同じ水位でも流量が少なくなる。例えば以下の資料である。
[乙17徳山ダム「主な洪水」の表、甲42p1]
 最大流量は昭和34年なのに、その水位は最大水位ではなく、最大水位は昭和50年である。
[乙11の3p39〜41・第7回ダム審補足資料p19とp20、21]
 H6.5mで、昭和35年H−Q式ではQ=4,738m3/秒、これに対し、昭和50年H−Q式では3,410m3/秒、昭和51年H−Q式ではQ=3,507m3/である。
 1,200〜1,300m3/秒も、同じ6.5mの水位でも、昭和50年頃が流量が少ない。
  ハ) 過去の水位と流量の関係の検討(甲42p2年最大の水位と流量関係図)
 昭和21(1956)年〜平成6(1994)年の年最大の水位と流量(甲43の1)について、その関係を図にしたのが甲42p2年最大の水位と流量関係図である。
 ◇は1975年(昭和50年)の前、◆は1975年(昭和50年)以後の値である。
 いずれも、実測流量ではなく、H−Q式による計算流量である(1960、1965、1975、1976年の流量から判る)。
 水位6m付近から、水位−流量関係は、◇1975年の前と◆1975年以後とは、傾向に明らかな違いがある。
 水位6m付近(流量3,000〜3,500m3/秒)から、◇は水位の上昇は小さいが、流量の上昇は大きい(右上がりの傾きが急である)。◆は水位の上昇と流量の上昇が、1m:1,000m3/秒程度である(右上がり45度程度の傾きを示ている)。
 工事実施基本計画で計画対象となっている洪水は、1959〜1961年で、1975年の前である。しかも、水位に対して流量が一番高くなっている時期である。
 基本高水のピーク流量を6,300m3/秒にしたのは昭和43年で、河道はその前の時期の測量結果である。いずれも1975年の前のもので、水位に対して流量が高くなる時期である。
 したがって1975年以降の河道では、3,500m3/秒以上の流量が流れる水位(例えば、基本高水ピーク流量6,300m3/秒が流れる水位)は、1975年より前の河道(例えば、1960年頃の河道)での水位よりも高くなる。
 過去の洪水の水位・流量をみると、1965年8月洪水の11.12m・4,200m3/秒(実測10.07m・4,230m3/秒)に対して、1975年8月洪水の12.37m・4,200m3/秒(実測12.37m・4,414m3/秒)である。同じ流量4,200m3/秒でも、1975年洪水の方が水位が1.2m高い。
  ニ) 上記違いの原因は、計測流量が精確とすると、河道の状態にある
 H−Q関係を求めるのに用いた流量は精確か。流量の測定はどの年も精確か。古い時、1960年(昭和35年)頃以前の流量測定が不精確ということはないのか。
 古い時の流量測定が精確とすると、河道の状態、つまり、粗度(流れにくさ)や河積に、1975年の前とそれ以後とでは違いがあることになる。
 河床年報(粗度係数、水深、河積の記録である)や過去の洪水の原資料(実測流量の記録がある)がある。これらがあれば、河積や流量の検討ができる。
 河川の流量は、流水の断面積、勾配、潤辺(流水が壁や底に接する長さ)によって決まる。流量計算に用いられる式にマニングの平均流速公式がある(甲42洪水対策関係資料集p3流量に関する公式)。これらの関係は以下の通りである。
流量:
   Q=A V
   Q=f(A,S,I)   ……………(1)
マニングの公式:
             1                                                    
   V =     R2/3 I1/2    ……………(2)
        n
   Q =A V  A=B h ゆえ
                  1               1                                   
   Q = B h     h2/3 I1/2  =      B h5/3 I1/2 ……………(3)
                  n               n
ここに、
 Q:流量  V:平均流速  A:流水断面積             S:潤辺(流水の側底辺長) R:径深(A/S)、河川ではR≒水深h I:水面勾配(≒河床勾配i) n:粗度係数(流れにくさの係数)
 B:水面幅(河床幅b+2h・堤防勾配mであるが、長方形としてB=bと   する)
 (2)式がマニングの平均流速公式である。1断面でnは1つである。
 河道横断面の形状は均一の1断面ではなく、低水路、高水敷き、その他河床の起伏のある複数の断面であるのが通常である。(2)式を基本式として、断面を同じ形状毎に細分割して流速を求め、それを合わせて全断面における流速を求める(分割断面毎にnを与える。nが断面数ある)。
 また、マニングの公式は等流(どの地点でも同じ流量)についての公式であるが、河川の洪水は不等流である。河川の水位計算は、河川縦断方向に一次元的な流れとして不等流計算が行われる。河川縦断方向に断面を設定して、下流から縦断断面毎に水位と流速を求めて、それを上流縦断断面へと逐次繰り返して、計算される。断面毎の水位や流速を決める要素は、上記(1)式における断面積要素A、勾配要素I、潤辺要素S(径深Rと粗度n)である。基本的要素はマニングの公式と同じである。マニングの公式の(3)式では、(1)式での断面積要素はA=Bh、勾配要素はi、潤辺要素(径深、粗度)はhとnである。
 これらの流速を決める要素に違いがあれば、流量Qは変わる。したがって、河川の同じ地点で流量Qに違いがあれば、その原因は、当該地点の断面積A、勾配i、潤辺(水深hと粗度係数n)に違いがあるためである。また、同じ流量のとき河川の異なった地点で水位が違うのは、地点毎に断面積A、勾配i、潤辺(水深hと粗度係数n)に違いがあるためである。
 河道の断面積、水深、粗度、勾配は定期に測量されている。その結果は、河床年報としてまとめられている。また、主要な洪水では、洪水毎に流量計算がされており、そのときの粗度係数nが求められている。揖斐川の主要な洪水での粗度係数nについて、これまでに公表されたものは以下の通りである(甲90)。
    
 1965年以前の洪水での粗度係数nが小さいことが読み取れる。これに対して、1975年(昭和50年)洪水での粗度係数n、また、1992年(平成4年)測量の河道での粗度係数nが大きいことも読み取れる。この粗度係数nが精確とすると、同じ4,000m3/秒を超える流量でも、1975年の前の洪水では水位が6m程度であるのに対して、1975年以降の洪水では水位が7m以上になっている(甲42p2年最大の水位と流量関係図)のが、ある程度説明がつく。
2) 現況河道での流過流量(流過能力)
 乙115p9、10では、現況河道(平成4〜5年)で計画高水位以下で流し得る最大流量が示され、それは3,400m3/秒とされている。但し、p9を見ると、計算水位が計画高水位になっているのは、35〜38q付近だけで、他の区間は、計画高水位を0.3〜0.8m程度下回っている。
 乙115p11、12では、計画対象洪水の昭和34年洪水(1959年型洪水)について、河道は平成4〜5年のものを用いて、河道の流過能力がどれほどあるかの検討結果が示されている。計画高水位を、ダムがないと2.21m、既設の横山ダムのみだと1.71m、横山・徳山ダムだと0.31m上回る結果であった。
 しかし、粗度係数n、河道断面積Aなど河道の状態については、乙115には資料がない。
 3) 河道改修による現況河道の流過能力拡大の検討
  イ) 乙11の4p73現況と河道計画における河道の粗度係数nの比較
 乙115には粗度係数n、河道断面積Aなど河道の状態についての資料がないが、徳山ダム審第1回技術部会資料p20表3−21(乙11の4p73)で、現況河道(1992〜93年)の粗度係数は、計画粗度係数と比較して以下のように示されている。
 本件事業認定処分や徳山ダム審で示された河道に関する情報はこの粗度係数だけで、水位計算に用いた河道の河積は、どこでも示されていない。
         表4-2-5 現況と河道計画における河道の粗度係数n                   
      │  区  間│現況粗度係数│計画粗度係数│計画/現況│ 現況/計画│     
      │20.2K〜26.8K│  0.033 │   0.027 │   0.82│   1.22 │     
      │27.0K〜31.8K│          │   0.030 │   0.91│   1.10 │     
      │32.0K〜40.0K│    0.037 │          │   0.81│   1.23 │     
      │40.2K〜46.2K│          │    0.035 │   0.95│   1.05 │     
                                                                           ロ) 河道改修による粗度の低下(流れ易くなる)
 上記表4-2-5[現況と河道計画における河道の粗度係数n]を比較すると、現況河道は計画河道に比べて流れにくい粗度係数である。マニングの公式など平均流速の公式では、例えば上記(3)式のように、流量は1/nに比例する。粗度係数nが大きいと、流れにくく、同じ水位でも流量は小さい。また、同じ流量では、水位は高くなる。
 上記[計画/現況]欄は計画河道に対して現況河道がどの程度流れにくいか比較したものである。20.2qから40.0qまでは、現況河道は計画河道に対して0.81、0.82、0.91と流れにくい。特に、20.2q〜26.8qと32.0q〜40.0qまでは、現況河道は計画河道に比べて0.81〜0.82の流れ易さしかない。現況河道は、粗度係数nの大きいこと、つまり流れにくさが、計画高水位で流しうる計算流量を少なくしているし、計画高水流量での計算水位を高くしている。現況河道のこの流れにくさが計算水位を高くしている要因の一つである。
これは逆に見ることもできる。計画粗度係数0.030は現況粗度係数0.037よりも、0.81の逆数倍、すなわち1.23倍流れやすい。計画粗度係数0.030は現況粗度係数0.037よりも、同じ水位でも流量は1.23倍多くなる。現況河道から計画河道に改修されれば、河道の流しうる流量は1.23倍増大する。
 1975年8月洪水の万石地点実測流量4,400m3/秒(水位TP12.37m、計画高水位はTP12.09m)の1.23倍は5,400m3/秒である(表4-2-2[主要な洪水の粗度係数]記載のように、1975年8月洪水の粗度係数nは1992年測量での現況粗度係数nよりも大きいようであり、これは小さめの数値である)。これに対して、計画高水流量配分図(乙115p7)では、基本高水流量6,300m3/秒から横山ダムカット分1,080m3/秒を引くと、河道流量は5,220m3/秒となる。計画河道に改修されると、計画高水位程度で横山ダムのみよる河道流量を流しうる流過能力になる結果である。
  ハ) 計画河床への河床浚渫(河積と水深の増加)
   a) 河床高から(甲42洪水対策関係資料集p5現況と計画の河床高比較図)
 計画河床にするための浚渫により河積が増加するので、河道の流過能力は増大する。計画河床への浚渫は、(3)式のマニングの公式など平均流速公式では、断面積Aと水深hの増加の原因となる。
 平成10年の測量結果で、現況平均河床高(低水路での平均)は計画河床高よりも高い(甲42洪水対策関係資料集p5現況と計画の河床高比較図)。200m毎でみると、数区間を除けば、1〜3m、現況河床は計画河床よりも高い。35q地点〜41q地点では、37q地点の1km程(0.7〜0.8m高い)を除けば、1.3〜2.3m現況は計画よりも高い。万石40.6q地点では、現況はTP4.26mで計画はTP2.95mと2.31m現況が高い。河床と計画高水位との差(水深。複断面なので、それがマニングの公式のRになるのではないが)は、計画は9.13m(=TP12.08m−TP2.59m)で現況は6.82mである。計画河床高への浚渫により、計画高水位以下で流過させうる流量は、マニングの公式ではQはR5/3に比例するので、約1.29倍になる。
 実測流量4,400m3/秒を記録した1975年(昭和50年)8月洪水でも、資料のある27q地点より上流全てにおいて、1975年現況平均河床高は計画河床高よりも高い。例えば、万石地点の計画河床高はTP3.95mであり(したがって、計画水深は8.13m=TP12.08m−TP3.95m)、この付近の現況平均河床高(低水路の平均)は計画河床高より0.7m程度高い。計画河床高への浚渫により、計画高水位以下での流過させうる流量は、マニングの公式では、約1.18倍になる。
   b) 河積から(甲42洪水対策関係資料集p6現況と計画の河積比較図)
 揖斐川の河積は、現況河積が計画河積よりも小さい。現況河道は計画河道に比べて河積不足である。現況河道は浚渫等により計画河道に河積拡大される。例えば、甲42洪水対策関係資料集p5河床高比較図に示したように、河床は、現況が計画より27q地点から下流は2〜3mほど、だいたい3m高い。したがって、計画河床への浚渫により河積は増加する。
 34q地点〜39q地点、特に35q地点、39q地点は、上下流よりも、現況も計画も河積自体が小さい。河積自体が上下流に比べて小さい以上、同じ流量の洪水が流れたとき、この区間で水位が高くなるのは当然である。計画河積も小さいのであるから、計画河道になっても、この区間の水位は、上下流に比べて高くなる。
 22q地点、23q地点、27q地点は現況河積が計画河積よりも大きい。実際の河川工事において、計画河積以上に河積を拡大している。牧田川が28q地点付近で、津屋川が22q地点付近で揖斐川に合流している。この区間の河績増大は、牧田川、津屋川の合流による揖斐川の水位上昇に対する対策であろう。河川の場所毎の実際に応じて計画河積にとらわれずに部分的な河積拡大の対応している。
 このように、22q地点〜27q地点の例のように、計画にとらわれないで、実際の河川工事で計画河積以上に部分的に河積を拡大しているのは重要なことである。計画河積を前提としても、河川の実情に応じて必要があれば河積を拡大することができるし、実際にしているのである。
 また、計画河床も年代によって、違っており、変更されている(甲42p8計画河床高の比較図)。ある計画河床が絶対のものでない。これは、おそらく、1975年(昭和50年)9月洪水をうけて変更されたものであろう。
  ニ) 余裕高の河川管理施設構造令基準との比較とその変更(河積の拡大)
 計画高水位に余裕高を加えて、計画堤防高にする。工事実施計画での揖斐川の余裕高は2.0mである。
 しかし、揖斐川の基本高水のピーク流量は6,300m3/秒であり、河川管理施設構造令20条(乙79p108)に基づく計画高水流量6,300m3/秒の規模に必要な余裕高は1.5mである。
 したがって、揖斐川の計画堤防高はそのままにして、余裕高を2.0mから、基本高水流量の6,300m3/秒に応じた構造令基準の1.5mにすると、その高さが計画高水位である(計画堤防高は変わらないので、堤防の高さを低くするのではない)。これによって、余裕高2mより計画高水位が0.5m上昇するので、計画高水位での流過能力は増大する(上記(3)式によれば1.104倍増大する)。
 ちなみに、現在の余裕高2.0mは、1963年に、木曽川改修総体計画の計画高水流量の増量改訂において、計画高水位以下の河積をを増やすため、従来の余裕高2.5mが変更されて2.0mになったものである。上記の余裕高を1.5mにするのは、計画高水流量の規模に合わせて、これと同じことを行うことである。

5 小括
 河川の洪水防御対象となる基本高水のピーク流量からみると、揖斐川の基本高水のピーク流量6,300m3/秒は、その年超過確率は防御対象となっている計画規模の年超過確率1/100ではなく、それを大きく上回るものである。基本高水のピーク流量を防御対象の計画規模である年超過確率1/100程度の5,300m3/秒(大きめにみても5,800m3/秒)であれば、ダムによる流量削減に安易に依存する可能性は乏しくなる。
 徳山ダムは、万石地点より上流の揖斐川全集水域の20%の地域に降った雨の水しか貯めることはできないので、徳山ダムの洪水調節による揖斐川の洪水防御効果は限られている。例えば、工事実施計画に記載されている揖斐川の計画高水流量配分図の流量配分のパターン(徳山ダム1,720m3/秒、横山ダム1,080m3/秒の流量カット)になる洪水型はなく、防御対象である1959年9月型洪水や1960年8月型洪水では、河道流量は計画高水流量3,900m3/秒を超えるのである。
 洪水防御効果の範囲を広げることができるのは、広い流域面積をカバーする対策である。洪水が流れる河道での対策は、洪水は河道に流入するので、基準地点における洪水の防御からは防御範囲100%であり、河道でどの程度の防御が可能か十分に検討する必要がある。そのうえで、河道の洪水防御の負荷を低減するため、流域での河道への流入低減や河道からの流出を検討すべきである。
 計画河道にすると、洪水、例えば6,300m3/秒が流れたとき、水位はどのようになるのかを明らかにすることが、まず必要である。そのうえで、部分的に水位が高くなる区間では、何が原因で水位が高くなるかを検討し、河道での解決方法を検討することが必要である。
 揖斐川の場合、現況河道から計画河道に改修されると、粗度が改善され、水深が増大し、河積が増大する。それぞれが原因となって、計画高水位以下で流過させうる流量は増大する。
 部分的な水位の上昇に対しては、原因に応じて、河道内での部分的河積の増加が可能である。そして、部分的に計画河積自体が小さいときは、その部分の計画河積を増加することによって上下流と同じ程度まで河積拡大させることを考えるべきである。
 また、計画堤防高を変えずに余裕高を河川管理施設構造令での揖斐川の基本高水のピーク流量にあった基準にすれば、計画高水位が上昇するので計画高水位以下の流過能力は増大する。
 以上のように、計画河道や河道の状態を変化させた精確な流過能力検討すること、それに基づいて各種の河道改修を検討することが必要である。
 本件事業認定ではそのようなことは全くなされていない。

第3 発電
1 徳山ダムは水公団が水資源開発施設として建設するが、その付随的な目的に発電(水力発電がある)。

2 徳山ダムの水力発電計画は混合型揚水発電所が目的の中心である。揚水発電は、原子力発電所は出力調整ができないので、夜間に余る原子力発電所が発電した電力を利用して揚水して水力発電し、貯蔵できない電力を再使用する、いわば電力を貯める発電所である。電力の需要が少なく発電した電力が余る夜間に下部の調整池から上部の調整池に水をくみ上げ、需要が多い昼間に水を落として発電する。発電される電力量がそれを生み出すためにくみ上げる電力量より少ないので効率が悪く、また、1日数時間しか稼働しないため設備利用率も低い。また2つダム貯水池をつくるので自然破壊の問題も大きい。
 バブル経済が崩壊して、電力需要が鈍化してきているため、かって、バブル経済時期以前に計画された揚水発電を目的とするダム建設は各地で凍結、中止となっている。

3 発電された電力は中部電力に供給する予定になっているが、中部電力では需要の落ち込みや揚水発電の効率の悪さから揚水発電開発の延期などを決めている。
 甲99p12表3には、木曽中央、川浦の揚水発電ダムの延期の事実が記載されている。長野県大桑村の阿寺渓谷には木曾中央発電所の計画があり、強い反対運動があるなか、計画が延期された。また、岐阜県武儀郡板取村の川浦(かおれ)ダム建設についても、開発途中で計画を先延ばしている。甲101、102は川浦ダムがいつできるという保証もない旨を報じている。
 揖斐郡藤橋村の徳山ダム上流で電源開発と北陸電力が、共同で建設を予定している高倉発電所の計画が凍結されている。高倉発電所は、藤橋村と福井県今庄町にまたがる高倉峠に建設を計画している揚水式発電所で、岐阜県側の徳山ダム上流に上部ダム、福井県側に下部ダムを設け、放水路でつなぎ、落差を利用して発電する計画であった。電源開発は開発された電力を中部電力および関西電力に販売する計画であったが、電力需要の低下などから開発を延期したのである。

4 以上のように電力需要の低下に伴い、それに伴う需要がないため、中部電力でも揚水式発電所建設計画を延期、中止しているのが発電計画の流れであり、徳山ダムに係る発電についても、その電力需要の見込みはない。徳山ダムは発電の点でも不要な開発なのである。

第4 自然環境の破壊、特に大型猛禽類への悪影響
1 本件訴訟における位置づけ
 1) 土地収用法における位置づけ
 収用法20条3号は「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」を事業認定の要件として定めているが、この要件の該当性について、東京高裁昭和48年7月13日判決(いわゆる日光太郎杉事件判決)は、「その土地がその事業の用に供されることによって得られるべき公共の利益と、その土地がその事業の用に供されることのよって失われる利益(この利益は私的なもののみならず、時としては公共の利益をも含むものである。)とを比較衡量した結果、前者が後者に優越すると認められる場合に存在するものであると解するのが相当である。」と判示している。これを本件に即していうならば、利水目的の存否は前者に属し、自然環境の破壊、特にイヌワシ・クマタカなどの大型猛禽類の保護については後者に属する。すなわち、自然環境の破壊の問題は、事業の合理性を検討するうえでマイナスの要因として考慮の対象となる。
 さらに、上記判決は、事業の合理性判断の手法について、建設大臣が判断するにあたり、「本来最も重視すべ諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず、または本来考慮に容いれるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過大に評価し、これらのことにより(建設大臣)の判断が左右されたものと認められる場合には(建設大臣)の判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして違法となるものと解するのが相当である。」とも判示する。したがって、自然環境の破壊の問題について、事実にもとづいた適正な判断がなされたのか司法審査される必要がある。
 2)大型猛禽類保護の重要性
 原告は訴状において、徳山ダム建設予定地における自然環境の全般的問題点を述べた。その中においても、イヌワシ・クマタカなどの大型猛禽類の保護は特別な考慮が払われる必要がある。すなわち、イヌワシ・クマタカなど大型猛禽類は自然の生態系の頂点に立つ生物であり、その存在は捕食する生物も含めて様々な生物の存在を前提とするため、絶滅への圧力に非常に弱い種である。そのため、それらの種の存在は当該地域の自然度を示す最も重要な指標となる。そこで、差し当たっては、大型猛禽類がどのように生息し保護されているかを検討することが求められる。この点、原告と見解を同一にするかは別として、被告の自然環境についての主張の多くは大型猛禽類の保護の問題に費やされている(被告第三準備書面p8頁〜62、同第六準備書面p7〜25)。したがって、本準備書面においても、大型猛禽類の保護の問題に絞って主張することとする(なお、以下では、大型猛禽類を「ワシタカ類」と呼称することがある)。

2 徳山ダム建設と大型猛禽類の保護
 1) いきさつ
 徳山ダム建設予定地周辺でイヌワシ・クマタカなどの生息が確認され、1996年5月から1998年9月まで水公団によって猛禽類の生息状況の調査が行われた。しかし、予定地周辺では、それまでにイヌワシ5番い、クマタカ17番いの存在が確認されていたが、水公団は、右生息状況の調査にあたって、徳山ダム建設による影響の有無、関連性の有無を自ら予め判断し、イヌワシ1番い、クマタカ8番いについてしか調査を実施しなかった。
 1996年8月、水公団は現地事務所内部の検討機関として、新潟大学の阿部教授を座長とする「徳山ダムワシタカ類研究会」を設置した。しかし、右調査中もダム建設工事は行われていた。
 上記調査期間中、クマタカ8番いのうち繁殖に成功したのは1996年で3番い、1997年で1番い、1998年はゼロという状況であった。
 そのような中、1999年5月に、育雛中のクマタカ(F番い)の営巣木付近で工事が行われていることが判明し、問題となった。水公団は工事を一時中止し、5日間の調査を開始したが、同年6月9日からは工事を再開した。結果的に、右クマタカの繁殖は失敗し、同年の繁殖数もゼロとなり、2年続けて繁殖が成功しなかった。
 上記のような事態を受け、「徳山ダムワシタカ類研究会」の委員4人のうち3人(いずれも野鳥の会岐阜県支部の会員)が、「猛禽類保護のためには工事を一時中断すること」などを申し入れたが受け入れられなかったために、1999年8月に委員を辞任した。
 これまで、日本自然保護協会(略称 NACS-J)などは水公団が実施した猛禽類の調査資料の公開を求めてきたが、水公団は、営巣地保護などを理由に、資料の公開を一切行わなかった。1999年8月、同協会は再度、水公団に資料の公開を申し入れた。その直後、水公団は、調査資料の公開が可能となるように原資料への加工を同協会に要請した。同協会は、単に公開資料を作成することに協力するだけでなく、調査資料の内容を独自に評価してその結果を添付できるようにすることなどを盛り込んだ協定を結ぶことを要望し、これが取り交わされたことから、上記調査資料の提供、独自評価、公開資料の作成が行われた。
 そして、1999年12月7日、同協会は、「公開資料」(丙12の1)と「『公開資料』添付文書」(丙12の2)とを発表した。
 2)日本自然保護協会の「『公開資料』添付文書」の内容
 同協会の公表した「『公開資料』添付文書」は、水公団の行った猛禽類の調査報告を次のように批判している。
「V.検証結果
 資料の検討作業は、この調査の科学的妥当性およびデータ類の信頼性等を点検し、大規模開発を伴う公共事業における公的機関の行った調査資料として十分な水準に達しているかどうか、自然の豊かさを象徴する猛禽類の生息環境とこの大規模開発との関係を適切に考察するに十分な資料になりえているかについて、一定の検証と評価を行うことを目的に行った。
 検討にあたっては、この作業を行うことになった理由である情報公開の要望が強いこと及び極めて短期間のうちに検証資料をまとめる必要があることから、検証と評価にあたってはいたずらに枝葉に属する問題点を探すのではなく、このような調査活動の幹にあたる部分のチェックを行うことを方針とした。
 開発主体である水資源開発水公団は、猛禽類に関して強い関心をもち独自に猛禽類調査のマニュアルを作成し、その都度新知見を得つつ毎年その改定を重ねるなど、この問題の調整あるいは解決に対する一定の努力は行っている。また、まだ実践の段階には達していないものの、今後の水資源開発計画における猛禽類調査活動の改良とその結果を踏まえた保全対策についても検討を進めていると聞いている。
 しかしながら一方では、今回の調査と並行して、生息環境内の土地改変が予備工事として行われていた。このことは、収集データを読みとる際に極めて大きな制限要因と考えられた。今回は、このような条件下行われた調査に基づくデータについての検証であることを、はじめに強調しておきたい。
 徳山ダムにおける猛禽類調査資料の検証の結果、後述する複数の問題、しかも、対象となったイヌワシとクマタカという2種の大型猛禽類調査の本質に関わる基本的問題があると判断された。
 問題点は、イヌワシに関わる問題点、クマタカに関わる問題点として一覧表の形でまとめ、次にこの揖斐川上流域に見られるような猛禽類の生息状況にある地域での本来あるべき調査の視点をまとめた。そして最後に、調査資料自体を検証するという今回の協定の枠組みにおける結論をまとめた。 
1. イヌワシに関わる問題点
 イヌワシに関わる問題点は、丙12の2[表1]のようにまとめられた。
 イヌワシ調査に関する最も大きな問題点は、調べるべきペアの全てを調査対象とせず、また対象としたペアについても生息環境利用の解析を繁殖期データのみを取り出して行うなど、必要十分なデータに基づいて行われていないこと、そして個体識別ができなかった場合、そのデータを利用しなかったという点にある。
 これらについては、調査対象ペアの選択の問題点については丙12の2[イヌワシ付表@]に、調査体制とデータ量の問題については丙12の2[イヌワシ付表A]に参考データをまとめてある。
2. クマタカに関わる問題点
 クマタカに関わる問題点は、丙12の2[表2]のようにまとめられた。
 クマタカ調査に関する最も大きな問題点は、このような多数の個体が出現する場所における影響評価、保全対策に結びつける根拠となるデータ収集がそもそもできておらず、極めて限られたデータにいくつもの推定を重ねることで、わからないことまで解明できたと表現されていることにある。
 これらについては、調査対象ペアの選択の問題点については丙12の2[クマタカ付表@]に、調査体制とデータ量の問題については丙12の2[クマタカ付表A]に、クマタカのペア毎に線引きされた行動圏内部構造の境界線と実際のデータの整合性に関する疑問点は丙12の2[クマタカ付表B]として参考データをまとめてある。
3. あるべき調査の視点
@イヌワシについて
 イヌワシは周年にわたってペア関係を維持し、ペアハンティングも行う猛禽類である。したがって、生息状況の把握にあたってはペアが周年にわたって生息するエリアを調査対象として観察を続けることが必要である。その上で、その地域において周年にわたって生息することを可能としている(行動圏内の)ハンティングエリア(狩り場)の特定が必要であり、これが保全されることによってはじめて繁殖活動に入ることも可能となる。
 イヌワシは行動圏内に散在するハンティングエリアを飛行しながら探餌することが多く、ハンティングエリア間の移動も尾根上又は高空を飛行することが多い。そのため、クマタカに比べて目視しやすいので、これを連続的に追跡すれば個体識別は可能となり、そのような観察結果が得られるよう調査シフトを敷くことが重要である。
 繁殖活動を維持・成功させるためには、まず営巣場所と繁殖期のハンティングエリアを特定する必要がある。イヌワシは岩崖に営巣することが多く、ペアが代わってもほとんどの場合同一場所が永続的に利用されるため、営巣場所を厳密に保護しなければならないからである。また、繁殖期においては、巣から近いところに安定した良好なハンティングエリアが存在することが繁殖成功にとって不可欠なためである。このエリア(高頻度利用域)の特定と共に、その外側に存在する潜在・代替的なハンティングエリアの推定も必要である。それらを含めた繁殖環境を保全していくという考え方に立たなければ、イヌワシの生息環境は守れないといえる。
 調査期間については、気象や植生の変化等によりハンティング場所が変わるところもあることから、原則として繁殖成功年を含む最低3年間の調査が必要である。
Aクマタカについて
 クマタカは繁殖期以外は基本的には単独生活を行っており、生息状況の把握に際しては通年にわたってクマタカの社会を構成する個体(ペア形成経験のある成鳥・繁殖可能な成鳥・亜成鳥・幼鳥)すべての生息環境利用を把握していく必要がある。
 地域個体群におけるクマタカ繁殖ペアの行動圏は連続して存在し、相互にオーバーラップしているため、調査はペアごとのハンティングエリアやコアエリアを特定するということに絞るよりも、地域個体群を構成するすべての個体のハンティングエリアを特定する方がクマタカと人為的な環境改変の影響予測や保全対策の基礎データとするための調査としては現実的である。このようなデータに基づく保全対策がなされるならば、その地域には繁殖ペアが安定して確保されることとなり、地域個体群の保護が可能となるのである。
 クマタカのハンティングの大半は木に止まって獲物の現れるのを待つタイプであり、止まり場所の多くはハンティングエリアを示すものとして評価されうる。調査にあたっては、このことを前提においた調査計画を立てデータ解析する必要がある。
 その上で、繁殖ペアが繁殖を成功させるための営巣場所を含む繁殖テリトリーの特定が不可欠となる。営巣場所は巣を架けるに十分な大木が特定の場所に存在していなければならない。この位置は、巣からの距離だけで決まるものではない。特定の場所とは、標高・隣接ペアの巣との距離・斜度・周囲の林の要素が満たされねばならず、かなり限定されている。このような基本的な生態の理解の上で、調査計画を立てる必要がある。 
4. 結論
 徳山ダム建設計画地域となっている揖斐川上流地域は、他の地域では見られないほど複数の個体が存在しており、本来の意味での地域個体群の保護を考えるべきフィールドである。この流域に生息するイヌワシとクマタカが必要としている環境はどのようなものかという、2種の生息環境利用について解析を行えば、今回の水公団の調査結果のようにペア毎に見ることでは十分データが入手できない場合でも、この2種についての一定の考察は可能といえる。その種の生息環境利用を把握し、その上でペアも含めた各個体に対するその環境の機能を明らかにしていく調査解析方法をとるべきである。この手法を用いなければ、さまざまな保全対策を立てたとしても、対策の根拠があいまいなため意味をなさない。
 データが取れないためにわからなかったことを判定できたことにしてしまったり、不明個体とされたデータを単純に捨ててしまう調査では、資金と労力をかける意味が無いといえる。
 また、このまとめに至る中では具体的な影響を検証する時間がなかったが、野生動物の生息実態、特にその地域における猛禽類の生息状況やその特性を正確に把握しようとするならば、このような調査と大規模な環境かく乱を起こしつつ進められる予備工事を、調査地内で同時進行させることはあってはならない。
 最後に、この他に指摘すべき問題点として資料そのものの問題点がある。この調査資料は事業主体の自主的な調査結果のまとめであり、かつ制度としての環境アセスメントのような市民への公開・説明を前提としたものではない。公的な資金を大量に投入した結果の調査報告が、観察した日付順の生データの束と事業者としての解析結果を羅列しただけのものであり、これらの結果を導いた道筋を説明する文章がつけられていないことは理解に苦しむ。今回追加資料として要望したような基本的な説明資料を添付するのは、調査実施主体の責任ではないだろうか。
 また、調査及び解析対象とされた猛禽類がイヌワシとクマタカのみで、調査された2種と制度的には同じ位置付けがなされているオオタカ(p265〜266)をはじめとする猛禽類は、たとえ繁殖期に観察されていても解析・評価対象とされていない。このような状態ないしは認識は、改善されるべきである。
 以上述べてきたように、今回の徳山ダムにおける猛禽類調査は、地域の生息状況を把握したいわゆる「スクリーニング調査」ができた段階であるのが現状と考えられ、解析に必要な十分な調査がなされたとはいえない状況にある。一度全ての計画及びそのスケジュールを見直し、自然保護と開発活動に関わる自然環境調査のあり方を論議すると共に、猛禽類の地域個体群としての環境保全に必要な措置とその根拠とは何かを再検討すべきといえる。」

3 水公団の調査報告の基本的問題点
 1) 日本自然保護協会の指摘
日本自然保護協会の総務部長で、今回の検証作業にも加わった横山隆一氏は、同協会の機関紙(「自然保護」2000年3月号、甲18)で、今回の水公団の調査報告の基本的問題点を次のように指摘している。
「 @調査開始の段階で影響(開発との関係)の有無を判断し、調査対象を限定した。しかし、対象外としたものが予想に反して開発地域を利用していることは途中で確認された(報告に記入されていた)が、調査対象に繰り入れていない。これはイヌワシで顕著で、調査対象外とされたペアの影響評価ができていない。
 A個体識別を基本とする最新の調査方法をその方法を知った時点から採用したが、その方法に見合った調査体制を敷かなかったこと。同時に観察する範囲をあまりに広くとったことなどから、個体識別までできた観察記録はわずかしか集められなかった(クマタカではわずか一割)。ところがそれでもマニュアルどおりに結論を導こうとしたため、観察記録を積み上げて重要な範囲を浮き彫りにするのではなく、想像のような推測に頼らざるを得なくなったこと。資料に描かれた猛禽類の利用範囲の線は詳細なものだったが、このような方法で導かれた結果では保護対策の基礎資料には使えない。
 B資料は個体識別できなかった記録が非常に多いのが特徴(特にクマタカでは九割)だった。しかし個体識別にこだわれというマニュアルに縛られすぎたばかりに、このデータを解析に用いず事実上捨てていた。このデータも、その種がその場所を利用したという確かな観察記録ではあるので、活用すれば猛禽類の生息状態はもう少しよくわかるといる。
 C調査中に予備工事や環境改変はすすめられ、「繁殖活動が行われている際の生息環境利用状況」などありのままの生息実態がつかめていなかったこと。水公団は保全対策の目標を「繁殖活動の維持」に置くとしながら、繁殖活動を継続観察できる環境を維持しなかったのは自己矛盾である。
 このようなことから、本格的な調査や解析を始める準備ができた段階と見るしかない、というのがNACS-Jの検証結果であった。」
 2) 限定された保全目標の設定
 このような問題点は、水公団の掲げるワシタカ類の保全目標の設定と関連する。すなわち、水公団は保全目標を、「繁殖活動ペアの繁殖環境の保全−『ダム流域個体群の繁殖活動の維持』を目指して−」としているように、各繁殖番いの繁殖活動に関わる生態を重点的に把握することを保全目標としている。そのために、調査にあたっては個体識別が重要となり、個体識別のできないデータは考慮の対象外とされた。しかし、個体識別のできた観察記録がわずかで(イヌワシで3分の1、クマタカで1割)、個体識別のできていない観察記録が圧倒的多数の場合には、頭を切り替える必要があった。
 そもそも、繁殖活動を保護していくためには、健康なオスとメスの存在、繁殖活動をしていない個体の存在が前提となり、「地域個体群の保護」が求められる。そのように保全目標が切り替えられるべきであるし、そうすれば観察記録を有効に活用することができるのである(上記調査に水公団は年間に8000万円をかけている)。

4 水公団の見解と日本自然保護協会の批判
 1) 水公団の見解
 水公団は、同協会の「『公開資料』添付文書」に対して、1999年12月10日、「(財)日本自然保護協会『添付文書』に対する水資源開発水公団としての見解」を発表し、「実務者としての水資源開発水公団としての立場に立てば、全てのご意見を受け入れることは極めて困難」、「徳山ダムは(治水・利水のため)必要不可欠な施設」、「完成工期の遅延は(事業費の増嵩、治水効果の遅れを招くので)許されるものではない」という立場を表明した(丙13)。
さらに、2000年2月29日、水公団は、「徳山ダム周辺の希少猛禽類とその保全(第T編希少猛禽類に関する調査結果と保全対策、第U編(財)日本自然保護協会との協定に基づく調査資料の適正公開と『添付文書』に対する考え方)」を発表した(丙14)。この中の第II編において、同協会が『添付文書』で指摘したいくつかの項目について追加的な解析を実施しつつも、一方で第T編では希少猛禽類の影響予測、保全対策を示すことにより、本体工事に着手しようとしている。
 2) 上記への日本自然保護協会の批判
 しかし、上記見解に対しては、同協会から2000年3月14日に発表された「徳山ダム建設予定地周辺の猛禽類の保全に関する意見書」において、次のような問題点を指摘されている(www.nacsj.or.jp/detabese/tokuyama/tokuyama-index.html日本自然保護協会のホームページを参照)。
「1. 当協会は『添付文書』において、「徳山ダムにおける猛禽類調査は、地域の生息状況を把握したいわゆる『スクリーニング調査』ができた段階であるのが現状であると考えられ、解析に十分な調査がなされたとはいえない状況にある。一度全ての計画及びそのスケジュールを見直し、自然保護と開発活動に関わる自然環境調査のあり方を議論すると共に、猛禽類の地域個体群としての環境保全に必要な措置とその根拠とは何かを議論すべきといえる」と指摘した。しかし、水資源開発水公団が2月に発表した「徳山ダム周辺の希少猛禽類とその保全」は、調査段階をとびこえ、影響評価、保全対策の段階にまで一気につきすすもうとするものであり、同水公団が掲げる「治水・利水と環境保全の両立」という基本姿勢に反するものである。
2. 影響評価、保全対策には30頁ほどが充てられているが、この影響評価、保全対策を妥当と判断した専門家の氏名が全く記載されていない。水資源開発水公団が委嘱していた徳山ダムワシタカ類研究会委員は4名のうち3名が辞任し空中分解状態にあり、また今後委嘱予定の徳山ダム環境保全検討委員会は発足前であるため、この影響評価、保全対策は同水公団が事業者の立場で自ら判断し記述したものと考えられる。このような猛禽類の専門家のチェックを経ていない影響評価、保全対策を発表することは、「自然生態系の頂点に存在すると同時に個体数の減少が危惧されている希少猛禽類の生息環境の保全が極めて重要であることに着目して、その専門家の知見の吸収に努め、効果的な保全対策の立案に努めてきた」という同水公団の希少猛禽類保護への取り組みの努力を無にするものである。」
 続けて、同協会は事業者である水資源開発水公団総裁、ならびに監督責任を有する建設大臣、希少猛禽類の保全に責任を有する環境庁長官に対し、次のような意見を述べている。
「1. 水資源開発水公団総裁は、徳山ダム本体工事にともなう入札手続き等を一時中止し、猛禽類に関する調査報告書の作成および影響評価を正しくやり直すべきである。また猛禽類調査、影響評価、保全対策は、事業者の判断のみで実施するのではなく、猛禽類専門家の客観的な判断を尊重すべきである。
2. 建設大臣は、水資源開発水公団に対して、猛禽類調査の追加等の不備の是正、影響評価と保全対策のやり直しを指示すべきである。とくに影響評価にあたっては、建設省に影響評価審査会を設置し、猛禽類の専門家の客観的な判断が、今後のダム建設事業に対しても担保されるようにすべきである。
3. 環境庁長官は、希少猛禽類の保全に責任を有する立場から、水資源開発水公団の希少猛禽類調査の結果を入手し独自に分析して技術的助言を行うとともに、調査が適切に実施され、影響評価ならびに保全対策が妥当であると認められるまでは、ダム本体工事に着手しないよう、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存法に基づいて、必要な助言又は指導を行うべきである。」

5 その後の日本自然保護協会のコメント
 その後も日本自然保護協会は、水公団の発表などに際して随時、次のようなコメントを発表している。
1) 水資源開発水公団・徳山ダム環境保全対策委員会の設置に関するコメント(上記日本自然保護協会のホームページ参照)
 2000年4月23日、日本自然保護協会は、上記委員会の設置に関して次のようなコメントを発表した。
「水準の高い対策、価値のある効果を発揮する対策は、残念ながら採り得ないと思われる
 岐阜県の徳山ダム建設事業をすすめている水資源開発水公団は4月21日、新たに「徳山ダム環境保全対策委員会」を設置すると発表しました。同水公団はこれまで「徳山ダム環境調査会」「徳山ダムワシタカ類研究会」を設置し、徳山ダム建設工事による自然環境への影響等の検討を行ってきましたが、平成12年度にダムの本体工事が開始されることから、ダム建設事業に関わる環境保全対策について、より総合的な観点から専門家による指導・助言を得ることを目的として設置するものとしています。
 しかし、NACS-Jでは、昨年末に発表された、同水公団による猛禽類の生息環境利用状況の調査の不備。問題点を多数指摘しており(詳細は1999年12月10日掲載の記事をご覧下さい)、今回の委員会の設置に関しても以下のようなコメントを発表しました。
 『 この事業においては、人やテーマを変えながらいろいろな委員会が作られてきた。しかし、事業を計画どおり、かつ予定通り進めるという前提が何より強いため、自然環境の保全に優先順位をおく考え方は常にしりぞけられてきた。
 今回、資料では「効果的な保全対策の実施」と説明されてはいても、ダムによって計画どおり流域を広範囲に水没させること、長期にわたって環境を撹乱せざるおえないダム本体建設を中心とする工事に既に日程として組まれている中では、水準の高い対策、価値のある効果を発揮する対策は、残念ならが取り得ないと思われる。大型の猛禽類に関していえば、それは、生息する個体数が十分でかつ繁殖ペアにおいてはその成功率が高い状態にある自然環境の維持である。
 今からでも、そのような状態を目標とした議論をするべきではないか。また、そのような議論が交わされてそれが実現するか否かが、この委員会の価値を決めるもっとも重要な要素と思われる。』」
2) 水資源開発水公団による徳山ダムのワシタカ類モニタリング結果の公表に対するコメント(上記日本自然保護協会のホームページ参照)
 2000年9月7日、日本自然保護協会は、上記結果の公表に関して次のようなコメントを発表した。
「この地域が猛禽類の生息地としての重要な地域であることを再確認するもの
徳山ダム建設事業による猛きん類生息地などへの悪影響を懸念しているNACS-Jでは、ダムの建設主体である水資源開発水公団が実施し公表した、ダム建設予定地周辺でのワシタカ類のモニタリング調査結果に対して、以下のようなコメントを発表しました。
『1、徳山ダムのワシタカ類モニタリング調査の結果、イヌワシの幼鳥2羽、クマタカの幼鳥1羽、オオタカの幼鳥2羽が確認されたことは、この地域が猛禽類の生息地としての重要な地域であることを再確認するものである。
2、イヌワシに関しては、日本自然保護協会の添付文書の指摘によって、Dペアのみならず、Fペアについても調査したことは評価できるが、幼鳥と若鳥の区別がついておらず、さらに調査を続ける必要がでてきたといえる。
3、クマタカに関しては、ダム工事に関係する8ペア(繁殖活動ペア6)のうち、幼鳥確認は1羽のみであり、しかも付帯工事には関係しない最下流のペアである。付帯工事が進行している地域では、クマタカの繁殖が確認できなかったという事実を重大に受け止め、付帯工事がクマタカの繁殖に与えた影響をもう一度再チェックすべきであろう。
4、ダム工事にともなう猛禽類への影響が、工事中もモニタリングされるのは、今回がはじめてのケースである。モニタリング調査の結果は、途中経過を公表するだけでなく、今後の工事計画にフィードバックされなければならない。』」

6 本件事業認定処分との関係
 被告は、第六準備書面において、日本自然保護協会の意見書などはいずれも「事業認定後の事実」であり、事業認定の適否の判断に影響を及ぼさないと主張している(p5)。しかし、重要なことは、水公団の猛禽類調査が行われたのは1996年5月から1998年9月までであり、本件事業認定処分時(1998年12月)にはその観察記録のとりまとめはすでに行われていたということである。すなわち、事実はすでに存在したのであり、後はその評価の問題である。「事業認定時に存在していた事実」に対して適正に評価ができているかどうかは、まさに事業認定の適否の判断に他ならない。日本自然保護協会の意見書などは「事業認定時に存在していた事実」についての指摘であって、これは本件事業認定の適否の判断、つまり本件事業認定処分に影響を及ぼす事実に他ならない。

7 小括
 被告は準備書面において大型猛禽類(ワシタカ類)保護のためになすべきことをしているかのように主張している。しかし、現状は、大型猛禽類の「地域の生息状況を把握したいわゆる『スクリーニング調査』ができた段階」でしかなく、どのような保全策が適切かはさらに今後の問題である。水公団の行っている保全策は、前提を欠いたものでしかなく、現状に適合しないものとしか言いようがない。本件事業認定は、大型猛禽類の保護について、事実にもとづいた判断がなされておらず、合理性に欠けると言わなければならない。
 徳山ダムの建設は、自然環境、特に大型猛禽類の生存に壊滅的な打撃を与える。これを回避するには、ダム建設工事を全て中止する以外に方法はない。

第5 まとめ
1 上記第3章で述べたように、水公団が建設する徳山ダムについても、その建設理由となっている新規利水開発の必要性が根拠づけられないならば、本件事業は、事業の必要性がなく、収用法20条3号の事業認定要件を欠くのである。したがって、それだけで、本件事業認定処分は取り消されるべきであり、それ以上の事業認定要件該当の検討は必要でない。
 被告は、徳山ダムの目的として、流水の正常な機能の維持と揖斐川の洪水調節、それに発電をあげ、また、環境対策の実施を述べ、これらを本件事業が収用法20条3号要件(事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するもの)に該当する理由にしている。上記のように新規利水開発目的の欠如だけで、すでに本件事業認定処分は収用法20条3号の事業認定要件を欠いており、このようなことは検討する必要はないが、被告が主張しているので、上記1〜4で付加的に検討した。

2 流水の正常な機能の維持の目的の一つは渇水対策で、木曽川水系における異常渇水時に緊急水を補給するとされている。しかし木曽川水系においては、「渇水」はダム依存水利権についてのもので、それは、気象を前提としつつも、基準流量の設定という人為的な要因によって発生している。また、木曽川水系のダム開発水は大幅に余剰で水余り状態である。そして、基準流量は豊富な余剰のある既得農業水利権流量や河川維持流量の確保のために設定されているので、これらとの調整によって、ダム依存水利権の「渇水」や実際の水使用への影響は回避可能である。徳山ダムの渇水対策の水を木曽川水系で利用するためには、揖斐川から取水して、長良川を越えて木曽川まで導水しなければならない。徳山ダムだけでは利用できないのである。そして、揖斐川から木曽川への取水・導水施設はなく、その建設計画もない。このような徳山ダムの渇水対策用水は渇水対策の意味がなく、また、費用対効果も均衡を失している。
 また、流水の正常な機能の維持の目的のもう一つは、揖斐川の確保流量のための不特定補給である。揖斐川では、既得水利権(農業用水)の利用や農業被害には問題は生じていなし、また、河川維持流量として問題になることも生じていない。確保流量を確保することによって得られる効果に比べて費やされる費用(貯水容量から、洪水調節と同じ費用負担割合である)があまりにも高く費用対効果の均衡がとれていない。

3 洪水調節については、揖斐川の洪水防御計画として、徳山ダムによる洪水調節が最適な洪水防御計画であることは明らかでない。
 河川が全体として防御対象とする基本高水のピーク流量からみると、揖斐川の基本高水のピーク流量6,300m3/秒は、その年超過確率が防御対象の計画規模である年超過確率1/100を大きく上回っており、過大な流量である。基本高水のピーク流量が防御対象の計画規模である年超過確率1/100程度の5,300m3/秒(大きめにみても5,800m3/秒)であれば、ダムによる流量削減に安易に依存する可能性は乏しくなる。
 徳山ダムは、万石地点より上流の揖斐川全集水域に降った雨水の20%しか貯めることはできないので、徳山ダムの洪水調節による揖斐川の洪水防御効果は限られている。例えば、工事実施計画に記載されている揖斐川の計画高水流量配分図の流量配分のパターン(徳山ダム1,720m3/秒、横山ダム1,080m3/秒の流量カット)になる洪水型はなく、防御対象である1959年9月型洪水や1960年8月型洪水では、河道流量は計画高水流量3,900m3/秒を超えるのである。
 洪水防御効果の範囲を広げることができるのは、広い流域面積をカバーする対策である。洪水が流れる河道での対策は、洪水は河道に流入するので、洪水の防御範囲からは100%であり、河道でどの程度の防御が可能か十分に検討する必要がある。そのうえで、河道の洪水防御の負荷を低減するため、流域での河道への流入低減や河道からの流出を検討すべきである。ダムによる流量削減はこれらの後の最後の洪水防御方法である。
 計画河道にすると、洪水、例えば6,300m3/秒が流れたとき、水位はどのようになるのかを明らかにすることが、まず必要である。そのうえで、部分的に水位が高くなる区間では、何が原因で水位が高くなるかを検討し、河道での解決方法を検討することが必要である。
 揖斐川の場合、現況河道から計画河道に改修されると、粗度が改善され、水深が増大し、河積が増大する。それぞれが原因となって、計画高水位以下で流過させうる流量は増大する。
 部分的な水位の上昇に対しては、原因に応じて、河道内での部分的河積の増加が可能である。そして、部分的に計画河積自体が小さいときは、その部分の計画河積を増加することによって上下流と同じ程度まで河積拡大させることを考えるべきである。
 また、計画堤防高を変えずに余裕高を河川管理施設構造令での揖斐川の基本高水のピーク流量にあった基準にすれば、計画高水位が上昇するので計画高水位以下の流過能力は増大する。
 以上のように、計画河道や河道の状態を変化させた精確な流過能力検討すること、それに基づいて各種の河道改修を検討することが必要である。
 以上のことが全くなされておらず、徳山ダムによる洪水調節が最適な計画案であることは明らかでない。

4 現在の電力需給事情からみて、揚水発電は中部電力はもちろん他の電力会社の中止しており、徳山ダムの発電目的は必要性が全くない。

5 徳山ダムの建設は、自然環境、特に、徳山村の生態系の頂点に立っているイヌワシ、クマタカの猛禽類の生存に非常な打撃を与える。日本自然保護協会が水公団の資料等を検討して、幾度かそのことを指摘し、警告している。
 徳山ダム建設による自然環境への打撃を回避するには、ダムの建設による自然改変を中止する以外にない。

6 以上の通り、被告が主張する流水の正常な機能の維持、揖斐川の洪水調節、発電、また、環境対策の実施は、いずれも必要性や根拠がなく、土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものとはいえない。したがって、これらは、本件事業が収用法20条3号の事業認定要件に該当する理由とはならないものである。



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