徳山ダム建設中止を求める会・事務局ホームページ



徳山ダム裁判 控訴審第1回口頭弁論 (名古屋高等裁判所 合同庁舎2号法廷) 2004年7月13日

《意見陳述書》

事業認定取消及び収用裁決取消請求訴訟


平成16年(行コ)第4号 徳山ダム事業認定取消および収用裁決取消請求事件

控訴人 近藤ゆり子 外73名
被控訴人 国土交通大臣 外1名  参加人 独立行政法人水資源機構 外


意 見 陳 述 書

                           2004年7月13日

 名古屋高等裁判所 民事第4部 御中

                 控訴人 近藤ゆり子代理人
                             弁 護 士   森  弘 典



第1 はじめに
   2002年(平成14年)12月25日に原審の弁論が終結したが、その後、徳山ダムを巡って大きな動きがあった。
 1 建設事業費の増額
   2003年(平成15年)8月になって、水公団は、突如として、「総事業費が1010億円を上乗せした3550億円となる」との見込みを発表した。
   この事業費増額に対して、各自治体が一斉に非難し、中部地方整備局事業評価監視委員会でも、「(事業費を使い切る直前まで増額を明らかにしなかったのは)悪しき先送り作戦といわれても仕方ない」などの意見が相次いだが、増額幅が1010億円から960億円とされたのを契機に事業推進が了承され、その後、各自治体もこれを受け入れる方向に転じた。
 2 需要予測の下方修正
   また、原審判決後の2004年(平成16年)2月、3月、愛知県、岐阜県、名古屋市が相次いで需要予測を大幅に下方修正させ、徳山ダムからの新規利水を半減させた。そして、徳山ダム事業実施計画の土台となっているフルプラン全部変更は、6月15日に閣議決定され(6月24日告示)、利水容量は事業認定処分時の55%(当初計画の44%)となった。
 3 このように、原審の弁論終結後にも、水需要予測が過大であることが改めて明らかになってきたのであり、本件事業認定処分における利水上の必要性の根拠は大きく揺らいだ。
   にもかかわらず、原審は、次に述べるように、控訴人の主張に全く耳を傾けず、否、控訴人が主張してもいないことを曲解までして、他方、被控訴人さえ主張してもいない理由を根拠として、行政裁量を極めて広く認める判断をしてしまった。

第2 原判決の問題点
   原判決の主な問題点を5点述べる。
 1 まず、第1に、控訴人が「本件事業において、新規利水目的を欠くことは徳山ダムを水公団が公団法に基づき設置する法的根拠を失う」と明確に主張してきたにもかかわらず、原審が「新規利水目的が他の目的すべての前提となると解すべき文理上の根拠はない」(原判決p96)として、新規利水(都市用水の確保)に重きを置いた判断をしていない点である。
   繰り返し述べてきたことであるが、水公団は水資源開発基本計画に基づいて水資源開発施設を建設することを業務とする特殊法人である(公団法18条1項1号)。水公団は、水資源開発施設として、新規利水の目的なくしては施設の建設等の業務はできず、洪水調節、流水の正常な機能の維持と増進といった治水関係用途の目的は、新規利水の目的が成り立つことを前提にして、それに付加された付随的な目的である。
   したがって、新規利水の目的が認められるか否かがまず判断されなければならず、この目的が認められなければ、本件事業は、他の目的について判断するまでもなく、その根拠を失い違法となる。原審はこのような新規利水の目的の位置付けを全く理解しないまま漫然と判断してしまっている。
 2 第2に、原審が極めて広い行政裁量を認めてしまっている点である。
   原審は「(事業認定権者の)判断は、事柄の性質上極めて政策的、専門技術的なものであって、洪水調節、利水、発電等の社会公共の利益を増進する見地からの判断が要求されるから・・・事業認定権者の裁量を尊重して判断すべきものと解するのが相当である」(原判決p100)として、極めて広い行政裁量を認めてしまっている。
   このため、「公団の推計方法が不合理であると断定することはできない」(原判決p106)とか、「確実な根拠がない限り、・・・不合理であると断定することができないというべきである」(原判決p108)などの極めて消極的な判断が散見される。
   しかし、実績と予測が乖離しており、実績値の推移から水公団予測値への連続性を見い出すことができないことは、グラフで見れば一目瞭然である。
   当の被控訴人大臣側でさえ、当初提出された水需要予測の資料を実績値との間で乖離があると門前払いし、過去の実績との関係で合理的な値か否かを明らかにするよう水公団に指示しているのに、同じように実績値と予測が異常なほど乖離しているその後の水公団の予測結果につき専門性、技術性を理由に広い行政裁量を認める余地はない。
 3 第3に、余剰の水があることが政策的に正しいとしてしまっている点である。
   原審は「予測と実際が異なったときにも支障を生じないだけの余裕を見込む必要がある」「水不足の事態を生じるよりは、余剰水がある自体の方が政策として安全かつ妥当であろう」(原判決p120)としている。
   しかし、大は小を兼ねる、余裕があればいい、というものではない。余剰の水があるというのは、決して供給に余裕があるということではなく、無駄な施設を建設して支払不能な財政負担を負ってしまったということを意味する。施設は不要なものとなるだけではなく、建設費の負担は無駄になって回収できないばかりでなく、さらに必要もない維持管理費の負担を残すことになる。莫大な建設費、維持管理費は、地方財政を圧迫し、破綻させるおそれもある。先ほど述べた昨年来の徳山ダム建設費増額騒動で関係自治体が水利権返上を図っているのは、そのような危機に直面しているからに他ならない。
 4 第4に、原審が水需要の結論の合理性に対する判断をしていない点である。
   原審は、まず、徳山ダム建設の根拠となる水需要予測の結論部分である水需要予測値が、水需要実績の推移に連続性があって適合する合理的なものかどうかを判断しなければならなかった。
   しかし、原審は、データの取捨選択、推計手法の選択について、「不合理とは言えない」などとして被控訴人の主張をすべて容れているが、そのような「不合理とは言えない」ということの積み重ねと、「政策的、専門技術的」、「長期的、先行的」、「余剰の水がある事態の方が政策的に安全かつ妥当」などの言い訳によって、水公団予測や被控訴人の水需要予測が合理的であると認められるかについて判断せずに、合理的な説明が不可能な結論に全く目をつぶってしまっている。
 5 第5に、「長期的、先行的観点」を理由として、実績と予測の異常な乖離が看過されてしまっている点である。
   原審は「水資源開発施設の計画に当たっては、計画から完成に至るまで長期間を要するという特徴があり、このような施設の整備は、一時的な経済の変更や水需要の状況に左右されることなく、長期的、先行的な観点に立って立案されることが必要である」としている(原判決p104)。
   そして、この立場から、「水資源開発施設の建設は、長期的視野を失うことなく計画的かつ着実に実行されるべきであり、ある時点において、一時的に水の需要量と供給量に差があることは不自然ではない」(原判決p114)とまで述べている。
   しかし、これは、原審が、水公団の予測を「不合理であると断定することはできない」と一方で「消極的に」判示するのみで、合理的であるとの根拠を示していないにもかかわらず、他方で「積極的に」(一時的には横ばいの需要であっても)長期的、先行的には右肩上がりの増加に転じるという立場に立つものであり、自己矛盾と言う他ない。また、本件訴訟で問題となっているのは、本件処分をなした1998年(平成10年)時点で、徳山ダム完成予定である2007年(平成19年)に、遅くとも、水公団予測に用いられた2028年(平成30年)に新規水需要が存在するかどうかであり、9〜20年先の将来に関する予測に合理性があるか否かであって、水需要の実績を真摯に検討すれば、9〜20年後の将来に「予測を超える事態が生じている」可能性がないことは明らかである。

第3 結語
   以上、原判決の問題点を述べてきたが、それでも、原審が「独立行政法人水資源機構としては、早急に水需要予測を見直し、最終的な費用負担者である国民及び県民の立場に立って、水余りや費用負担拡大等の問題点の解決に真摯に対処することが望まれる」(原判決p120)と付言せざるを得なかったところに、実績と予測の異常な乖離が無視することができない事態であることが如実に示されている。
   徳山ダムを推し進めることによる自治体の財政破綻や国の税金の浪費は、まさにこの間の増額騒動によって顕在化している。また、すでに述べたように、新規利水の目的が認められなければ、本件事業は、他の目的について判断するまでもなく、その根拠を失い違法であるが、他の目的についての原審の判断も明らかに誤っている。そして、忘れられてはならないのは、工事が進むにつれ、イヌワシ、クマタカの棲む徳山の自然も大きな破壊を被っているということである。
   しかし、この間の動きを見れば明らかなように、行政内部においては、この動きを食い止めることはできない。
   "ここまで進んでしまったからやむを得ない"ということではなく、まさに原審も述べた「先行的」観点からすれば、"ここまでしか進んでいない今だからこそ"、この動きを食い止めるべきである。今止めなければ、建設費の負担は無駄になって回収できないばかりか、さらに必要もない維持管理費の負担を残すことになる。
   裁判所においては、今こそ司法府の役割を果たし、水機構、事業認定権者といった行政府の暴走を追認することなく、真の意味で最終的な費用負担者である国民、県民の立場に立った判断をされることを切に望む。

                               以上


徳山ダム建設中止を求める会代表:上田武夫


陳 述 書

2004年7月13日

                                上 田 武 夫

… … 健全な生態系の要は生物多様性を保全することにある … …


 徳山は大型猛禽類(イヌワシ・クマタカ)の生息域が複雑に入り組んでいる状況にある。イヌワシ5番い、クマタカ17番い(工事関連区域内にイヌワシ2番い、クマタカ9番い)の行動圏が重なりあっている。
 クマタカもさることながら、イヌワシでは繁殖成功率の低下が懸念されており、繁殖阻害要因の解明が重要なテーマとなっている。イヌワシ、クマタカの繁殖を阻害している最大要因は「棲息環境の質と量の低下」にある。
 2003年6月26日、徳山ダムの工事現場脇の林道で衰弱したクマタカが保護されたが、飢餓によって衰弱死した。この衰弱死したクマタカは継続観察中の9番いのクマタカではなく、フローターとして記録には残すが追跡調査はしないという。しかし、これを「フローター」として片付けてしまわないで精度の高い調査をして保全策をたてる必要があったのにこれを放棄した。「大いに環境に配慮して」と宣伝をしているが、今、棲息しているペアの巣に対する対症療法をしているにすぎない。このまま工事を進めてゆけば、自然環境はますます悪化し、イヌワシ、クマタカが頼りにしている谷の地形や植生、餌動物などの繋がりあっている棲息・繁殖環境をダムの底に沈めてしまうことになる。
 イヌワシ、クマタカなど大型猛禽類は、自然界の健全を示す指標である。今、その減少や絶滅危惧の度合いは、地球上のバランスを崩し、人間の生存を脅かす事態にまで至っている。環境保全に本当に寄与する科学的な検証にあたる『環境アセスメント』の実施を急ぐべきである。
 野生の鳥やけものは、個体数が発達、個体や群れを生活単位として、地域の野生生物界を構成し、種の生活を維持し、生物界の進化史を作ってきた。
 生物多様性とは個体、種、地域ごとの生物の多様さを表すものである。この生物多様性の保全の重要性は『生物多様性条約』と呼ばれる国際条約によって認識されて、日本も締約国であるから『新・生物多様性国家戦略』(02年6月に決定)を受けて具体的な政策を展開させなければならない。
 揖斐川の源流徳山は、生物多様性(健全な生態系)保全のためには、他に類をみない重要なエリアである。北方系のイヌワシの南端にあたるここには南方系のクマタカが共存して棲息している。源流地域は環境が水準以上でないと生態系は維持できない。
 保全目標種(イヌワシ・クマタカ)の棲息環境全体を保全することにより、そこに棲息する他の種の保全も同時に達成される、という意味で、大型猛禽類は『生態系の傘』(アンブレラ種)なのである。


徳山ダム建設中止を求める会事務局長:近藤ゆり子


陳 述 書

2004年7月13日

                                近藤ゆり子

 第1審判決後、数ヶ月を経ずして、各利水者は需要予測の大幅下方修正を行い、徳山ダムからの新規利水を半減させた。徳山ダム事業実施計画の土台となっている木曽川フルプラン全部変更は、6月15日に閣議決定され(6月24日告示)、利水容量は事業認定処分時の55%(当初計画の44%)となった。被控訴人である国(事業認定処分者)が、第1審を通じて「妥当である」としていた水需要予測は、控訴人らの主張通り、架空・過大であることが白日の下に明らかになったのである。
 そして、徳山ダム事業費大幅増額にあたって、木曽川水系水資源開発基本計画全部変更と事業再評価制度をご都合主義的に組み合わせて、徳山ダムの目的・用途は大幅に変更された。私たちの権利を奪った事業認定の対象となった事業計画は崩れ去り、もはや存在しない。それでも「事業認定処分時には・・・」という論法が、まかり通る法曹世界の常識は、市民感覚からはほど遠い。国が事業認定した計画が国によって変更(否定)された以上、私たちの権利を返すべきであるのにそうならない(既成事実が積み上がり、すでに私たちが権利を有していた土地の原形もとどめない)土地収用法の運用のあり方は、憲法29条の趣旨に照らして許されるのであろうか。控訴審裁判所には、そこまで配慮して頂きたいというのが、控訴人としての私の願いである。

1.原判決は日本の司法の恥辱

 原審判決書を読んで、私は驚き呆れた。日本の裁判官の頭の程度というのは、普通の日本語の文章を理解出来ない程の低さなのか、と。
 原審判決のいうところの「原告の主張」は余りにも誤解・無理解が横行している。主張してもいないことを「判断」されては、原告として、納得できるはずがない。
 また原審判決は、いわゆる日光太郎杉事件判決を引用し「本来最も重視すべ諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず、または本来考慮に容いれるべきでない事項を考慮に入れ若しくは過大に評価すべきでない事項を過大に評価し、このため判断が左右されたものと認められる場合には」事業認定は違法になると述べていながら、内実は全く事実審理を放棄・拒絶し、証拠に基づくことなく、控訴人らの主張を否定し、被控訴人(国)の主張を丸飲みしている。
 さらに判決書p119の「こうした地形のもとで更に地盤沈下が進行した場合、洪水への脆弱性が顕在化し、深刻な影響が生じることが明らかである」の部分に至っては、原審裁判所が最低限の経験則さえ弁えていないことを露わにしている。
 原告の主張をねじ曲げ、証拠と事実から目を背けてひたすら行政の判断を追認することを目的化したこのような判決が確定するならば、司法の恥辱であり、自殺行為であると断ぜざるを得ない。この第2審においては、証拠から目を背けず、しっかりと事実判断をして頂きたい。

2.事業認定処分時以降の事情は考慮されないのか?…利水

 上述のごとく、徳山ダム事業の計画は、事業認定処分時とは大きく変わろうとしている。
 「本件水需要予測を是認した建設大臣の判断が著しく不合理だと断定することはできないというべきである。したがって、建設大臣の判断に裁量の範囲の逸脱及び裁量権の濫用はない」とする(控訴人からすれば極めて不当な)判断をした岐阜地方裁判所においてさえ、「当裁判所は、公団の本件水需要予測について建設大臣が平成10年12月にこれを是認した判断が、当時においては建設大臣の裁量の範囲を逸脱するものではないと判断するにすぎないものであり、現時点においてはウォータープラン21の水需要予測の方がより合理的であると推認される。したがって、独立行政法人水資源機構としては、早急に水需要予測を見直し、最終的な費用負担者である国民、県民の立場に立って、水余りや費用負担拡大等の問題点の解決に真摯に対処することが望まれる」と述べている。
 そして、現に6月15日に閣議決定された新・木曽川フルプランは、利水容量において、事業認定処分時の55%に減じている(なお過大・架空である)が、事業認定処分時においても、「将来の水需要」は架空・過大であることは認識できた。そのことは第1審において、私たちが精緻に立証した通りである。

3.法治国家であることは望めないのか?…治水

 徳山ダム事業実施計画は大きく変わろうとしいる。
 「水源施設」としての不要性が露わになった今、「徳山ダムによって揖斐川の治水安全度が大きく向上する」と謳う「新洪水調節計画」(元は「治水計画」という言葉が用いられていた。その呼称をわざわざ変えたことは、「疚しい」ところがあることを自白したようなものである)という治水計画変更がフルプランと事業再評価制度(*1)をご都合主義で組み合わせるという方法でなされようとしている。
*1:国交省中部地整及び水機構中部支社自身による事業再評価を「監視」することになっている中部地方整備局事業評価監視委員会8治水計画の議論などしたくてもするだけの知識のない委員で構成されている)の議論は、つまるところ「ここまでやってしまったから、このまま建設するしかない」という無内容なものであった。 
 「これからは、治水計画変更の際は、バックデータも公開し、住民の皆さんの意見をよく伺って行います」(1996年6月、建設省中部地建河川調査官・上総周平氏の談)という河川法改正趣旨からすれば、「新洪水調節計画」として「未整備ダムを不要とする」まで踏み込んだ治水計画変更(*2)では、河川法第16条の2の手続き(単に形式的なものでなく、この条文を加えた趣旨に則ったもの)が必要である。この手続きを一切飛ばした形で徳山ダム事業費増額に係る事業実施計画変更が行われ、実質的に治水計画変更までなされていくことは、河川法脱法行為であると断ぜざるをえない。
*2:中部地整は、河川法16条の2の手続きをしない理由をいろいろ挙げるが、その一つに「改正に伴う過渡的な措置として『みなし河川整備基本方針・河川整備計画』=現行工事実施基本計画の範囲内である」というものがある。しかし、現行工事実施基本計画の高水計画決定の過程を詳細に記した「木曽川水系工事実施基本計画参考資料 V.基本高水、計画高水流量決定に関する資料 2.揖斐川  建設省河川局 1968年9月」を見れば当然のことだが、単に現行工事実施基本計画の文言からみても、中部地整の言い訳は通らない。仮に「現行工事実施基本計画の範囲内」だとしても、1995年〜1997年にかけて行われた徳山ダム建設審議委委員会において「治水計画」として説明されたものからすれば大きな変更であることは間違いない。
 揖斐川流域住民としての私たちは、膨大な血税を投入して、危険な新「治水計画」を、河川法を僭脱したまま押しつけられようとしている。
 すでに決まったかのようにされている徳山ダム事業費960億円増額のうち、約180億円が岐阜県の治水負担分である。これから完成まで毎年60億円超の岐阜県の予算が注ぎ込まれるのである。これだけの巨費の数分の一で、常に水害の脅威にさらされている大垣市荒崎地区に、住宅地の被災を免れる囲い堤などの対策をとることが出来る。こうした住民無視の「治水計画変更」は到底容認できない。
 既成事実の積み上げが法を蹂躙していくのを傍観せざるを得ないのであろうか?法治国家であることの崩壊を見過ごすしかないのであろうか?
 控訴人として、私は、第2審裁判所が「法の番人」としての役割を果たすことを強く期待したい。

4.ダムは災厄を及ぼす

 控訴人らは、フルプランに位置づけられた水源施設としての徳山ダムは不要であることを、立証して来た。そのことの正しさは、現実が示している。
 しかし、控訴人である私たちは、単に「徳山ダムは不要だ」ということのみなならず、将来にわたって、次々と問題を引き起こし続ける−災厄をもたらす−ものであると訴えたい。
 財政負担については、第1審の準備書面等でも述べている。
 自然環境−生態系については、控訴人・上田武夫が述べた通りである。
 私はさらに付け加えたい。徳山ダム湛水は、大きな誘発地震を引き起こす可能性がある、と。
 2004.6.25号の「週刊金曜日」によれば、日本地震学会会長の大竹正和氏(地震予知連絡会会長でもある)は
《ダム誘発地震を学問の立場から「現在では学界の常識」と断言する》
《「ところが、日本ではダム誘発地震の研究はタブー視されてやりにくかった。私以降、跡継ぎがいません。水が地震発生の原因であることは、水を貯める、押し入れる、両方の実験から言えることです。ダム誘発地震の研究は地震発生メカニズムを発見するためにも重要です。」》と言う。
 徳山ダムにおいても、ダム湛水による誘発地震の可能性については1970年代から地元住民によって問題視されており、1984年の長野県西部大地震の発生によって、より具体的になった(徳山村住民が、移転先として、必ずしも揖斐川流域にある揖斐川町・表山団地を選択しなかった大きな理由の一つと聞いている)。
 6億6000万m3=浜名湖2杯分という膨大な湛水量、160mもの深さの湛水、ダム湖の下の活断層=揖斐川断層の存在・・・これらについて、何ら科学的な検証が行われていないのである。

 控訴審裁判所におかれては、これらすべての事情も踏まえて、原審判決の誤りを正して頂きたい。法も何も無視して、既成事実優先で進められている徳山ダム建設。せめて危険な湛水を阻止しうるような判断を早期にされるよう、心からお願いするものである。

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