やめよ!徳山ダム No.65 (2005.10.12)


一体何回徳山村の人を欺くのか?

〜「公有地化事業の進展」の不思議〜


 10月7日、「第5回徳山ダム事業費管理検討会」が開かれ、「事業費を負担している岐阜、愛知、三重の三県と名古屋市は、ダム上流の旧徳山村民有林の公有地化事業について、地元の揖斐川町が事業主体として加わることで了解した」(岐阜新聞10/8朝刊)とのこと。中日新聞は「反対表明をしていた地権者代表の八地区会長会からも理解が得られているという」と報じていますが、「これまで反対表明してきた地権者には何の新たな提案もない。私らが納得しているはずがないのに、会長会が了承するのはおかしい」とおっしゃる地権者の方も(複数)おられ、何やら魑魅魍魎の世界も窺われます。 
 そもそも「公有地化事業」は、西谷道路(*1)を建設するのは、環境対策コストを考慮すると財政的に不可能だから、その建設費を「ダム周辺の山林保全措置制度(*2)」に充てるというものです。249億円を注ぎ込んでも、西谷道路は出来ない、ということです。

 *1:揖斐川を遡ると、徳山村本郷で東谷−本流−と西谷に分かれる。西谷には、上開田、戸入、門入の集落があった。上開田は本郷にほぼ接しているが、戸入、門入はかなり奥である。むしろ、昔は、門入の方が、近江に向かって開けていたとも言える。門入、戸入、という名称はそれを表している。

最後にしないぞ  恒例:徳山村キャンプ

camp2005-yameyo.jpg  8月20日(土)−21日(日)、徳山村「塚」集落跡で10回目の「恒例:徳山村キャンプ」を行いました。 約50名参加。バーベキューの途中、少し雨が降りましたが、「万全の構え」で、濡れずにすみました。参加者は、さまざまな運動を主体的に担って居られる方が多く、自己紹介も雑談も大変有益なものでした。ダムの湛水強行を許さない、自然破壊を許さない、との思いを新たにしました。

 *2:2000年度概算要求をするの際し、国交省河川局が創設した予算措置。通称「公有地化事業」。徳山ダム以外にも適用事例はあるが、規模は比較にならないほど小さい。参照:平成12年度河川局関係予算概算要求概要 <ダム周辺の山林保全措置制度の創設>

 1986年に「甲 岐阜県揖斐郡徳山村 徳山村村長 徳山村議会議長/乙 水資源開発公団 理事 中部支社長/立会人 岐阜県 岐阜県知事」という形で締結された公共補償協定は、ダム湖に沿って西谷に入る道路を確保する、というものでした(図参照)。集落としてはダム湖に水没しない門入では、「故郷の山への往来を保障する」との約束があるから移転補償に応じた、という人も少なくありません。実際、雪のない間中は門入に暮らしている方も居らます(大分少なくなってしまったが、今も暮らしておられます。「定年になったら門入に帰って暮らすつもり」という方も居られます。) 
 2001年春、旧徳山村を編入合併した藤橋村と水資源開発公団(現水資源機構)が、旧徳山村の方々には何の相談もなく、いきなり公共補償協定を変更し、「岐阜県を事業者とする公有地化事業」を既定方針として発表しました。公共補償協定締結の経緯からして、地権者に何の相談もなく、「徳山村を引き継いだ藤橋村」と水公団(及び立会人・岐阜県)だけで公共補償協定を変更するのは無理があります。私−近藤−の知る限り、徳山村の方々は、今もってこのような「協定変更」を受け容れていません。

 国や水機構が「環境」などと言い出す前から、残存山林の管理の「問題」は存在しました。経過を追ってみます。

・1996.春 徳山ダム審議会に「徳山ダム残存山林を考える会(会長H氏)」から、要望書が出される。「故郷から離れて、残存山林の管理もままならない。公有地として買い上げてほしい」。6月の公聴会でもH氏、同旨の発言。
 
それまで数年にわたって水公団、岐阜県、藤橋村に要望してきたとのこと。岐阜県水資源室(水資源課の前身)は、今後話し合って行こうとH氏らに約束。
・1999.5月 「西谷道路建設工事の影響で、クマタカFつがいの育雛失敗」が明らかになり、一時工事も止まる。
・1999.12月 水公団は3年間のワシタカ類調査の結果分析を依頼したNACS−Jから、「工事を止めて調査すべき厳しい意見を受けとると、直ちに「それは出来ない。予定通り工事を続ける」と発表。
・2000.5月 「徳山ダム本体起工式」でH氏は村民代表として鍬入れ式に参加。挨拶で「残存山林問題が解決していない」と訴える。
・2000.9月  藤橋村島中村長は「ダム周辺の山林保全措置制度」創設の方向で事務作業を進める方針を明らかにし、下流自治体に意向を伝える。(地権者には伝わっていない)
・2001.3月  岐阜県、大垣市など揖斐川流域25町村、水公団は「徳山ダム上流域の公有化に関する確認書」を締結。藤橋村と水公団(立会人=岐阜県)は「公共補償協定書(S61.3.15)の一部を変更する協定書」に調印。同時に岐阜県を事業者とする「公有地化事業」を既定方針とする。

<図> 1986年3月15日締結「公共補償協定」 「付替道路等の基本計画」付属地図(「徳山ダムの記録」p467より)
 この「公共補償協定」では、ダム湖を全て巡る道路が計画されている。今は本流(東谷)左岸の国道417号線のみが「建設中」となっている。

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 後に、この「西谷道路を作らない、残存山林は全部公有地化する」という方針は「ありのまま残そう大作戦−環境への配慮のため−」と喧伝された。
・2001.5月 旧徳山8集落の残地代表者連名にて協定変更に抗議。公共補償協定の遵守を申し入れ、「対応策の具体化まで共有地及び私有地への調査立入禁止」とし、一時工事はストップした。
・2002.3月 水公団は、「管理会長会」で説明会実施状況について総括を発表。「協定変更及び公有地化について白紙撤回しない」「各集落から出された申入書は撤回してほしい」
・2003年中、岐阜県と水公団(水機構)は「お詫び説明会」に終始。
・2003.12月  
水資源機構が、中部地整事業評価監視委員会に、「公有地化事業」の資料を示す。

 これ以後、前号で報じた「八地区の会長」連名−八地区会長会名−での強硬な申し入れまで、特に表だった動きはありませんでした。

 「環境に配慮すると、249億円かけても造れない」ということで、西谷道路は作らない、公有地化する、としたのです。249億円+アルファ(岐阜県・愛知県・三重県が出す?)で、「道路も公有地化も出来る」という話は、根本的に「おかしい」。
 旧坂内村からホハレ峠を越える道路を作るというのは「悪くない」案かもしれません(私−近藤−はホハレ峠は、その名称もたたずまいも大好き。林道が崩れて通れなくなっていることは残念に思っています)。しかし、環境に配慮し、かつ「距離は長くても往き来しやすい道路」を作るとしたら、巨額の建設費が要ります。お金は一体どこから出てくるでしょうか?上記249億円の中で「作業路建設費」は25億円〜33億円となっています。国交省は「公有地化事業費として、この249億円に上乗せすることはあり得ない。全体事業費も(縮減するつもりはあるが)、増額は全く考えない」と言い切っています。
 公有地化を望む地権者からの買い取り資金216億円を縮減して捻出するのでしょうか?もしそうなら、それはそれで、到底受け容れられない地権者も居られる(意向は纏まらない)。
 財政状況が逼迫している上に何のメリットもない愛知県や三重県がホイホイと多額の負担をするでしょうか?

 こうなると「西谷道路ではない作業路を建設して、故郷の山林にアクセスできるようにする」というのは「永遠の幻」ではないか、と思えてきます。

 揖斐川町主体で、岐阜県も水機構も列席して、賑々しく「作業路の着工式」くらいはやるかもしれません。後は「予算が足りない。財政が厳しい」で、道路らしい道路は一体いつ出来るのやら分からない状態−軽の四輪駆動がやっと通れる道は造るかもしれない、奥に国有林もあるから−のまま、長々と放っておかれる…そのうちに、先祖から受け継いだ「山」に思い入れを持つ人は死に絶える、で、話は立ち消える…。
 誤魔化しでも何でも、とにかく残存山林の地権者の「湛水の同意」をとってしまう、後は「釣った魚に餌はやらない」で行く、ということにならないでしょうか? 
 これまで「公共事業」「ダム事業」で余りにも繰り返されてきた構図です。国側の「騙すつもりはなかった。難しい問題があって、時間がかかった。結果的に当初の話通りにならなかった・結果論」という言い訳も山ほど聞きました。
 またまた「強者にだけ都合の良い論理」で、ダム水没地の方々は翻弄されるのでしょうか? (文責:近藤)


河川法改正趣旨たる「住民参加」は押し流されるか?

 〜異常なスピードの河川整備基本方針策定(1級河川)〜


 1997年河川法改正により定められた「河川整備基本方針(=河川法第16条:以後「方針」という)」は、各河川の治水計画の根幹をなすものです。この策定過程には一切市民・住民参加の規定がないという意味で大きな問題があり、またこれまで策定された「方針」は、1960年代後半〜70年代前半の(対象とするデータ数も少ない中で)過大に設定された基本高水流量を追認し続けてきたという問題もあります。 
 この「方針」を審議する「社会資本整備審議会河川分科会河川整備基本方針検討小委員会」の第1回は2001年11月27日、第2回は2001年12月19日に行われました。2002年に2回、2003年に4回、2004年に6回、2005年4月までに)2回。良かれ悪しかれ「ゆっくり」ペースです。 ところが、この9月からは、

 「第17回」 9/7 庄内川水系、沙流川水系、紀の川水系
 「第18回」 9/16 常願寺川水系、吉野川水系
 「第19回」 9/22 庄内川水系、沙流川水系、紀の川水系
 「第20回」 9/26 常願寺川水系、吉野川水系
 「第21回」 10/3 利根川水系・淀川水系
 「第?回」 10/12 利根川水系・淀川水系

という頻度です。大きな水系の「方針」を1時間×3回程度の審議、1ヶ月ほどで次々と「あげて」しまう、ということのようです。
 しかも、ここで一方的に「審議」に付される基本高水流量の数値は「従前通り」。そのの科学的根拠が疑われています(いわゆる「ダム反対運動系」ではない学者からも疑問が呈されている)。これは一体何を意味しているのでしょう?

 河川法は16条「方針」に基づき、20年〜30年のスパンの河川整備計画(第16条の2)を策定することを予定しています。「16条→16条の2」です。
 しかし各地整はそれぞれ「流域委員会」という名称の、河川法に基づかない委員会(*)を設置し、河川整備計画の議論の場を作ってきました。

*淀川水系流域委員会は、発足当初その規約で
第1条 河川法(昭和39年法律第167号)第十六条の二第3項に規定する趣旨に基づき,近畿地方整備局が「淀川水系流域委員会」(以下「委員会」という)を設置する。
第2条 委員会は、淀川水系河川整備計画[直轄管理区間を基本]の策定にあたり、同河川整備計画について意見を述べるとともに、関係住民の意見の反映方法について意見を述べることを目的とするとしていました。
(今は第2条が変わっている)

 「河川法第16条と河川法第16条の2の時系列(上下関係)をあえ逆転させようとする」ことに、私−近藤−は、ある種の河川管理者の意思を感じ、「積極的なものとして受け止めたい」と考え、特に淀川水系流域委員会に注目してきました(他の流域委員会にも「それなり」の目配りをしてきましたが)。
 「『原則ダムなし』という河川整備計画の議論」及び市民参加の議論が、霞が関「だけ」で決められる河川整備基本方針に反映されるという「逆転」に希望を見出したかったのです。
 しかし、異常なスピードで「河川整備基本方針の審議を『あげて』しまう」、本省河川局河川計画課の今の方向は、私が「積極的なものとして受け止めた」部分のすべてを押し流してしまう、という意思表明に思えます。
 12月3日、淀川水系流域委員会の地元・大阪で日弁連シンポ「河川管理と住民参加」が行われます。将来に希望の見いだせるものになるといいな、と思います。 (文責:近藤)



徳山ダム裁判控訴審 <9月20日の口頭弁論 ◎は裁判長の発言>

◎行政訴訟:「主張は今年度中に出して下さい。証人採用については…。難しい言葉や数字が並ぶ話なので、当面書面でやりとりしてから採否を決めます」
◎住民訴訟:「(徳山ダム事業実施計画変更があったので監査請求をやり直すべきかどうか、という議論につき)変更の程度とかが問題なような気がしますが、控訴人の方の主張はこれ以上ありませんか?場合によっては次回結審します」「すでに支出した分を賠償請求とする件は、被控訴人が不同意なので却下」
 住民訴訟の「監査請求前置の有無」の話は、どう考えても「高裁裁判長の、判例読み取りの大誤解」。これで「控訴却下」なら、上告するしかない、という意思を確認しています。

次回は 11月21日(月)13:30〜 行政訴訟・住民訴訟


   日弁連公害対策・環境保全委員会35周年記念連続企画 シンポジウム 「河川管理と住民参加」

 日時 : 2005年12月3日(土)午後1時〜5時
 場所 : 大阪弁護士会館
 参加 : 無 料/事前申込不要(直接会場へお越し下さい)
 内容 : 特別報告及びパネルディスカッション
<特別報告> デイビッド・L・ウェグナー氏 (岩波書店「ダム撤去」執筆者)
<パネリスト> 国土交通省河川局(交渉中)/大熊孝氏(新潟大学工学部教授)/宮坂正彦氏(砥川流域協議会座長)/地方自治体(交渉中)/在間正史弁護士(日弁連公害対策・環境保全委員会委員)
 ◆主催 : 日本弁護士連合会・近畿弁護士会連合会・大阪弁護士会
 ◆問合わせ先 : 日本弁護士連合会人権第2課  TEL 03-3580-9512


徳山ダム建設中止を求める会 代表:上田武夫
                      編集責任:近藤ゆり子


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