徳山ダム建設中止を求める会・事務局


徳山ダム裁判 第二審

控訴理由書

第3章 新規利水開発以外の目的の検討

第1 流水の正常な機能の維持
1 原判決
 1) 基本的問題点
 原判決は、p120〜126において「流水の正常な機能の維持」について認定・判断を行っている。そこでは、「事実の認定」として漫然と「渇水」を認定したうえで、「不特定容量」「渇水対策容量」のいずれもその必要性を認めている。
 しかしこれは、本来重視すべき諸要素、諸価値を軽視し、その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず、又は、本来考慮に入れ若しくは積極的に評価すべきでない事項を考慮してこれらを過大に評価した結果であって、誤りである。すなわち、@木曽川水系において「渇水」が生ずるメカニズムについて認定・判断が行われておらず、何らの考慮も払われていないこと、A不特定容量については、その効果を検討する前提となる被害の発生について具体的な検討がなされていないこと、B渇水対策容量については、これが都市用水の渇水対策に果たす役割を過大に評価し、他方、自流による渇水調整について何らの考慮を払わないか過小に評価していることなどである。
 2) 事実認定に反する判断
 原判決は、「事実の認定」の項において、「仮に、この当時に徳山ダムの渇水対策容量が確保されていた場合、木曽川及び揖斐川の維持流量の改善に向けた緊急水の補給が可能となる。この維持流量の改善のための補給水については、木曽川の緊急水利調整協議会において地域全体の合意が得られた場合には、既存ダムを水源とする都市用水等に振替利用することもあり得る」と述べる(p122)。しかし、他方、「判断」の項においては、「また、計画規模を超える異常渇水時には河川の自流も減少していると考えられ、農業用水等との調整の余裕があるとは限らないし、渇水調整は特定の利水者が指導できるようなものではない上、異常渇水の場合には調整不足という事態もあり得る。」と控訴人の主張を排斥している(p126)。ここには明らかな齟齬があり、事実認定を前提とすれば、判断はこれに反している。
 まず、前提として、「渇水対策容量」というものは、木曽川における河川維持流量を確保するためのものであって、ダム依存の都市用水(水道用水及び工業用水)が渇水時に使用するためのものではないということを確認しておく必要がある。この点は、原判決も「木曽川及び揖斐川の維持流量の改善に向けた緊急水の補給が可能となる。」と述べているように、共通の理解である。
 「渇水対策容量」で確保された水が木曽川に補給されたとしても、ダム依存の都市用水は、その補給水を利用することはできず、木曽川の流量が基準流量を上回ったとき、その上回った分しか自流取水ができず、不足分はダム貯留水を補給しなければならないし、水源ダムは流水の貯留をできないのである。
 その結果、原判決がp122で可能だと指摘する徳山ダムの渇水対策容量の水を「既存ダムを水源とする都市用水等に振替利用する」ためには、木曽川の基準流量の切り下げををしなければならない。すなわち、「渇水対策容量」は河川維持流量の改善のためのものであるから、緊急水は基準流量を満たす分しか補給されない。したがって、この基準流量を切り下げないと、ダム依存の都市用水が「渇水対策容量」によって木曽川に補給された水を利用することは不可能なのである。つまり、「渇水対策容量」の補給水を「振り替え利用」するのではなく、基準流量の切り下げによって反射的に利用が可能となるのであり、基準流量による取水やダム貯留の制約の考え方が変わったのではない。
 このことを、木曽川の基準流量を例に具体的に説明する。後述するように、木曽川には馬飼地点50m3/s(今渡地点100m3/s)の基準流量が設定されている。これは河川維持流量であり、この流量を下回るときには「既存ダムを水源とする都市用水等」(ダム依存水利権)は河川自流を取水することができない。今、馬飼地点に40m3/s(今渡地点90m3/s)の流量しかないときを考えると、「渇水対策容量」によって流量を増やすことができるのは維持流量の馬飼地点50m3/s(今渡地点100m3/s)までである。「渇水対策容量」は河川維持流量の改善のためのものであるから、それ以上流すことはできない。この場合、「既存ダムを水源とする都市用水等」は、自流取水ができず、ダムからの補給水しか取水することができないが、異常渇水の場合にはこの補給のためのダム貯留水もない。したがって、基準流量をそのままにするときには、「渇水対策容量」の補給水を都市用水等が利用することはそもそも不可能なのである。それを可能にするためには、馬飼地点50m3/sおよび今渡地点100m3/の基準流量の切り下げ以外にない。原判決はp122において、木曽川の緊急水利調整協議会による渇水調整が可能であり、それによって、「既存ダムを水源とする都市用水等に振替利用することもあり得る」と事実認定を行っているのである。そうであれば、p126においても、被控訴人の主張する「自流による渇水調整」は可能であると判断がなされなければならない。原判決は「判断」の項においては、事実認定とは食い違った判断を行っている。事実認定にもとづいて判断がなされなければならない。
次項以下では、原判決の理由に沿ってさらに問題点を詳述する。

2「渇水」のメカニズム(「事実の認定」の誤り)
 1) 原判決
 原判決は、「事実の認定」において、漫然と「渇水」を認定しているが、正しくない。そもそも「渇水」が問題となるのは、ダム依存水利権(原判決の表現によれば「既存ダムを水源とする都市用水等」である)で起こるということが正しく認定されなければならない。加えて、木曽川水系における「渇水」は人為的要因で起こるということも正しく認定されなければならない。その上で、木曽川水系において「渇水」という事実が認定できるのかが判断されなければならない。
 2)「渇水」の意味
  イ)「渇水」のとらえ方
 原判決は、「渇水」を「当初の計画どおりに取水すれば利水容量が底を尽くため、取水制限を余儀なくされている状態を指す」(p125)という。他方で、制限率を問わない取水制限を「渇水」としているが、これは正しくない。ダム依存水利権にとって「渇水」とは、計画どおりに取水すればダムの利水容量がなくなってしまう状態であり、これを防止するために、取水制限が行われるのである。したがって、ダムの利水容量がなくなる見込の前に予防的に行われる取水制限は「渇水」ではない。
 まず、その前提となっている乙169「ダム開発水の内訳イメージ(例:木曽川用水)」であるが、これは公団の施設に取水量の申込みを行う場合のものであって、自ら取水施設を有している場合(例えば、名古屋市の自流取水)には当てはまらないことに注意する必要がある(同書証にはわざわざ「公団からの聴き取りにもとづく」と注意書きされている)。
しかも、取水制限は最大取水量(乙104)に対するものであることにも注意する必要がある。現実には、最大取水量と日平均給水量との間にはかなりの開きがあるので、工業用水道や上水道は施設として配水池や調整池を持っていて、最大取水量で取水できるときに貯水しておき、取水制限が直ちに水使用に影響を与えないような工夫もなされている。したがって、取水制限が行われても、直ちに水使用に不都合を生ずるようなことはないのである。通常は、段階的な取水制限が実施されるが、降雨や水使用の変動などによって流量が回復し、ダムの貯水率が回復することによって制限率が緩和され、やがて解除されることになる。
したがって、制限率を問わずに取水制限の全てを「渇水」ととらえることは、必要のないものまでを取り込むことになる。給水制限に結びつかない単なる取水制限は、「渇水」ではないと、厳密な意味にとらえられるべきである。
  ロ) ダム依存水利権で起こる「渇水」
 ところで、水利権とは河川の流水を占用する権利、つまり河川から取水する権利であるが、河川の自然流(自流)がある限り取水できる水利権(自流水利権)と、河川が基準流量を下回ると自流取水ができず、ダム放流をして取水しなければならない水利権(ダム依存水利権)に分かれる。したがって、ダム依存水利権といっても、ダムから直接取水するのではないし、また、ダムの貯水だけを使うのでもない。河川の表流水を取水するのであって、基準流量を下回るときにダムからの放流によって表流水の補給がなされるのである。
 「自流水利権」は第二次大戦前からある既存水利権で、慣行水利権やそれに由来する農業団体の水利権、名古屋市水道の水利権が代表例である。
「ダム依存水利権」は第二次大戦後に許可(特許)を得た都市用水(水道用水と工業用水)および農業用水のための新規水利権で、既存の水利権の自流使用に影響を与えない範囲でしか自流取水ができず(基準流量が設定される)、基準流量を下回るときは取水できない。そのため、ダムを建設して自流が基準流量を超えている時に貯水し、基準流量を下回った時は、ダムからの放流水(補給水)によって取水しなければならない。
 河川から水がなくなれば、誰も取水することはできない。自流水利権は、河川から水がなくならない限り、取水することのできる権利である。しかし、河川に水があっても基準流量を下回っていれば、ダムの貯水量がゼロで放流水がなくなれば、ダム依存水利権は取水することができなくなる(河川の水は流域全体から涵養されてくるので、ダムの貯水量がゼロになっても河川に水は流れている)。これがいわれるところの「渇水」、つまり異常渇水である。
 したがって、「渇水」が問題になるのはダム依存水利権についてである。つまり、「渇水」とは、河川から水がなくなること一般を指すのではない。河川から取水する権利がなくなることである。
  ハ) ダム操作上予定された取水制限
 ダム湖の貯水は降水という自然現象に影響される。降水は、年ごとに年間降水量が違うし、一年のうちの降水量の時期的な変動も年によって異なる。ダム湖の貯水量は、このような降水量の変動に影響を受ける。
 したがって、ダム操作では、ダム湖の貯水率の低下が通常年よりも大きいときは、早期から、計画的に、ダム依存水利権の取水制限を段階的に行う(甲71p86の「渇水対策線」による予防措置である。なお、乙169もこのような予防措置の一つと理解される)。このようなときのために、工業用水道や上水道の施設として配水池や調整池があり、自流取水できる時に取水された水が貯水されている。通常は、段階的な取水制限を行っているうちに(その対策として調整池等がある)、降水あるいは自流水利権の使用(灌漑使用)の減少による流量の増加によって、ダム貯水率が回復して、取水制限は解除される。このような取水制限は、渇水ではなく、渇水にならないための予防的措置であって、自然の予測不確実性による水資源の計画的管理の問題である。
 ダム湖の貯水量の通常年とは異なった減少は、降水という自然現象に左右されるダム貯水とダム依存水利権に不可避なものであって、これに対応するための取水制限は、ダム操作とダム依存水利権では予定されていることである。これは渇水ではなく、ダム操作上予定された取水制限にほかならない。
 木曽川水系において、1973(昭和48)年以降、ダム湖の貯水率がゼロになったのは、牧尾ダムで1984(昭和59)年度、1986(昭和61)年、1994(平成6年)度の3回、岩屋ダム(1977年度から供用開始)で1994(平成6)年度の1回である。その他の年は、貯水率はゼロになっていない。ダム湖の貯水率がゼロになってダム依存水利権の水利利用ができなくなる本当の渇水は、牧尾ダムでは29年間で3回(10年に1回)、岩屋ダムでは25年間で1回に過ぎない。
  ニ) 計画規模を超えた渇水と渇水調整
 ダム建設による水資源開発、つまりダムの新規利水貯水容量は、どんな年の降水量に対しても所定開発水量の取水利用ができるように計画されてはいない。おおよそ10年に1回程度の頻度の少降雨に対応することを計画規模としている。
 そのため、過去の数十年の降水記録からこの規模に相当する計画対象年を選び出して、その年の降水を対象として貯水容量を定めている(利水基準年)。木曽川水系のダムの計画対象年は、岩屋ダムと阿木川ダムは1951(昭和26)年であり、味噌川ダムは1949(昭和24)年である(乙115p19「木曽川水系年降水量」)。
 つまり、計画対象年の降雨に対して対応できるように計画されているのであって、いかなる年代においても10年に1回程度の頻度の規模の少降雨に対応するようには計画されていないのである。年降雨量の長期的変動により、計画対象年を下回る降雨量の年が10年に1回程度以下の頻度で出現するようになっても、それは、計画対象年を変更して、開発水量を減少させる計画変更がない限り、計画規模を超えた渇水であることには変わりがない。
 降水量がこの計画対象年である利水基準年の降水量を下回る時は、計画規模を超えたものであって、当該ダムの対応限界を超えており計画対象外である。
 したがって、計画対象年の降水量を下回るような時は、自流水利権や河川維持流量との渇水調整(河川法53条、53条の2などによる)が必要となる。木曽川は、後記のように、余剰のある豊富な農業団体の自流水利権と河川維持流量があるので、これらとダム依存水利権者とが渇水調整を行うことによって、ダム依存水利権者の水利利用を可能にできる。
  ホ) 小括
 「渇水」とは、水の利用に制約を受けるあらゆる場合をいうのではない。すなわち、ダム依存水利権における問題であり、しかも単なる取水制限は「渇水」ではない。また、計画規模を超えた渇水は、ダムによる対応限界を超えているので、渇水調整を可能にする。「渇水」は厳密にとらえられる必要がある。
 3)「渇水」のメカニズム(人為的要因で起こる「渇水」)
  イ) はじめに
 原判決は、「渇水が頻発している」と認定しているが、その要因について触れるところはない。原判決もいうように、木曽川は自流が枯渇するような小河川ではない。その木曽川において「渇水」がいわれるのは、「基準流量」という人為的な要因によってそれが引き起こされているからである。以下、そのメカニズムを詳述する。
  ロ) 基準流量
 上述したように、「渇水」が問題になるのは、ダム依存水利権についてである。ダム依存水利権は新規の水利権で、既存水利権の自流使用に影響を与えない範囲でしか自流取水ができず(このため「基準流量」が設定される)、基準流量を下回る時は、ダムから補給水を放流して取水しなければならない。基準流量は、既存水利権の水量確保のための「水利権流量(水利流量)」と河川や河口域の環境維持を目的とする「河川維持流量」を含めたものである(河川法施行令10条2号。乙116p25は両者を併せて「正常流量」と言っている)。
 木曽川水系では、@今渡地点100m3/s、?馬飼地点50m3/s(以上木曽川)、?兼山地点200m3/s(5月1日〜10月3日、木曽川本流)、?上麻生地点155m3/s(4月1日〜9月30日、飛騨川)の基準流量が設定されている。他方、木曽川水系には、新規利水のためのダムとして、木曽川本流に牧尾ダム、味噌川ダム、阿木川ダム、支流飛騨川(その支流馬瀬川)に岩屋ダムがある(甲45)。このうち?上麻生地点は飛騨川にあり、岐阜地域のみにかかるので、ここで問題にすべき基準流量は???である。
 上記の基準流量のうち、@今渡地点(今渡ダム下流)100m3/sは、木曽川水系工事実施計画では流水の正常な機能を維持する流量になっている。これは、木曽川で最も古い基準流量であり、上流ダムの貯水に対して下流の既存水利権の流量を確保するため設定されたもので、今渡地点で100m3/sを下回る時は、上流ダムでは流水貯留ができない。ダムの貯留制限流量である。今渡地点の上流の牧尾、阿木川(以上愛知用水の水源)、味噌川(名古屋市の水道用水と愛知用水の水源)、岩屋(名古屋市の水道用水と尾張の水道、工業用水の水源)の各ダムが制約を受ける。
 A馬飼地点(馬飼頭首工下流)50m3/sは、馬飼頭首工(木曽川大堰)の下流には今では自流水利権者はなく、もっぱら河川維持流量の確保の目的となっている。馬飼地点50m3/sの基準流量は、新規利水の自流取水制限流量であり、この流量を下回る時は、新規水利権者は自流の取水ができず、必要な取水量は水源ダムから放流される補給水によらなければならない(必要な取水量をダムから補給するのであって、自流に50m3/sの流量を確保する義務までは負わない。後述の「確保流量」と異なる)。他方、新規利水制限流量であるから既存水利権者(自流水利権者)は制約を受けず、この基準流量を下回っていても自流取水ができる。この基準流量の制約を受けるのは、愛知県側関係では、馬飼地点の上流の兼山・犬山から取水する愛知用水の水道・工業・農業用水(水源は牧尾、味噌川、阿木川の各ダム)、尾西・馬飼から取水する尾張の水道・工業用水(水源は岩屋ダム)、犬山・尾西から取水する名古屋市の水道用水のダム依存分(水源は岩屋、味噌川の各ダム)である。
 B兼山地点(兼山取水口下流)200m3/sは、もとは、愛知用水兼山取水口の下流の兼山、今渡の関西電力の発電ダムの水利権と既得農業用水の水利権の流量確保のために設定されたものであるが、下流の既得農業水利権が犬山頭首工と馬飼頭首工での合口取水によって安定的に取水できるようになったので、今では発電用水利権量確保のための基準流量になっている。この基準流量は、新規利水の自流取水制限流量であり、この流量を下回る時は、新規水利権者は自流の取水ができず、必要な取水量は水源ダムから放流される補給水によらなければならない。この基準流量の制約を受けるのは、兼山から取水する愛知用水である。
 上記の基準流量の一つでも下回っていれば、新規水利権者はダムの貯水ができない。すなわち、ダム貯留制限流量(今渡地点基準流量)を満たしていなければ、自流取水制限流量(馬飼、兼山地点基準流量)を上回っていても、新規水利権者はダムの貯水ができない。他方、ダム貯留制限流量(今渡地点基準流量)を上回っていても、自流取水制限流量(馬飼、兼山地点基準流量)を下回っていれば、自流取水ができずにダム放流しなければならない。そのためダムの貯水量は低下していく。
 そして、基準流量が大きく厳しいときは、ダム貯水が容易にできないため、ダムの貯水率が低下しやすい。上記の基準流量のなかでも、愛知用水のみにかかる兼山地点200m3/sは厳しい。そのため、愛知用水の水源ダム、特に牧尾ダムは貯水率が低下しやすく(阿木川ダム、味噌川ダムが完成する前はその傾向が強かった)、取水制限の回数も貯水率ゼロの回数も多い(乙115p20参照)。
注:ダム貯留制限流量と自流取水制限流量との違いは、基準地点に取水口が
あるかどうかによる名称の違いである。いずれにしてもダムの貯留を制限するもので、自流が基準流量を下回るときには利水者はダムからの補給を余儀なくされるが、それ以上のものではない。他方、確保流量(揖斐川の岡島・万石各地点、他に利根川の栗橋地点)は、文字どおり基準地点における流量を確保するものであって、水利権流量だけでなく、自流が基準流量から不足している流量分についてもダムから補給がなされる。このために、大量の不特定補給容量が必要になる。したがって、被告等が「木曽川水系には不特定補給容量が確保されていないので渇水に陥りやすい」などというのは、基準流量の内容を無視した誤った主張である。
 ハ) 基準流量の内容
 次に、基準流量を構成する「水利権流量」と「河川維持流量」について、その具体的内容について検討する。
a) 水利権流量(必要以上の農業用水量)
 木曽川での基準流量(特に今渡地点100m3/s)を構成する水利権流量の自流水利権は、その殆どは農業用水で、愛知県側では犬山頭首工・濃尾用水44.54m3/s(既得水利権量54.5m3/sが合口により減量)、馬飼頭首工・木曽川用水(濃尾第二地区)20.44m3/sの合計64.94m3/s、岐阜県側(馬飼頭首工)6.52m3/s、三重県側(馬飼頭首工)5.19m3/s(既得水利権量33.63m3/sが合口取水により減量)の合計76.25m3/sである。その他に、名古屋市水道用水の7.56m3/sがある。総合計で83.81m3/sである(甲71p95の第1表参照)。
 これによれば、農業用水、それも愛知県側の農業用水の水量が非常に多いのがわかる。愛知用水と木曽川総合用水の愛知県営工業用水道の水利権量は合計しても17.71m3/s、名古屋市水道と愛知県営水道の水利権量は合計しても23.885m3/sであり、愛知県側農業用水はこれらの3.7倍と3.2倍ある。
 ところが、減反と宅地等への転用で、合口取水のための頭首工が計画された昭和30年代に比べて、水田面積が大幅に減少しており、農業用水の実際の必要量は大幅に減少しているのが現実である。特に、都市化の激しい愛知県側の犬山頭首工関係ではその程度が大きい(例えば、木津用水土地改良区では水田面積が、1977(昭和52)年ですでに3,208haと、1955(昭和30)年の5,600haに比べて約60%になってきている)。
 水利権流量である自流水利権をもつ農業用水は、水田面積の減少によって実際の取水必要量が権利としてもつ水利権量(最大取水量)よりも大幅に減少しているのである。農業団体側は、先祖から営々と私財を投じて構築してきた慣行水利権(既得水利権で私権である)が、建設省(現国土交通省)の許可水利権論によって、必要水量の減少を理由として、一方的に、それも無補償で消滅させられるのをおそれており、このことを表立って言わないだけである(建設省が農業団体に敬意を払って、慣行水利権を尊重する解釈と行動をとれば、農業用水水利権の建前と実際が乖離している不自然な状態は大きく変わるのである。中西準子・甲46)。
 実際は使用されない水利量があっても、権利上の水利権流量が基準流量になっているため、この流量を維持しなければならず、そのためダムに貯水ができないダム操作規程になっているのである。その結果、ダム貯水量が減少していく。必要以上の農業用水水利量が水利権流量になっているため、上流ダムの貯水量が減少していくのである。
b) 過大な河川維持流量
 馬飼地点50m3/sは、基準流量のもう一つを構成する河川維持流量である。
 この河川維持流量は、木曽川の下流部の水質確保のためとされている。水質とは、河川流量によって確保しようとする下流部の水質であるから、塩分濃度である。したがって、水量は、常時50m3/s以上であることを要しないものと考えられるとされている(農林省農地局「昭和38年度木曽川水系地区における調査実施方針」)。
 下流部の河川維持流量、特に馬飼頭首工下流の維持流量50m3/sは、木曽川程度の規模の他の河川と比べて、かなり大きい流量である。木曽川より流域面積のはるかに大きい利根川では(基準地点の栗橋までの流域面積8588km2は木曽川の基準地点・犬山までの流域面積4684km2の約1.8倍)、以前の河川維持流量は50m3/sであったが、利根川河口堰の建設によって、堰下流部では30m3/sに変更され、その差の20m3/sは堰上流から取水する水道用水と工業用水の新規都市用水に転用された。利根川は木曽川に比べて流域面積が2倍近くあるのに、堰(頭首工)下流の維持流量は30m3/s、60%なのである。木曽川の馬飼地点の維持流量50m3/sがいかに大きい流量であるかが分かる。
 ところが、原判決は、「利根川の下流部は利根川本川と江戸川に分かれており(乙173−22頁)、利根川の河口堰下流の河川維持流量は利根川本川のみの流量であるから、単純に木曽川馬飼地点の河川維持流量と比較することはできない。」(p125)と非難する。しかし、江戸川を含めても利根川の維持流量は50m3/s以下である。また、控訴人が比較している流域面積は利根川では栗橋地点までの流域面積である。利根川には栗橋地点の下流で江戸川分流後に、鬼怒川、小貝川が合流し、流域面積が拡大され流量は増加するのである。原判決の非難は全くの的外れである。
 また、揖斐川における万石地点下流の河川維持流量は約10m3/sと理解されるが(確保流量は岡島地点10m3/s、万石地点17m3/sであり、乙115p15によれば、万石地点下流の既得用水の水利権合計は7.4m3/sである)、実にその5倍の流量である。
馬飼地点の基準流量50m3/sは、その上流の全ての新規水利権の自流取水を制約しており、この流量を下回るときは、新規水利権者は自流取水ができず、必要量はダム放流水で補給しなければならない。そのため、上流ダムはダム貯水量が減少していくことになる。馬飼地点の過大な河川維持流量のため、上流ダムの貯水量が減少していくのである(甲44)。
  ニ) 人為的に起こる渇水
 以上のように、木曽川の牧尾・味噌川・阿木川ダム(愛知用水)や岩屋ダム(木曽川総合用水)の貯水量が減少していき、貯水率がゼロになるのは、降水量という自然条件を前提とするが、具体的には基準流量によるダムの貯水の制約によるのである。基準流量という人為的なものが渇水の要因の一つなのである。これを裏返せば、木曽川は自流が豊富な結果、@必要以上の農業用水とA過大な河川維持流量が存在し、この2つを調整利用することによって、渇水は容易に回避することができるのである。
  ホ) まとめ
 原判決は、「原告らの主張は、水利使用の実態と渇水調整の可能性についての具体的な実証を欠くものである。」と非難するが(p126)、上記の基準流量については、当事者間に争いのない事実であり、渇水調整についてはつとに指摘されている事柄である。したがって、このような事実を考慮することなく「渇水」を認定することは、「当然尽くすべき考慮を尽くさず」になされたもので、誤りである。
 4) 過去の「渇水」被害の検討
 原判決は、木曽川水系においても「毎年のように渇水が頻発して」いるとし、平成6年渇水における被害を認定しているが、いずれも正しくない。以下で過去に「渇水」と言われた事態について検討する。
  イ) 1986(昭和61)年度
 1986(昭和61)年9月3日から1987(昭和62)年1月19日で取水制限が行われている(乙115p20)。その原因は、8月〜12月の降水量が少なかったためである。この期間は、通常年では台風期であり、非灌漑期であることもあり、河川流量が多く、ダム貯水ができる時期である。しかし、同年8月〜10月の降水量は、名古屋137mm、牧尾ダム272mm、岩屋ダム284mmと、明治24年以降(ダム建設以降)、最少であった。計画規模を越えた異常渇水で災害というべきものである。
対策として、11月20日から、馬飼地点の基準流量が50m3/sから40m3/sに緩和され、牧尾ダム、岩屋ダムに依存する新規都市用水は、10m3/sの自流取水が可能となり、水道用水は20%の取水制限に収められた。10m3/sは約86万m3/日であり、名古屋市の日平均給水量に相当する水量である。
 渇水対策として、基準流量(河川維持流量)を切り下げて自流取水を可能にした意味は大きい(甲71p103)。馬飼地点50m3/sが絶対の数字ではないことを示している。
  ロ) 1994(平成6)年度
 1994(平成6)年渇水は、まさしく異常渇水であって、計画規模を大きく超えた災害である。このような異常渇水に対しても、木曽川の基準流量を前提として、新規利水者にはダム補給水で対応しようとするのは、過大なダム建設、したがって過大な費用、過大な環境破壊が必要であり、誤りである。水資源開発計画も、上述したように概ね10年に1回を計画規模として計画対象年(利水基準年)を定めて、その年の降水に対応するように計画を定めている。
 したがって、このような場合には、ダム貯水の前提となっている基準流量の変更と自流利用による調整を考えるべきである(甲70p5〜9、甲46、甲47)。
ところで、乙142「平成6年渇水における岩屋ダム貯水率と木曽川成戸地点の河川流量について」では、8月上旬から9月中旬まで岩屋ダムの貯水率が0%となり、馬飼地点も50m3/sを切っていたことが示されているが、他方、今渡地点では100m3/s前後の流量が確保されていた(甲72p24図2)。このことは、今渡100m3/sを切り下げ、早期の対応策をとっていれば岩屋ダムの貯水率が0%となることはなかったことを、むしろ示しているといえる。
 この点、愛知用水系の市町で8月17日から行われた時間断水は、行政の対応の遅れが原因である。9月1日より水道用水の取水制限率が33%に緩和され、時間断水が解除されたが、これは農業用水から自流取水量合計25m3/sの提供があったからである。したがって、早期に自流取水の農業用水との間で自流取水量を調整し基準流量を切り下げておけば、時間断水は回避できたのである(甲72p29、甲46、甲47)。
 なお、1994(平成6)年は地下水位の低下が大きく、地盤沈下は、沈下量が大きく沈下域も広範囲であったため、これをもって渇水対策(地下水揚水量の削減)の根拠とされているが、濃尾平野地盤沈下対策要綱規制域での地下水揚水量は、前年の1993(平成5)年よりも減少していることが指摘されなければならない(甲36p37〜38)。地下水位の低下を大きくした「渇水」は、[「渇水」→工業用水道給水量の減少→事業所の地下水利用量の増加→地下水位の低下]のパターンではないのである。「渇水」の原因となった降水量自体が少なかったため、地下に浸透して地下水になる地下水涵養量が少なかったためである(沈下した層が第一帯水層であることからも明らかである。揚水はもっと深い層からもなされる)。降水量が少ないという自然現象が原因なのである。現在では地下水位は回復している。
  ハ) 1995(平成7)年度
 1995(平成7)年8月22日〜1996(平成8)年3月18日で取水制限が行われている(乙115p20)。
 甲74図7は、1995(平成7)年8月〜1996(平成8)年2月までの木曽川の基準流量地点である今渡地点と馬飼地点の流量である。馬飼地点では、基準流量の50m3/s程度になったのは、8月中下旬、12月中旬〜1月中旬である。
 今渡地点では、10月中旬以降、短期間を除き基準流量かそれ以下である(50m3/sは上回っている)。馬飼地点の基準流量を40m3/sに、今渡地点の基準流量を10月中旬以降は50m3/s近くまで切り下げていれば(10月中旬以降は自流取水の農業用水の使用がなくなるので、基準流量の切り下げは農業用水に影響を与えない)、ダム依存水利権者は自流取水とダムの貯水ができ、取水制限の回避、少なくとも大幅な取水制限は回避できた(甲74p2)。
  ニ) 2000(平成12)年度
 取水制限は主として愛知用水の水源である牧尾ダムで行われた。
 同じ愛知用水の水源である味噌川ダム、阿木川ダムについて、「有効利用」や「総合運用」が行われて、愛知用水としての取水制限率は工業用水で25%、水道用水で10%になった。
 つまり、阿木川ダムと味噌川ダムの完成により、それらと同じ愛知用水の水源である牧尾ダムと総合した運用が可能になって、それまで渇水になりやすかった愛知用水は、渇水回避が容易になったのである。牧尾ダムと阿木川ダム、味噌川ダムとの総合運用は、愛知用水の渇水回避に大変有効であり、阿木川ダムと味噌川ダムによって、愛知用水としては渇水対策の備えができたといえる。
  ホ) 小 括
 上記の過去の「渇水」から分かったことは、異常渇水である1994(平成6)年を除いて、渇水被害というべきものは無かったということである。
 すなわち、木曽川では、渇水や渇水の恐れに対しては、基準流量の一時的変更と自流利用による渇水調整で対応が可能であり、それが有効であるということである。自流が豊富な木曽川では、自流利用や河川維持流量を調整してダム貯水量が低下するのを防止することと、自流自体を調整利用することが可能なのである。
 また、味噌川ダム、阿木川ダムと牧尾ダム、岩屋ダムとの総合的運用も有効ということである。阿木川ダムと味噌川ダムが完成したので、ダムの総合的運用が可能になったのである。
 今後の渇水対策は以上の方法を考えるべきである(甲70p5〜9、甲46、甲47)。あらゆる異常渇水(例えば、1994年の渇水)に対して、木曽川の基準流量を前提として、新規利水者にはダム補給水で対応しようとするのは、過大なダム建設、したがって過大な環境破壊を招き、費用対効果の点でも見合わない(甲70p5「W異常渇水の選択肢」の項参照)。木曽川では、渇水対策としては、基準流量の一時的変更と自流利用による渇水調整、既存ダムの総合的運用をすることが最も合理的である。
 5) まとめ
 原判決が、「事実の認定」として木曽川水系において「渇水」を認定したことは、明白な誤りである。

3「不特定容量による効果について」の誤り
 1) 原判決
 原判決は、「不特定補給」(このためのダム容量が不特定容量である)の中身を全く検討しないまま、誤った判断をしている。
すなわち、徳山ダムには、「不特定補給」として洪水期5800万m3、非洪水期1億0700万m3の貯水池容量配分がなされている。これによって、10年に1回程度発生する規模の渇水時においても、揖斐川において岡島地点10m3/s、万石地点17m3/sの流量を確保するとされている。
 ところで、「流水の正常な機能を維持する流量」は「正常流量」といわれ、河川維持流量と水利権流量で構成される(河川法施行令10条2号。乙115p2「徳山ダムの公益性について」の「不特定補給」の「内容」の項においても「揖斐川の既得用水の安定的取水」と「河川環境の維持」という表現で同様の説明がなされている)。乙115p15「揖斐川本川の主な既得用水」によれば、万石地点下流の農業用水の合計量は7.4m3/sとされている。これ以外の水利権流量はないので、万石地点下流の河川維持流量は9.6m3/sとなる。そこで、農業用水利権と河川維持流量のために不特定容量が必要であるのか検討がなされる必要がある。しかし、原判決は、河川維持流量の点のみを検討しているにすぎない。しかも、原告らの主張があたかも農業用水利だけを問題にしているかのように誤った理解の上でのものである。原告らは農業用水利権と河川維持流量の両面からみて、いずれの観点からも不特定容量は必要がないと主張しているのであって、この点についての原判決には判断の遺脱があるとの誹りを免れない。

 2) 水利権流量(農業用水)
イ) 取水制限
 そこで、水利権流量から検討する。原判決は、「これ(*不特定容量)により揖斐川では、西濃用水等の既得用水が安定的に取水可能となる」(p123)とだけ述べるにすぎない。前提となる取水制限については、被告等の「1994(平成6)年渇水において、7月18日から9月19日までの64日間で、農業用水の取水制限率が40〜70%に達した(乙15p25)」という主張を是認するかのようである。
 しかし、この取水制限を受けたのは、横山ダム係りの農業用水であり〔乙115p26「渇水対策容量の効果に関する概略試算結果概念図(揖斐川)」の注1)参照〕、具体的には岡島取水口で取水する西濃用水である。徳山ダムで問題となる万石地点下流の農業用水での取水制限率を示すものではない。
 ところで、揖斐川においては、岡島取水口で西濃用水(右岸)14m3/s、西濃用水(左岸)9m3/sが取水される。このため、岡島〜万石間は表流水が少ない。1994年渇水の写真(乙15p21)はこの間の、しかも根尾川の合流前のものである。「万石地点流量がゼロに」という事態も、上記のような事情が影響している。しかし、西濃用水で取水された表流水は万石地点下流で揖斐川に戻り、揖斐川の表流水は復活している。しかも、万石地点下流では牧田川、津屋川などからの合流もあり、水利権流量が問題となる福束用水、長良川用水他には取水制限などの影響はなかったのである。
ロ) 農業被害の有無
 農業用水の取水制限で問題となるのは、農業被害の発生の有無である。仮に、取水制限が行われても農業被害が発生しなかったのであれば、取水制限だけを取り上げて問題視しても意味のないことである。被告は、取水制限率を問題にはしているが、農業被害の具体的な金額などには一切触れていない。上記「渇水対策容量の効果に関する概略試算結果概念図(揖斐川)」には「里芋、キュウリ、ナスなどの野菜に枯死などの被害(大垣市)」という説明もあるが、定量的なデータは一切示されていない。
 1994(平成6)年の大渇水における揖斐川の取水制限の期間は7月18日から9月19日までである。この期間の大部分は灌漑期ではあるが、代かき期のように最大量を必要としない期間である。むしろ、このような水期間であるので、大幅な取水制限ができたとみられなくもない。
 いずれにしても、農業被害を抜きに取水制限だけを取り上げても意味のないことである。
ハ) 費用対効果
 被控訴人によれば、「洪水対策」および「流水の正常な機能の維持」の費用負担割合(アロケーション)は1000分の444とされているが(被告第一準備書面p15以下)、さらに「洪水対策」「不特定補給」「渇水対策」ごとの割り振りは明らかにされていない。このうち、「渇水対策」は名古屋市3m3/sの返上に相当するものであるので、費用負担割合は1000分の59である。「洪水対策」と「不特定補給」の割合は、貯水池容量配分に従えば、およそ洪水期が2対1、非洪水期が1対1であるので、洪水期が257対128、非洪水期が192.5対192.5となる。事業費を1985年単価の2540億円とすれば、「不特定補給」の負担は約325億円から約489億円となる。このような巨費を投じてまでも対処しなければならない被害が生ずるのかが問題である。
 ここで問題とされるのは農業用水である。上述したように、1994年の大渇水においても、大垣地域において農業被害が発生したとの報告はない。ましてや、万石地点下流の福束用水、長良川用水においては、取水制限さえも受けていない。投下する費用に対して、得られる効果は全く見合わないのである。
 3) 河川維持流量
 河川維持流量として考慮すべき事項について、河川法施行令10条2号は、「舟運、漁業、観光、流水の清潔の保持、塩害の防止、河口の閉塞の防止、河川管理施設の保護、地下水位の維持等」を挙げている。
 ところで、原判決は、「不特定容量による効果」として乙15p24別表Zを引用し、「最小流量の棒グラフをみると、徳山ダム完成後では昭和23年と昭和37年を除けば17m3/sを概ね満足しており、昭和17年から昭和42年までの26年間のうち3番目に少ない渇水のときにも概ね17m3/sを確保することができることが認められるところ、17m3/sというのは26年間のうち3番目の流量であるから、概ね10分の1の安全度が確保されていることを表している」と述べる(p122)。
しかし、上記したように、万石地点下流の河川維持流量は9.6m3/sであるので(17m3/sのうち水利権流量の合計は7.4m3/s)、岡島地点より下流は約10m3/sが揖斐川における河川維持流量と考えられる。そうすると、上記データによっても、低水流量では10m3/sを下回った年はない(すなわち1年のうち275日以上は10m3/s以上が流れていたということである)。渇水流量、最小流量では10m3/sを下回る年がでてくるが、その期間は10日以下(渇水流量)、1日だけ(最小流量)にすぎない。
 このデータはダムのない時代のものであって、河川の自然な状態を表しているという点で重要なのである。揖斐川では、常に10m3/sを超える流量があったし、また、あるわけではなく、河川の流量は時季によって大きく変動しているのである。そして、河川の流量が時季ごとに大きく変動しても、河川生態系に与える影響はほとんどないのである。むしろ、それが河川の自然な状態なのである。河川に生息する動植物は、そのような変動を前提にしているため、わずかの期間のことであれば、それに対応する能力を十分備えているのである。
 したがって、これへの対処は巨額の費用を投じてまで行うことではない。費用対効果が全く見合っておらず不合理である。
 4) 小括
 以上のとおり、揖斐川において、現状において農業被害や環境影響は認められず、農業用水と河川維持流量のために不特定補給容量は必要でなく、また、それは費用対効果があっておらず不合理である。

4「渇水対策容量による効果について」の誤り
 1) 渇水対策容量の意味
 原判決は、「異常渇水時において、この容量を機動的に運用することによって、有効な渇水対策が可能となることが認められる」(p124)としているが、誤りである。
 渇水対策容量は機動的に運用することはなく、したがって、渇水対策容量によって、有効な渇水対策、つまりダム依存都市用水の渇水対策が可能となるものではない。有効な渇水対策は、基準流量の切り下げによるものである。
 原判決も認めるように、渇水対策容量とは木曽川の維持流量の改善のため補給水のためのものであって、ダムに依存する都市用水(水道用水及び工業用水)の渇水対策に使用するためのものではない。前述したように、木曽川の基準流量の切り下げがなされて、ダム依存都市用水等の取水が可能となるのであり、それなくしては、渇水対策容量は、ダム依存の都市用水にとって何の意味も持たない。渇水対策容量が直接に都市用水の渇水対策に効果を発揮するものではないのである。木曽川の基準流量の切り下げがが前提であれば、渇水対策容量を待つまでもなく、自流との渇水調整がまず検討されるべきである。

 2) 自流による渇水調整
  イ) 異常渇水への対応
 異常渇水とは、利水基準年による計画を超えた渇水のことである。
 新規利水のための水資源開発(ダム建設など)は、おおよそ10年に1回程度の頻度の少降水量に対応することを計画規模としている(利水基準年)。そのため、過去の数十年の降水記録からこの規模に相当する計画対象年を選び出して、その年の降水を対象としてダム貯水容量を定めている。前述したように、木曽川水系のダムは、昭和40年代以前の20年間程度の期間のなかから、計画対象年を選び出しており、岩屋ダムと阿木川ダムは1951(昭和26)年であり、味噌川ダムは1949(昭和24)年である(乙115p19)。
 ところが、最近の20年間は、昭和40年代以前に比べて降水量の少ない年が多くなっている。そのため、最近は、計画対象とした年の降水量が、10年に1回の頻度でなくなっている。
 しかし、この少降水現象を受けて、新規利水に対するダム開発供給水量を10年に1回の規模の年の降水量に対応する水量(例えば、乙116p28、図8。それによれば、木曽川水系全体で53m3/sと試算している)に縮小することは行われていない。その動きすらない。新規利水のダム開発供給水量は計画のままである。したがって、ダムの計画対象年は計画から変わっていないのである。
計画規模を超えているかどうかは、最近の20年間で10年に1回の少降水であるかどうかではなく、開発供給水量を求めた計画基準年の降水規模を下回っているかどうかである。乙116p27でも、「利水安全度10分の1」とは、どの年代でも10年に1回ではなく、過去の一定年間「の降雨や流量のデータを基に、概ね10年に1回程度発生すると想定される規模の渇水の年(利水基準年)においても必要水量を安定的に供給できる」ことと説明されている。
 したがって、降水量がこの計画対象年(利水基準年)の降水規模を下回るときは、計画規模を超えており、当該ダムの対応限界を超えた計画対象外のものである。このような場合には、次に述べる「渇水調整」で対応することになる(被告等は新規ダム開発によって対応しようとするのであるが、それが経済面、環境面から問題があることにつき、伊藤達也「渇水対策の選択肢」甲70p5以下)。
  ロ) 自流による渇水調整
 計画対象年の降水を下回るような時は、自流水利権や河川維持流量との渇水調整(河川法53条、53条の2などによる)が必要に応じて行われる。
木曽川は、上述したように、余剰のある豊富な@農業団体の自流水利権とA河川維持流量があるので、これらとダム依存水利権者とが渇水調整を行うことによって、ダム依存水利権者の水利利用を可能にできる(甲70、甲46、甲47)。すなわち、農業用水から都市用水への一時的転用であり、河川維持流量の一時的切り下げである(なお、転用がなされた場合には正当な補償がなされるべきことにつき、甲47参照)。
 ダム建設よりもこのような渇水調整の方が容易かつ低廉であることは明らかである。
  ハ) 原判決
a) 原判決は「また、計画規模を超える異常渇水時には河川の自流も減少し
ていると考えられ、農業用水等との調整の余裕があるとは限らないし、渇水調整は特定の利水者が指導できるようなものではない上、異常渇水の場合には調整不足という事態もあり得る。」というが(p126)、いずれも正しくない。
b) 河川法53条は「渇水時における水利使用の調整」を規定しているとこ
ろ、1997年(平成9年)12月施行改正法により、1項は、水利使用が困難となるおそれがある場合においても、水利使用者相互において水利使用の調整協議を行うべきこと、河川管理者は当該協議が円滑に行われるように、必要な情報の提供に努めなければならないことを規定し、3項は、上記協議が整わないときに、水利使用者からの申請だけでなく河川管理者の職権による水利使用の調整に関するあっせん又は調停が行われることを規定している。また、53条の2により、水利使用者同士による渇水時の一時的な水利使用の相互融通を規定している。
 このように、渇水調整が行われる河川法上の根拠はあり、1997年河川法改正により、「調整不足という事態」がないようになったのである。原判決は、河川法、特に1997年改正河川法についての理解不足である。
c) 1994年(平成6年)は、10年に1回どころか、かってない規模の
渇水で災害というべきものであったが、水源ダムが空になってから、農業の自流取水権を15m3/s切り下げて、渇水調整が行われて、ダム依存都市用水の渇水対策ができた。水源ダムが空になる前から、農業用自流取水権や河川維持流量を切り下げて、基準流量を切り下げる渇水調整が行われておれば、もっと効果的なダム依存都市用水の渇水対策ができたのである。原判決が「農業用水等との調整の余裕があるとは限らない」というのは、1994年(平成6年)の経験を無視したもので誤りである。
 また、「農業用水等との調整の余裕があるとは限らない」という点は、被告等のいう「木曽川水系における安定供給可能水量の変化」(乙116p28および図8)にもとづくものとも考えられる。これによると、開発水量が92.665m3/s、近年10分の1渇水時における安定供給可能水量が約53m3/s、1994(平成6)年渇水時における安定供給可能水量が約29m3/sと試算されている。
 しかし、この試算の対象はあくまでもダム依存水利権であることに注意する必要がある。@自流取水権(名古屋市水道、農業用水)、およびA地下水(愛知県尾張地域、大垣地域)は含まれていないのである。
 また、この供給可能量は、既得水利権量や河川維持流量の確保のための基準流量によって自流取水が制限される前提でのものである。そもそも、この「安定供給可能水量」の算定には問題がある。どのような仮定や算定過程を経て「安定供給可能量」が算定されたか明らかでない。そして、特に、開発水量の大きい岩屋ダムについて、「近年1/10渇水時」も、「H6年渇水時」も、その供給可能水量がより低く算定されている。なぜ、岩屋ダムについてこのように低く見積もられているのか、その理由は明らかではない。岩屋ダムの開発水量は、木曽川総合用水で整理された既得の自流水利権を前提にしているので、本来は自流利用があるはずで自流利用を前提としており、岩屋ダムの安定供給可能水量はもっと大きい。
 したがって、依然として、渇水時には、ダム依存水利権の自流取水を制限している余剰のある自流取水権との調整および河川維持流量の一時的変更で、ダム依存水利権の安定供給が可能である。また、地下水利用地域であれば、水利用は河川流量の影響は受けない。ダム依存水利権が、気象と基準流量による自流取水制限によって供給可能水量が減少しても、木曽川水系では安定供給は可能なのである。
 このように、原判決には明白な誤りがある。
 3) 計画のない揖斐川からの取水・導水
  イ) 利用できない渇水対策容量
 原判決は、「平成6年渇水で、徳山ダムの渇水対策容量により、木曽川及び揖斐川の維持流量の改善に向けた緊急水の補給が可能」であったと認定し、渇水対策容量の必要性を認めている。
 ところで、既設都市用水供給事業は、長良川から取水する北伊勢工業用水2.951m3/sと 長良川河口堰・長良導水2.86m3/sを除いて、兼山、犬山、尾西、祖父江(馬飼)など木曽川から取水している。徳山ダムは揖斐川にある。したがって、徳山ダムの渇水対策容量の開発水をこれらの都市用水供給事業が使用するためには、揖斐川への取水堰等の取水施設と、そこから長良川を越えて木曽川の取水施設に至るまでの導水施設の各建設が必要である。しかし、これらの取水施設・導水施設は、平成6年には存在しないし、現在のところ、建設はもちろん、計画もない。したがって、徳山ダムが建設されても、徳山ダム渇水対策容量の開発水は利用できない。乙115p27における徳山ダム渇水対策容量の取水制限緩和の効果は、計画もない仮想のものである。
 ところが、原判決は「徳山ダムの完成(予定)自体が平成19年なのであるから、事業認定の時点で取水、導水事業が具体化していないことは何ら不自然ではない」(p119)と述べるが、暴論としかいいようがない。そもそも、渇水対策容量だけがあってもそれだけでは何の効果も発揮せず、取水・導水施設があって初めて意味のあるものとなる。取水・導水施設のない渇水対策容量は文字通り「画に描いた餅」にすぎない。取水・導水事業の具体化は、事業認定の判断にあたって必要不可欠といわなければならない。
 では、なぜこのように取水・導水施設の計画がないのか。それは、木曽川水系が水余りの状態で、次に述べるように過剰な開発水を渇水対策容量に目的外利用しているからである。
  ロ) 過剰な開発水の渇水対策容量への目的外利用
 計画対象年の規模の範囲内の降水量で供給する水(通常の供給水)は、計画対象年の降水量を前提として、計画目標年に発生する水需要を満たすための供給水である。これに対して、計画対象年を超えた規模での降水量のときに供給する水(渇水時供給水)は、計画目標年に発生する水需要を満たすための供給体制を前提として、計画対象年の降水量を下回る渇水のとき、その供給では不足する供給量を補うためのものである。両者は別のものであって、ダムの同じ用途で同時に両方の目的を満たすことはできない(甲74p5、甲47)。つまり、利水容量と渇水対策容量の両方を兼ねるということはありえないのである。
 牧尾・岩屋・阿木川・味噌川の各ダムおよび長良川河口堰は、被告等のいうような利水安全度の低下に対する渇水対策として建設されたのではない。将来発生する新規水需要に対する供給のために建設されたのである。
 ところが、長良川河口堰を除いても、完成済みの上記のダムで供給余剰、特に工業用水は供給過剰であるので、余剰分が本来の目的でない利水安全度の低下に対する対応に転用され、目的外の使用がなされているのが、現在の状態なのである(例えば、味噌川ダム・阿木川ダムは、愛知用水地域の渇水対策用に常に満水状態とされている。これは計画で予測された水需要が発生していないためにできることである)。フルプランや乙115の被告等の予測通りに水需要が発生しておれば、被告等のいう渇水対策はできないのであり、被告等の需要予測が誤っていることが前提なのである。
 そして、余りにも供給過剰であるので、長良川河口堰の開発水は、愛知用水南部系水道用水のための長良導水2.86m3/s以外に取水・導水施設もなく、利水安全度の低下に対する対応にも用いられていない。
 乙115p27渇水対策容量の効果に関する概略試算結果概念図(木曽川)に、取水制限を20%に緩和する効果として、徳山ダム渇水対策容量(青色)の他に、長良川河口堰・味噌川ダム(白色)が記載されている。しかし、長良川河口堰にも味噌川ダムにも渇水対策容量はない。長良川河口堰には不特定補給容量もない。長良川河口堰の需要のない余剰水(乙116図8によれば、長良川河口堰の1994年渇水での供給可能水量を7m3/sと試算している)を目的外に転用しているのである。木曽川水系の水余りを前提とした試算である。
 また、取水制限を20%に緩和する効果の寄与の比は、徳山ダム渇水対策容量(青色)と長良川河口堰・味噌川ダム(白色)の面積比とされている。その面積比は図上で概略計算すると、
 (徳山ダム渇水対策容量 1):(長良川河口堰・味噌川ダム 3)
である。徳山ダム渇水対策容量の効果は全体の4分の1であり、長良川河口堰・味噌川ダムの効果の方が圧倒的に大きい。
 被控訴人は、木曽川水系には渇水対策容量や不特定補給容量が設けられていないことをことさら問題視するが(乙116p30など)、自流が豊富であり、開発水も供給過剰な状態であるために、そのような容量をそもそも必要としないというのが木曽川水系の実態なのである(甲70p11注6参照)。自流に余裕のない他の河川では不特定補給(利水)容量が必要であるといえても、木曽川にはあてはまらないのである。
 4) 渇水対策容量の費用負担(利水者の負担増)
 原判決は、渇水対策容量の費用負担について触れるところがない。しかし、これもまた「本来最も重視すべき諸要素、諸価値」であり、考慮すべき事情である。
すなわち、3〜4年に1回と利水安全度が低下しているので、利水安全度を計画上必要な10年に1回にするために、徳山ダムの渇水対策容量による開発水を用いるというのであれば、それは、既設用水供給事業について計画範囲内の通常供給の追加水源にするということである。利水安全度が低下しており、それを計画上必要な10年に1回という利水安全度にするために、新たに「利水基準年」を設定し直して、この利水基準年での供給量を確保するために、徳山ダムの渇水対策容量の開発水を用いるからである。
 そして、この開発水を利用するには、上記したように揖斐川からの取水施設、そこから長良川を越えて木曽川に至る導水施設の建設が必要である。
 計画上必要な利水安全度にするというのは、利水基準年の計画規模を超えた渇水に対する対策としての「流水の正常な機能の維持」(渇水対策)ではなく、都市用水の確保であって、流水を水道や工業用水道の用に供する利用者が特定しているのである。したがって、これらに対する費用負担は、特定の利水者の負担とされるべきであり、費用負担割合(アロケーション)の変更が必要となる。
 以上のことは、愛知用水工業用水道や尾張工業用水道のなどの需要家に直接用水を供給する工業用水道事業に大きな問題を生じさせる。
 既設工業用水道の利水安全度を計画規模にするため、徳山ダムの渇水対策容量を追加水源に用いるとき、それは工業用水道の建設改良であるので、地方公営企業の独立採算義務(地方財政法6条)から、その費用負担金と取水・導水施設の費用を既設工業用水道の料金に加算しなければならない。したがって、既設工業用水道の料金(愛知県営工業用水道では、現状26.50〜30.00円/m3)は値上げ、それも大幅に値上げをしなければならない。
 しかし、「利水安全度を向上させるための建設改良・維持管理費用は、地方公営企業には独立採算義務があるので、料金から回収しなければならない」と、既設工業用水道の利用者企業を説得しても、企業は何よりも生産コストを最重視するので、料金値上げに応じないのは間違いない。逆に、徳山ダムの渇水対策容量の開発が料金値上げをもたらすのであれば、現状の水源、供給体制で十分であるので、渇水対策容量の開発を止めるよう反論されるだけであろう。
 また、料金値上げを強行すれば、契約水量の改訂が行われよう。既設工業用水道利用者企業は節水を一層強化して、既存の支払料金の範囲内に水使用量(新規補給水量)を抑制する。その結果、既設のダム・堰による工業用水は一層、供給過剰になる。
 5) 小 括
 徳山ダムの渇水対策容量は、直接、都市用水の渇水対策に役立つものではなく、また、その当てもない。かえって、自流との渇水調整の方がより現実的で、費用負担も少なくてすむ。渇水対策容量は無用なもの以外の何ものでもない。

5 まとめ
 以上によって明らかなとおり、木曽川水系においては、「渇水」はダム依存水利権についてのもので、それは、気象を前提としつつも、基準流量の設定という人為的な要因によって発生している。また、木曽川水系のダム開発水は大幅に余剰で水余り状態である。そして、基準流量は豊富な余剰のある既得農業水利権流量や河川維持流量の確保のために設定されているので、これらとの調整によって、ダム依存水利権の「渇水」や実際の水使用への影響は回避可能である。徳山ダムの渇水対策容量は、渇水対策であれば、木曽川水系での渇水の影響を回避したり、軽減するために役立つことはない。渇水対策でなく利水安全度を計画規模にするためのものであれば、それは需用者に拒絶されるか、工業用水の料金値上げによる一層の供給過剰をもたらすものである。「流水の正常な機能の維持」を目的とする徳山ダム建設は意味がなく、また有害である。
第2 洪水調節

1 揖斐川の洪水防御計画
 揖斐川の治水は木曽川水系工事実施基本計画(以下、工事実施計画)に基づくが、そのうち、洪水防御計画の内容は次の通りである。
基準点:大垣市万石地点(約40.6q地点)
基本高水ピーク流量・計画高水位:6,300m3/s・7.09m(零点高:標高5.0m)
計画堤防高:計画高水位+余裕高2.0m(6,300m3/s規模では、1.5m)
河道流量3,900m3/s、ダム削減流量2,400m3/s(横山・1965年完成、徳山)
基本高水ピーク流量決定の方法:
2日間計画降雨量395mm(1/100規模)を過去の洪水の雨量において引伸し、
流出解析によってピーク流量が最大となった1959年9月洪水を対象とする。

表3-2-1 過去の主な洪水の水位、流量、雨量、引伸ばし率、計算ピーク流量、低減率
洪水年月

観測地点
 標高 m

計画高水位
   標高 m

観測水位
 標高 m

最大流量
   m3/s

2日雨量
    mm

引伸ばし率

ピーク流量
     m3/s

徳山ダム低減率

1959.8

鷲田42.8

13.22

13.45

3,700

475

1.000

4,000

 500

1959.8

14.15

4,500

308

1.282

6,300

1,600

1960.8

万石40.6

12.09

11.12

4200

329

1.202

5,300

 300

1965.9

10.96

3,600

348

1.135

5,900

 800

1975.8

12.37

4,200

330

1.199

5,900

-

1976.9

11.86

3,800

344

1.149

4600

-

注1:標高はTP。零点高、万石地点はTP5.0mである。
注2:最大流量はH−Q式による計算値のようである。
注3:建設省(当時)の資料によれば、万石地点の実測最大水位(標高)・流量は、1960.8は10.7m・4,230m3/s、1965.9は11.02m・3,882m3/s、1975.8は12.37m・4,414m3/sのようである。

2 揖斐川の流過能力−検討の前提とすべきは計画河道での流過能力−
 洪水対策においては、河道の流過能力、洪水が河道を全川、つまり河川縦断方向でどのような水位で流過するのかの検討が出発点である。
 この点について、原判決は、揖斐川の河道の流過能力としては、現況流過能力のみによっており、計画河道についての検討を全くしておらず、根本的誤りをおかしている。
 1) 原判決
 原判決は、揖斐川の河道の流過能力としては、現況流過能力のみを述べている。この現況流過能力とは、現況河道において計画高水位以下の河積で流過させられる最大流量であるとし、河川縦断的にどこかの地点で計画高水位となる流量である。そして、現況流過能力は万石地点の少し下流の35q〜40q地点で3400m3/sであり、万石地点(注・40.6q地点)で3400m3/sを超える流量となるときは、計画高水位を超える危険な状態となり、洪水を安全に流過させることができない状況となると予想される、という。これを前提として、徳山ダム建設による治水効果などの揖斐川の洪水対策の検討、判断を行っている。
 2) 原判決の根本的誤り
 揖斐川は、河道改修計画に従って河道改修の途上であって、現況河道は改修される。もし、現況河道から計画河道に改修されることによって、河積が増大したり、また、粗度が小さくなれば、河道の流過能力は増大する。このような場合、洪水対策としては、現況河道での流過能力、それも、河川縦断的のどこかの地点で計画高水位に達する流量の現況流過能力だけを検討しても意味がなく、計画河道での流過能力、防御対象洪水が流過したときの河川縦断方向の水位を検討することが、洪水対策の検討の第一歩である。これにより、水位が高くなる区間が明らかになり、水位は河川の全区間で高くなるのか、あるいは部分的な区間で高くなるのかも明らかになり、水位が高くなる原因、例えば、その区間の河積が小さいのか、粗度が大きいのか等の検討ができる。この検討によって、水位の高い区間に対して河道で対応する案(拡幅、嵩上げ等による河積の拡大、高水敷幅の縮小等による粗度の低下)が代替案として考えられ、まず、河道対応としてこれを検討すべきである。
 以上のように、揖斐川の洪水対策の検討、判断のため、揖斐川の流過能力の検討として何より必要なのは、計画河道での検討である。特に、計画河道で防御対象洪水、例えば6300m3/sが流過したときの河川縦断方向の水位を検討することが不可欠である。それが洪水対策の全ての検討の出発点であり、それをしていなければ、洪水対策の検討をしたとはいえない。河道の流過能力の検討、つまり、計画河道の流過能力、特に、計画河道で防御対象洪水が流過したときの河川縦断方向の水位の検討は、事業の適法性についての前提事実として、事業者あるいは処分権者がなすべきことであり、司法判断としては、その検討過程を審査することになる。
 原判決は、揖斐川の河道の流過能力については現況河道での流過能力のみを述べているにすぎない。計画河道での流過能力、特に、計画河道で防御対象洪水、例えば6300m3/sが流過したときの河川縦断方向の水位についての検討は全くしていない。これでは、洪水対策の検討をしたとはいえない。
 したがって、まず、行うべきは揖斐川の河道流過能力の検討であり、現況河道から計画河道に改修されると河道の流過能力が増大するのであれば、計画河道での流過能力の検討こそが何よりも必要である。控訴人はそのことを最終準備書面第四章第2・4河道の流過能力の検討(p143)で明らかにしているが、原判決はこれに対して何ほどの論及もしておらず、検討・判断をしていない。再度、河道の流過能力について論ずる。

3 河道の流過能力の検討
 1) 検討の前提1(1975年以後とその前との水位−流量関係の大きな違い)
  イ) 過去の主な洪水流量の計算と実測の違い(同じ流量では計算は水位が高い)
 甲42洪水対策関係資料集p1の最大流量は水位−流量関係式(H−Q式)による計算流量である(証人門松第2回目調書p1)。しかし、過去の洪水には流量の実測資料がある(乙11の3p40の水位流量曲線図の◆印が実測流量である)。
 実測結果の判明している年(1965年や1975年)の洪水での最大流量の実測値は、次の通りである。
 1965.9:11.02m・3882m3/s(甲40洪水予報p73、74)、
 1975.8:12.37m・4414m3/s(◆印、甲41台風6号報告書p29、30、140)
 H−Q曲線と実測値◆とを比較すると、同じ流量でも、最大流量付近では水位は計算値の方が高く、それより少ない流量付近では実測値の方が水位が高い。H−Q曲線は最大流量になるほど実測値より高い水位側に離れていく。したがって、H−Q式に最大流量を代入すると、得られる計算水位は実測結果を離れて高くなる。
  ロ) 1975年以後と前とは、洪水での水位−流量関係に大きな違いがある
 過去の洪水における水位−流量関係をみると、1975年以後は、その前に比べて、同じ水位でも流量が小さい=同じ流量でも水位が高い。表からも読みとれる。H−Q式は、次の通りである。
  1960年:Q=99.8(H+0.39)2
  1965年:Q=83.2(H+0.66)2
  1975年:Q=53.56(H+1.48)2
  同じ水位で、1,000〜1,500m3/sも、1975年が1960年や1965年より流量が少ない。
 建設省(当時)の資料では、最大流量の水位−流量の関係は、1965年以前に比べて、1975年以後は、同じ水位でも流量が少なくなる。例えば以下の資料である。
[乙17徳山ダム「主な洪水」の表、甲42p1]
 最大流量は昭和34年なのに、その水位は最大水位ではなく、最大水位は昭和50年である。
[乙11の3p39〜41・第7回ダム審補足資料p19とp20、21]
 H6.5mで、昭和35年H−Q式ではQ=4,738m3/s、これに対し、昭和50年H−Q式では3,410m3/s、昭和51年H−Q式ではQ=3,507m3/である。
 1,200〜1,300m3/sも、同じ6.5mの水位でも、昭和50年頃が流量が少ない。
  ハ) 過去の水位と流量の関係の検討(甲42p2年最大の水位と流量関係図)
 1956(昭和31)年〜1994(平成6)年の年最大の水位と流量(甲43の1)について、その関係を図にしたのが甲42p2年最大の水位と流量関係図である。
 ◇は1975年(昭和50年)の前、◆は1975年(昭和50年)以後の値である。
 いずれも、実測流量ではなく、H−Q式による計算流量である(1960、1965、1975、1976年の流量から判る)。
 水位6m付近から、水位−流量関係は、◇1975年の前と◆1975年以後とは、傾向に明らかな違いがある。
 水位6m付近(流量3,000〜3,500m3/s)から、◇は水位の上昇は小さいが、流量の上昇は大きい(右上がりの傾きが急である)。◆は水位の上昇と流量の上昇が、1m:1,000m3/s程度である(右上がり45度程度の傾きを示ている)。
 工事実施基本計画で計画対象となっている洪水は、1959〜1961年で、1975年の前である。しかも、水位に対して流量が一番高くなっている時期である。
 基本高水のピーク流量を6,300m3/sにしたのは昭和43年で、河道はその前の時期の測量結果である。いずれも1975年の前のもので、水位に対して流量が高くなる時期である。
 したがって1975年以降の河道では、3,500m3/s以上の流量が流れる水位(例えば、基本高水ピーク流量6,300m3/sが流れる水位)は、1975年より前の河道(例えば、1960年頃の河道)での水位よりも高くなる。
 過去の洪水の水位・流量をみると、1965年8月洪水の11.12m・4,200m3/s(実測10.07m・4,230m3/s)に対して、1975年8月洪水の12.37m・4,200m3/s(実測12.37m・4,414m3/s)である。同じ流量4,200m3/sでも、1975年洪水の方が水位が1.2m高い。
 2) 検討の前提2(河道の状態が流量を決める)
 H−Q関係を求めるのに用いた流量は精確か。流量の測定はどの年も精確か。古い時、1960年(昭和35年)頃以前の流量測定が不精確ということはないのか。古い時の流量測定が精確とすると、河道の状態、つまり、粗度(流れにくさ)や河積に、1975年の前とそれ以後とでは違いがあることになる。
 河川の流量は、流水の断面積、勾配、潤辺(流水が壁や底に接する長さ)によって決まる。
 流量計算に用いられる式にマニングの平均流速公式がある(甲42洪水対策関係資料集p3流量に関する公式)。これらの関係は以下の通りである。
流量

     formula_a1.gif

     formula11.gif

マニングの公式

   formula22.gif

   formula_b1.gif


   formula33.gif

ここに、
Q:流量  V:平均流速   A:流水断面積
S:潤辺(流水の側底辺長)  R:径深(A/S)、河川ではR≒水深h  I:水面勾配(≒河床勾配i) n:粗度係数(流れにくさの係数)
B:水面幅(河床幅b+2h・堤防勾配mであるが、長方形としてB=bとする)
 (2)式がマニングの平均流速公式である。これは1断面でnは1つである。
 しかし、河道横断面の形状は均一の1断面ではなく、低水路、高水敷き、その他河床の起伏のある複数の断面であるのが通常である。(2)式を基本式として、断面を同じ形状毎に細分割して流速を求め、それを合わせて全断面における流速を求める(分割断面毎にnを与える。nが断面数あることになる)。
 また、マニングの公式は等流(どの地点でも同じ流量)についての公式であるが、河川の洪水は不等流である。河川の水位計算は、河川縦断方向に一次元的な流れとして不等流計算が行われる。河川縦断方向に断面を設定して、下流(河口水位)から縦断断面毎に水位と流速を求めて、それを上流縦断断面へと逐次繰り返して、計算される。断面毎の水位や流速を決める要素は、上記(1)式における断面積要素A、勾配要素I、潤辺要素S(径深Rと粗度n)である。基本的要素はマニングの公式と同じである。マニングの公式の(3)式では、(1)式での断面積要素はA=Bh、勾配要素はi、潤辺要素(径深、粗度)はhとnである。
 これらの流速を決める断面積要素A、勾配要素I、潤辺要素Sに違いがあれば、流量Qは変わる。したがって、河川の同じ地点で流量Qに違いがあれば、その原因は、当該地点の断面積A、勾配i、潤辺(水深hと粗度係数n)に違いがあるためである。また、同じ流量のとき河川の異なった地点で水位が違うのは、地点毎に断面積A、勾配i、潤辺(水深hと粗度係数n)に違いがあるためである。
 河道の断面積、水深、粗度、勾配は定期に測量されている。その結果は、河床年報としてまとめられている。また、主要な洪水では、洪水毎に流量計算がされており、そのときの粗度係数nが求められている。揖斐川の主要な洪水での粗度係数nについて、これまでに公表されたものは以下の通りである(甲90)。

表3-2-2 揖斐川の主な洪水の粗度係数n
区間 1958.8 1959.9 1960.8 1965.9 1975.8 1992測量 計画
4.2k〜 7.2k 0.028 (0.022) (0.022) 0.025 0.020 - -
7.2k〜12.6k 0.029 - -
12.6k〜16.0k 0.035 - -
16.0k〜20.2k 0.028 - -
20.2k〜24.0k 0.033

0.027

24.0k〜26.8k 0.038
26.8k〜27.6k - 0.030
27.6k〜31.8k 0.030 0.028 0.025 -
31.8k〜40.0k - 0.037
40.0k〜46.2k 0.030 -

0.035

46.2k〜55.4k 0.034 0.034 (0.030) - - -
55.4k〜61.2k 0.030 - - -

    1965年以前の洪水での粗度係数nが小さいことが読み取れる。これに対して、1975年(昭和50年)洪水での粗度係数n、また、1992年(平成4年)測量の河道での粗度係数nが大きいことも読み取れる。この粗度係数nが精確とすると、同じ4,000m3/sを超える流量でも、1975年の前の洪水では水位が6m程度であるのに対して、1975年以降の洪水では水位が7m以上になっている(甲42p2年最大の水位と流量関係図)のが、ある程度説明がつく。
 2) 現況河道での流過流量(流過能力)
 乙115p9、10では、現況河道(平成4〜5年)で計画高水位以下で流し得る最大流量が示され、それは3,400m3/sとされている。但し、p9を見ると、計算水位が計画高水位になっているのは、35〜38q付近だけで、他の区間は、計画高水位を0.3〜0.8m程度下回っている。
 乙115p11、12では、計画対象洪水の昭和34年洪水(1959年型洪水)について、河道は平成4〜5年のものを用いて、河道の流過能力がどれほどあるかの検討結果が示されている。計画高水位を、ダムがないと2.21m、既設の横山ダムのみだと1.71m、横山・徳山ダムだと0.31m上回る結果であった。
 しかし、粗度係数n、河道断面積Aなど河道の状態については、乙115には資料がない。被控訴人大臣は、計算の根拠や過程を全く見ずに事業認定をしたのである。
 4) 河道改修による現況河道の流過能力増大の可能性
  イ) 乙11の4p73現況と河道計画における河道の粗度係数nの比較
 乙115には粗度係数n、河道断面積Aなど河道の状態についての資料がないが、徳山ダム審第1回技術部会資料p20表3−21(乙11の4p73)で、現況河道(1992〜93年)の粗度係数は、計画粗度係数と比較して以下のように示されている。
 本件事業認定処分や徳山ダム審で示された河道に関する情報はこの粗度係数だけで、水位計算に用いた河積は、どこでも示されていない。被控訴人大臣は河積については何も検討せずに本件事業認定処分をしたのである。

表3-2-3 現況と河道計画における河道の粗度係数 n
区間 現況粗度係数 計画粗度係数 計画/現況 現況/計画
20.2k〜26.8k 0.033 0.027 0.82 1.22
27.0k〜31.8k - 0.030 0.91 1.10
32.0k〜40.0k 0.037 - 0.81 1.23
40.2k〜46.2k - 0.035 0.95 1.05

  ロ) 河道改修による粗度の低下(流れ易くなる)
 上記表3-2-3[現況と河道計画における河道の粗度係数n]を比較すると、現況河道は計画河道に比べて流れにくい粗度係数である。マニングの公式など平均流速の公式では、例えば上記(3)式のように、流量は1/nに比例する。粗度係数nが大きいと、流れにくく、同じ水位でも流量は小さい。また、同じ流量では、水位は高くなる。
 上記[計画/現況]欄は計画河道に対して現況河道がどの程度流れにくいか比較したものである。20.2qから40.0qまでは、現況河道は計画河道に対して0.81、0.82、0.91と流れにくい。特に、20.2q〜26.8qと32.0q〜40.0qまでは、現況河道は計画河道に比べて0.81〜0.82の流れ易さしかない。現況河道は、粗度係数nの大きいこと、つまり流れにくさが、計画高水位で流しうる計算流量を少なくしているし、計画高水流量での計算水位を高くしている。現況河道のこの流れにくさが計算水位を高くしている要因の一つである。
これは逆に見ることもできる。計画粗度係数0.030は現況粗度係数0.037よりも、0.81の逆数倍、すなわち1.23倍流れやすい。計画粗度係数0.030は現況粗度係数0.037よりも、同じ水位でも流量は1.23倍多くなる。現況河道から計画河道に改修されれば、河道の流しうる流量は1.23倍増大する。
 1975年8月洪水の万石地点実測流量4,400m3/s(水位TP12.37m、計画高水位はTP12.09m)の1.23倍は5,400m3/sである(表3-2-3[主要な洪水の粗度係数]記載のように、1975年8月洪水の粗度係数nは1992年測量での現況粗度係数nよりも大きいようであり、これは小さめの数値である)。これに対して、計画高水流量配分図(乙115p7)では、基本高水流量6,300m3/sから横山ダムカット分1,080m3/sを引くと、河道流量は5,220m3/sとなる。計画河道に改修されると、計画高水位程度で横山ダムのみよる河道流量を流しうる流過能力になる結果である。
  ハ) 計画河床への河床浚渫(河積と水深の増加)
   a) 河床高から(甲42洪水対策関係資料集p5現況と計画の河床高比較図)
 計画河床にするための浚渫により河積が増加するので、河道の流過能力は増大する。計画河床への浚渫は、(3)式のマニングの公式など平均流速公式では、断面積Aと水深hの増加の原因となる。
 平成10年の測量結果で、現況平均河床高(低水路での平均)は計画河床高よりも高い(甲42洪水対策関係資料集p5現況と計画の河床高比較図)。200m毎でみると、数区間を除けば、1〜3m、現況河床は計画河床よりも高い。35q地点〜41q地点では、37q地点の1km程(0.7〜0.8m高い)を除けば、1.3〜2.3m現況は計画よりも高い。万石40.6q地点では、現況はTP4.26mで計画はTP2.95mと2.31m現況が高い。河床と計画高水位との差(水深。複断面なので、それがマニングの公式のRになるのではないが)は、計画は9.13m(=TP12.08m−TP2.59m)で現況は6.82mである。計画河床高への浚渫により、計画高水位以下で流過させうる流量は、マニングの公式ではQはR5/3に比例するので、約1.29倍になる。
 実測流量4,400m3/sを記録した1975年(昭和50年)8月洪水でも、資料のある27q地点より上流全てにおいて、1975年現況平均河床高は計画河床高よりも高い。例えば、万石地点の計画河床高はTP3.95mであり(したがって、計画水深は8.13m=TP12.08m−TP3.95m)、この付近の現況平均河床高(低水路の平均)は計画河床高より0.7m程度高い。計画河床高への浚渫により、計画高水位以下での流過させうる流量は、マニングの公式では、約1.18倍になる。
   b) 河積から(甲42洪水対策関係資料集p6現況と計画の河積比較図)
 揖斐川の河積は、現況河積が計画河積よりも小さい。現況河道は計画河道に比べて河積不足である。現況河道は浚渫等により計画河道に河積拡大される。例えば、甲42洪水対策関係資料集p5河床高比較図に示したように、河床は、現況が計画より27q地点から下流は2〜3mほど、だいたい3m高い。したがって、計画河床への浚渫により河積は増加する。計画河道への河積増大によって、河道の流過能力は増大する。
 34q地点〜39q地点、特に35q地点、39q地点は、上下流よりも、現況も計画も河積自体が小さい。河積自体が上下流に比べて小さい以上、同じ流量の洪水が流れたとき、この区間で水位が高くなるのは当然である。計画河積も小さいのであるから、計画河道になっても、この区間の水位は、上下流に比べて高くなる。
 また、計画河床も年代によって、違っており、変更されている(甲42p8計画河床高の比較図)。これは、おそらく、1975年(昭和50年)9月洪水をうけて変更されたものであろう。ある計画河床が絶対のものでなく、計画河床は変更可能なのである。
 5) まとめ(計画河道での流過能力の検討の必要性)
  イ) まとめ
 以上の通り、現況河道から計画河道に改修されると、河積が増大し、また、粗度が小さくなり、水深も増大して、河道の流過能力は増大する。
 したがって、洪水対策の検討としては、計画河道での流過能力、防御対象洪水が流過したときの河川縦断方向の水位を検討しなければ意味がない。これにより、計画河道において、水位が高くなる区間が明らかになり、水位は河川の全区間で高くなるのか、あるいは部分的な区間で高くなるのかも明らかになる。
 原判決や被控訴人大臣のように、現況河道での流過能力、それも、河川縦断的のどこかの地点で計画高水位に達する流量の現況流過能力だけを検討しても意味がないのである。
 この計画河道での流過能力の検討によって、水位の高い区間に対して河道で対応する案(拡幅、嵩上げ等による河積の拡大、高水敷幅の縮小等による粗度の低下)が代替案として考えられる。まず、洪水対策としては、河道による対応が基本であり、第一段階として、これを検討すべきである。
  ロ) 原判決について
 現況河道から計画河道に改修されると、河積が増大し、また、粗度が小さくなり、水深も増大して、河道の流過能力は増大することに関して、原判決は、「原告らは、計画粗度係数の改善や計画河床への浚渫により、流水が流れやすくなったり水深が増大することから、マニングの公式に当てはめて流過能力が増大すると主張する。しかし、河川の場合には、河道断面及び勾配が一定であることを前提とする等流計算の考え方をそのまま適用することはできないから、原告らの上記主張は失当である。」という(p134)。
 控訴人は、「計画粗度係数の改善」により、流水が流れやすくなる、とは主張していない。上記のように「粗度が現況粗度係数から計画粗度係数に改善される」と主張しているのである。「計画粗度係数への改善」はあっても、「計画粗度係数の改善」はあり得ないことであり、原判決は何を言いたいのか意味不明である。
 控訴人は、計画河道に改修されることによって、計画粗度係数に粗度が改善されて流水が流れやすくなり、計画河床への浚渫により、水深が増大し、また、河積が増大するので、河道の流過能力は増大すると主張し、そのことを河床年報の計画粗度係数、計画河床高、計画河積などによって明らかにしたのである。
 控訴人がマニングの公式を用いたのは、計画河道に改修されることによって河道の流過能力が増大することを明らかにするためである。すなわち、河道の断面毎の水位や流速を決める要素は、上記(1)式における断面積要素A、勾配要素I、潤辺要素S(径深Rと粗度n)である。これは等流計算のマニングの公式でも不等流計算式でも変わりはない。不等流計算の基礎方程式(原審被告大臣最終準備書面p40、41)においても、断面積A、勾配i、潤辺(水深hと粗度係数n)がマニングの公式と同様に組み込まれている。したがって、流速を決める断面積要素A、勾配要素I、潤辺要素Sに違いがあれば、流量Qは変わるのである。計画河道への改修によって、断面積A、勾配i、潤辺(水深hと粗度係数n)に流量Qを増大させるような変化あれば、計画河道での流過能力は増大するのである。それ故、計画河道での流過能力の検討が何よりも必要なのである。
 原判決は、現況河道から計画河道に改修されて、粗度の改善によって流水が流れやすくなり、また、浚渫によって水深が増大し、河積が増大するが、河道の流過能力は増大しないと言いたいのか、それとも、現況河道から計画河道に改修されても、粗度は改善されないし、また、水深は増大せず、河積も増大しないと言いたいのか。いずれであっても、水理学の初歩を理解しないか、揖斐川の河道改修計画を無視しているかであって、明白な誤りである。
 
4 基本高水のピーク流量(過大なピーク流量の設定)
 1) 降雨に基づく基本高水のピーク流量の決定の問題点
イ) 治水上適正な計画規模は、人の生存年数に対応する長良川での1/70程
度であり、揖斐川の治水上の計画規模1/100はこれよりもやや大きく、小さめではなく大きめの計画規模である。
 1/150や1/200は治水上の計画規模としては大きすぎる。計画規模を上回る洪水は必ず起こるのであり、その場合、計画規模を大きくしすぎると、災害規模が大きくなるばかりでなく、災害を想定しない土地利用等の生活様式が進むこともあり、破堤したときには壊滅的な被害を受けることになる。その様子は、最近の浸水被害想定図や乙15p7に見ることができる。計画規模を1/150 と大きくし、河川流量を大きくして破堤した場合の最悪シナリオは、乙215p7である。計画規模を小さくし、河川流量を少なくしたうえ破堤せず越流するだけのときは、このような浸水にはならない。
 原判決は、揖斐川の1/100という計画目標は全国の主要河川との比較上、「低い水準」であると、否定的な判断をしているが、それは誤りである。むしろ、1/150や1/200よりもより適正な水準なのである。
ロ) 工事実施計画では、揖斐川の基本高水のピーク流量は計画降雨からいくつ
かの過程を経て求められている。揖斐川での計画降雨から基本高水とそのピーク流量の求め方は以下の通りである。計画規模を年超過確率1/100と定めて、計画降雨の期間を2日間として、過去の2日間の雨量記録から年超過確率1/100に対応する計画降雨量を求める。その2日間計画降雨量と過去の代表洪水(昭和28年9月、昭和34年8月、昭和34年9月、昭和35年8月、昭和40年9月)での実績2日間降雨量の比で、実績の地域ごとの時間降雨量を引き伸ばす(引伸ばし率は、上記表3-2-1過去の主な洪水の表の通り)。これを流出解析して河川流量に転換して、各洪水型毎の洪水流量ハイドログラフとそのピーク流量を求める。そのなかから、防御の対象とする基本高水とそのピークを選択する。
 そうすると、検討し、選択した降雨と洪水は、計画降雨での年超過確率1/100をさらに、細分化したものである。その降雨と洪水の年超過確率は、1/100よりも小さくなる。資料数的には、5類型しかないなら、1/100×1/5=1/500である。
 したがって、基本高水のピーク流量が年超過確率1/100の規模を超えて、大きすぎることがある。
 2) 2日間雨量の比による時間降雨量の引伸ばしの問題点
イ) 上記のように、計画の対象とする基本高水のピーク流量は、当該代表洪水
時の時間雨量に、それと2日間雨量についての当該代表洪水時雨量に対する計画降雨量の比を乗じて、当該代表洪水時の雨量を引伸して得た雨量によって算出されている。
 洪水防御計画において求めたいのは、2日間雨量ではなく、洪水のピーク流量である。
 乙11の3p24・第7回ダム審補足資料p4と上記表3-2-1過去の主な洪水の表の最大流量欄をみると、揖斐川では、洪水ピーク流量つまり、洪水波形一山は12〜24時間雨量に対応しているようである。洪水一山波形が12〜24時間雨量程度の洪水について2日間雨量が用いられるのは、洪水の原因となる降雨が日界をまたいで2日間に亘って生じることがあるが、雨量が日単位で集計されているためである。したがって、2日雨量は比較的少なくても、短時間の雨量が多いと洪水のピーク流量は多くなる。その結果、2日雨量の比で時間雨量を引き伸すと、2日雨量が少なく短時間の雨量が多い場合は、洪水のピーク流量は他の場合に比べてより多くなりやすい。引き伸ばされた時間雨量が過大になって、過大な流量になるので注意が必要である。2日雨量の過大な引き伸ばし率だけが問題なのではなく、引き伸ばされた時間雨量や流量を大きくする数時間の雨量が過大になることも問題なのである。
 昭和34年(1959年)9月洪水は、このような2日雨量は5類型のなかで最も少ないが、降雨が短時間に降雨が集中した場合である。そのため、流量は4,500m3/sと、5類型のなかで最も多かった。流域平均雨量としては、一山降雨では12時間程度、大きなピークでは4時間程度であり(乙11の3p24・第7回ダム審補足資料p4)、それも徳山地域に集中して流量が多かった場合である(甲41p143)。したがって、同洪水での分割小流域での時間雨量を2日雨量の比で引伸して求めた流量は、計画規模を超えた過大な流量の可能性がある。
 昭和34年9月洪水の分割小流域での時間雨量の資料は、本件事業認定処分の処分過程において検討された資料(乙115)の中にはない。また、徳山ダム審資料(乙11の1〜3)の中にもない。徳山地域(徳山ダム集水域、乙11の3p5のティーセン分割図では@流域)の2日雨量の資料もない。原審の審理において、控訴人は甲41p143に2日雨量の等雨量線図を提出したが、本件事業認定処分の処分過程においてはこのようなものもない。最も重要な、昭和34年9月洪水での分割小流域での時間雨量を2日雨量の比で引伸して求めた流量が計画規模を超えた過大な流量でないかの資料は、本件事業認定処分で検討に用いられた資料中になく、その検討はなされていないのである。
ロ) 原判決は、昭和34年9月洪水での引き伸ばし率は1.313であり、2
倍程度以内に収まっており問題がないという(p133)。
 しかし、問題は、昭和34年9月洪水での分割小流域での時間雨量を2日雨量の比で引伸して求めた流量が、計画規模を超えた過大な流量でないかである。上記のように、分割小流域での時間雨量を2日雨量の比で引伸すと、過大な短時間雨量となって、求められた流量は過大なものとなる可能性がある。2日雨量の引き延ばし利率だけでなく、これが問題なのである。
 原審の審理においては、控訴人が提出した甲41p143に2日雨量の等雨量線図があるだけである。原審の審理でも、昭和34年9月洪水の分割小流域での時間雨量の資料はないのである。最も重要な、昭和34年9月洪水での分割小流域での時間雨量を2日雨量の比で引伸して求めた流量が計画規模を超えた過大な流量でないかの資料は、原審の審理でも、その検討に用いられた資料中になく、その検討はなされていないのである。
 3) カバー率による適正ピーク流量の選定
イ) 上記のように、2日間計画降雨量を年超過確率1/100から求め、その
降雨量と過去の幾つかの洪水での実績降雨量の比で実績の時間と地域の降雨量を引伸ばして、洪水流量を求めると、その降雨型による洪水流量の年超過確率は計画規模である1/100を超えることがある。数類型のなかから、その最大のものを選ぶと1/100を超えることは明らかである。ピーク流量の最も大きい洪水型を選ぶと、ピーク流量が計画規模1/100の年超過確率を大きく超えて、過大な流量となることがある。
 そのため、基本高水の決定は、各洪水類型の解析で得られたピーク流量を、カバー率によって比較検討し、過大な基本高水のピーク流量が選択されないようにしなければならない。例えば、河川砂防技術基準では、カバー率50%以上とするとなっており(乙34の1p16)、過大な基本高水のピーク流量が選択されないようになっている。なお、ここでカバー率とは「ピーク流量のカバー率」であり、門松第1回目調書p12は、「降雨のカバー率」と言っており、間違っている。
 「カバー率」は、ある年超過確率の計画降雨量から求めた洪水ハイドログラフ群(したがってピーク流量群)において、あるピーク流量の当該ピーク流量群における充足率のことである(乙34の1p16)。カバー率50%は中央値であって理論的に最も起こりやすい場合であり、理論的な当該年超過確率(例えば1/100)の流量に相当する理論的正解値である。
 揖斐川において検討対象とした各代表洪水型でのピーク流量は以下の通りであった(乙11の3p26・第7回ダム審補足資料p6)。
  昭和28年(1953年)9月  5,000m3/s
  昭和34年(1959年)8月  4,000m3/s
  昭和34年(1959年)9月  6,300m3/s
  昭和35年(1960年)8月  5,300m3/s
  昭和40年(1965年)9月  5,900m3/s
 6,300m3/sは、検討対象とした洪水ハイドログラフ群の最大値で、資料のなかではカバー率100%であり、50%を大きく上回っている。理論的正解値であるカバー率50%の流量は、5,300m3/sである。
 洪水防御の対象となる基本高水のピーク流量では、6,300m3/sの年超過確率は防御対象の計画規模を大きく上回るものである。
ロ) 原判決は、6,300m3/sは、検討対象とした洪水ハイドログラフ群の最
大値であってカバー率100%であり、計画規模を大きく上回るものであること、また、理論的正解値であるカバー率50%の流量は5,300m3/sであること、これらについては全く判断していない。
 4) 流量で確率評価すればよい
 結局、河川の洪水防御計画で防御対象として求めたいのは洪水のピーク流量である。
 したがって、年超過確率で防御規模を決定するとしても、過去の洪水での最大流量を年超過確率で評価して、防御対象とする基本高水のピーク流量にすればよい。
 流量の観測資料が少ないため、精度の良い流量による確率評価ができないときは、理論的な当該計画規模の年超過確率の流量に相当する上記カバー率50%の流量を、防御対象とする基本高水のピーク流量にすればよい。

5 代替案との比較
 1) 原判決の検討
 原判決は、揖斐川の治水対策の代替案として、徳山ダム建設案、徳山ダムを建設せずに、その分(注・徳山ダム調節分)河道の計画高水流量を増大させる案として、乙11p12、13引用して、引き堤案、堤防嵩上げ案、河床掘削増大案の3案を検討している(p134〜135)。しかし、その検討内容は、乙11p13の[治水対策の方法の比較]をそのまま写したものであって、検討したとは到底言い難いものである。
 洪水対策としては、河道による対応が基本であり、上記したように、計画河道での流過能力を検討して、水位の高い区間に対して河道で対応する案(拡幅、嵩上げ等による河積の拡大、高水敷幅の縮小等による粗度の低下)を代替案として検討すべきである。洪水対策としては、河道による対応が基本であり、第一に、河道による可能性を検討すべきでなのである。
 しかし、被控訴人大臣はこの検討をしておらず、原判決もそのことを検討過程審査として審査しておらず、追認している。
 2) 原判決の見落としていること(徳山ダム案が洪水に対して最も危険である)
  イ) 徳山ダム建設案では、河道流量は計画高水流量を超える               −徳山ダムの洪水調節効果は限られている−
 徳山ダムによる洪水調節効果は、ピーク低減量の推算によれば(表3-2-1過去の主な洪水の表、乙11の4p73・徳山ダム審技術部会資料p20)、1959年9月型洪水では1,600m3/s、1959年9月型洪水以外は300〜800m3/sである。1959年9月洪水は、降雨が揖斐川最上流の徳山地域に多かった。他の洪水型では、根尾川や揖斐川の徳山下流に降雨が多かった。洪水パターンは多様であるから、徳山ダムの洪水ピーク流量の低減効果は限られている。このことを詳しくみてみよう。
 表3-2-1過去の主な洪水の表、および、その基礎にした乙11の4p73(徳山ダム審技術部会資料p20)から明らかなように、徳山ダムによるピーク低減量をみると、1959年9月型洪水で低減量1,600m3/s、低減率0.25だが、その他の洪水では低減量、低減率ともこの約半分以下で、特に1960年8月型洪水では低減量300m3/s、低減率0.06である。
 降雨の地域分布をみると、1959年9月洪水は徳山に多く雨が降ったが、1960年8月洪水は根尾川上流に多く雨が降った(甲41台風6号報告書p144、145)。
 揖斐川は本流の外に、大きな支流として根尾川がある。その他に、坂内川、粕川、牧田・杭瀬川もある。
 これを流域面積に関する資料(乙11の4p65、66・ダム審技術部会資料p12、13)によって検討しよう。流域面積では、徳山ダム集水域(流域番号1)は254.5q2で、万石地点より上流流域の0.21である。横山ダム固有の集水域の徳山下流、坂内川流域(流域番号2)が216.5q2ある。横山ダム集水域(流域番号1+2)は471q2で万石地点より上流流域の0.39である。これに対し、根尾川流域(流域番号5〜8)は約416q2で、万石地点より上流の0.35である。万石地点より上流の流域面積からみると、根尾川は揖斐川本流の横山ダム上流に近い流域面積である。
 徳山ダムは、万石地点より上流の揖斐川全集水域の20%に降った雨の水しか貯めることはできない。残りの約80%の流域に降った雨による流量は削減できない。1960年8月型洪水(計算ピーク流量5,300m3/s)で、低減量300m3/s、低減率0.06なのはそのためである。
 横山ダム+徳山ダムでも、表3-2-1[過去の主な洪水]の表の計画降雨ピーク流量から徳山ダムピーク低減量と横山ダムピーク低減量の合計を差し引いた流量が河道流量である。
 1959年9月型洪水と1960年8月型洪水は、河道流量は計画高水流量3,900m3/sを超える。1959年9月型洪水(ピーク流量6,300m3/s)のように徳山ダムで1,600m3/sと多く流量低減するときでも、横山ダムでは500m3/sしか流量低減できない。両ダムによる流量削減は2,100m3/sであり、河道流量は4,200m3/sとなって、計画高水流量3,900m3/sを超える。他方、1960年8月型洪水(ピーク流量5,300m3/s)では、徳山ダムで300m3/sしか流量削減できず、横山ダムでも600m3/sしか流量低減できないので、両ダムによる流量削減は900m3/sであり、河道流量は4,400m3/sとなる。河道流量は計画高水流量3,900m3/sを超える。
 ロ) 徳山ダム建設案だけが、河道は洪水を安全に流過させられない
 以上のように、徳山ダム建設案では、1959年9月型洪水、特に、1960年8月型洪水で、河道流量は計画高水流量3,900m3/sを大きく超える。
 これに対して、徳山ダム建設案以外の案は、徳山ダムがない案であるから、表3-2-1に示したように、そこでの河道流量は防御対象洪水である1959年9月型洪水でのピーク流量6,300m3/sから横山ダムピーク低減量500m3/sを差し引いた5,800m3/sである。この5800m3/sを流過させるような河道流過能力を確保するために、河床浚渫、堤防嵩上げ、引き堤を行うのである。その一例が乙15p13[洪水対策の比較]に記載されている改修方法である。この表では、現在計画(徳山ダム案)では、徳山ダム建設費600億円と河道改修費5400億円が事業費となっている。原判決や被控訴人大臣は、この表によってのみ代替案の検討を行っている。
 徳山ダム案以外の河道対応の案では、1960年8月型洪水の場合、河道流量は、ピーク流量5,300m3/sから横山ダムピーク低減量600m3/sを差し引いた4,700m3/sである。これは、1959年9月型洪水のために確保した5,800m3/sの河道流過能力に収まっているので、河道対応案では、1960年8月型洪水にも対応できる。
 徳山ダム建設案と他の河道対応の代替案を比較すると、河道は、防御対象として検討した洪水型による洪水を、河道対応案は安全に流過させることができるが、徳山ダム建設案は安全に流過させることができないのである。そうすると、徳山ダム建設案は、防御対象とした検討した洪水を安全に流過させるには失格であり、代替案のなかで最も安全性に欠ける案なのである。
 以上のように、徳山ダムの洪水調節による揖斐川の洪水防御効果は限られており、河道の流過能力を増大させる方法が必要である。その原因は徳山ダムは万石地点より上流の流域面積のうち約20%しか集水できないからである。洪水防御効果の範囲を広げることができるのは、広い流域面積をカバーする対策であるが、河道での対策は、そこに流入する洪水の防御範囲からは100%である。したがって、河道でどの程度の洪水防御が可能か十分に検討する必要がある。
 そのためには、上記したように、計画河道での流過能力を検討して、水位の高い区間に対して河道で対応する案(拡幅、嵩上げ等による河積の拡大、高水敷幅の縮小等による粗度の低下)を代替案として検討すべきである。

6 余裕高 
 1) 過大な余裕高
 余裕高は、洪水時の風浪、うねり、跳水等による一時的な水位上昇に対し、洪水を越流させず、また、洪水時の巡視や水防を実施する場合の安全の確保、流木等流下物への対応等のために必要とされるものである(乙79p108)。
 木曽川水系工事実施計画での揖斐川の余裕高は2.0mである。揖斐川の堤防の天端(堤防高)は防御対象とする水位である計画高水位より2m高いところにある。
 2mの余裕高は大変大きな高さである。洪水時に風浪、うねり、跳水等があったとしても、乙115p4や乙15p3の[木曽三川の河床縦断図]に示されるように、河床勾配が緩い45q地点付近より下流では、それらによる一時的な水位上昇は殆ど無い。例えば、表3-2-1過去の主な洪水のなかで最高水位を記録した1975年洪水での万石地点での洪水流過状況である。河床勾配が急な岡島地点(56.6q地点)でも、うねりや跳水による水位高は1m以内程度である。また、洪水時の巡視や水防を実施する場合の安全の確保、流木等流下物への対応等のために、2mも高くする必要はない。このように、2mの余裕高は、水位が計画高水位となるような洪水に対する安全性からみると、かなり余分の高さなのである。
 しかし、逆にみれば、2mの余裕高のある堤防は、水位が計画高水位を上回る洪水に対しても安全性があるということである。
 そうすると、堤防高を変えずに、2mの余裕高を小さくすれば、計画高水位が高くなり、計画高水位以下の河積が増大する。計画高水位以下の流過能力が増大するのである。
 揖斐川の基本高水のピーク流量は6,300m3/sであり、河川管理施設構造令20条(以下、構造令という)に基づく計画高水流量6,300m3/sの規模に必要な余裕高は1.5mである(乙79p108)。したがって、揖斐川の計画堤防高はそのままにして、余裕高を2.0mから、基本高水流量の6,300m3/sに応じた構造令基準の1.5mにすると、その高さが計画高水位である(計画堤防高は変わらないので、堤防の高さを低くするのではない)。これによって、計画高水位が0.5m上昇するので、計画高水位での流過能力は増大する(上記(3)式によれば約1.1倍増大する)。
 余裕高1.5m程度でも、計画高水位が防御対象としている洪水に対してもかなり余分の高さである。また、揖斐川は、余裕高1.5m程度でも、河床勾配が小さい45q地点付近より下流では、洪水時に風浪、うねり、跳水等によって一時的に水位が上昇しても十分に対応できる。余裕高15m程度で、十分すぎる高さである。
 ちなみに、揖斐川の余裕高は、1953年度木曽川改修総体計画以前は、40q地点より下流は1.7mであった。木曽川改修総体計画によって、余裕高が全川で2mとなったのである。当初から余裕高が2mではなかったのである。
 また、長良川では、1963年の計画高水流量の増量改訂において、計画高水位以下の流過能力を増やすため、堤防高はそのままにして、従来の余裕高2.5mを2.0mに切り下げられている。上記の余裕高を1.5mにするのは、揖斐川の基本高水流量の規模に合わせて、これと同じことを行うことである。
 2) 原判決
イ) 原判決は、河川管理施設構造令の基準は最低値であるという(p133〜
134)。
 しかし、上記したように、2mの余裕高はかなり大きな値で、ピーク水位が計画高水位になる洪水としては余分の高さが含まれている。構造令の基準値自体が大き過ぎるのである。
 揖斐川では、工事実施基本計画での余裕高が2mと、それ自体大きな値である構造令の基準値1.5mをも上回っているので、構造令の基準値することは法令上の問題は何もない。
ロ) 原判決は、木曽三川の中で比較すると、揖斐川が最も河床勾配がきつく、
いわゆる荒れ川であることを勘案して余裕高2mと設定されたといい、余裕高を1.5mにするのは採用できないという(p134)。
 「木曽三川の中で揖斐川が最も河床勾配がきつい」というのは、乙15p3や乙115p4の[木曽三川の河床縦断図]に基づいたものであろう。
 しかし、上記の木曽三川の河床縦断図から明らかなように、源流から河口までの間の平均的河床勾配は、木曽三川のなかで、揖斐川が最も急であるが、50q地点付近より下流では、揖斐川が最も河床勾配が緩やかであり、木曽川と長良川の河床勾配はこれより急で同程度である。50qより下流、例えば、万石地点付近より下流では、木曽三川のなかで、揖斐川が最も河床勾配が緩やかで、おとなしい川なのである。木曽川、長良川に比べて河床勾配の緩やかなこの区間について、余裕高を1.5mにするのは、河床勾配がきつく荒れ川であるかの点では、何も問題がない。
ハ) 原判決は、余裕高を小さくし、その分河道の流過能力を大きくすることは、
既往最高水位程度に設定されている計画高水位を大幅に高くする、という(p134)。
 しかし、上記のように、余裕高を小さくして計画高水位を高くするのは、0.5mである。余裕高2m全部をなくすのであれば、大幅に計画高水位が高くなるであろうが、0.5mは僅かな計画高水位の上昇である。この程度では、問題とすべきものでない。
第3 自然環境の破壊、特に大型猛禽類の保護
1 環境保全対策の根本的問題点
 原判決は、p137〜157において徳山ダム事業が与える「環境への影響と保全対策」を述べているが、その内容は被控訴人らの主張を鵜呑みにしたものにすぎない。
そもそも、公団の行った環境保全対策は、本件起業地の自然環境を十分調査したうえでなされたものではないのであって、その意味では「環境保全対策」の体をなしていないと言わざるをえない。それは、特に、大型猛禽類の保護に関する日本自然保護協会の「添付文書」やコメント等によく示されている。すなわち、「徳山ダムにおける猛禽類調査は、地域の生息状況を把握したいわゆる『スクリーニング調査』ができた段階であるのが現状であると考えられ、解析に十分な調査がなされたとはいえない状況にある。一度全ての計画及びそのスケジュールを見直し、自然保護と開発活動に関わる自然環境調査のあり方を議論すると共に、猛禽類の地域個体群としての環境保全に必要な措置とその根拠とは何かを議論すべきといえる。」(「公開資料」添付文書)というものである。公団の行っていることは、調査段階をとびこえ、影響評価、保全対策を行おうというものであって、「環境保全対策」の名に値しないものである。
その原因は、公団の次のような立場の表明に現れている。すなわち、「実務者としての水資源開発公団としての立場に立てば、全てのご意見を受け入れることは極めて困難」、「徳山ダムは(治水・利水のため)必要不可欠な施設」、「完成工期の遅延は(事業費の増嵩、治水効果の遅れを招くので)許されるものではない」というものである(丙13)。これはまず工事ありきであり、環境保全対策は二の次であることが明白に語られている。このような立場では、あるべき環境保全対策はなしえないものである。
2 事業認定後以降の指摘という批判に対して
 原判決は、「日本自然保護協会が公表した『添付文書』に示された考え方や調査結果の解析手法は、『猛禽類保護の進め方』や『徳山ダムワシタカ類研究会』の指導に含まれていない内容のものがあり、調査終了後になって示された新たな観点に基づく指摘がみられる。」「公団は、大型猛禽類調査を実施するにあたり、その時点において確立されている知見に基づいて必要な内容の調査を行ったものであり、原告ら引用文書の指摘の中には「猛禽類保護の進め方」にも記載されず、また徳山ダムワシタカ類研究会からも指摘がなかった内容のもの(こうしたものは、専門家としての新たな指摘事項として位置づけられるものであって、一般的に確立された知見とまではいい難いものである。)が複数存在し、原告らはこれらの指摘に基づいて公団の調査方法を批判しているものと認められる。」「そうすると、本件事業認定時までに公団が行った調査において、原告らの前記主張に沿った調査が行われていないとしても、公団が行った調査がその時点において不適切であったということはできない。」と述べる(p156〜157)。
 しかし、この批判は正鵠を得ていない。
 まず、本件事業認定時において、大型猛禽類に関する調査結果という事実は明らかになっていたということである。すなわち、公団の猛禽類調査が行われたのは1996年5月から1998年9月までであり、本件事業認定時(1998年12月)にはその観察記録のとりまとめはすでに行われていた。事実はすでに存在したのであり、後はその評価の問題である。「事業認定時に存在していた事実」に対して適正に評価ができているかどうかは、まさに事業認定の適否の判断に他ならない。この点は原判決も肯定する。
 次に、日本自然保護協会が出した添付文書やコメント等は、専門家としての当然の経験則を述べたものであって、そこに述べられていることは普遍的なもので、発表の時期を問わない普遍的なものであるということである。「一般的な知見とまではいい難い」というものではない。原判決は、公団が専門家の意見を聞いて環境保全対策を行っていると認定している。日本自然保護協会の指摘はまさにこの専門家の意見に他ならないのであって、この指摘に沿わない対策は対策としての意味をなさないと言わなければならない。
3 大型猛禽類保護の重要性
 控訴人は、徳山ダム建設予定地における自然環境の全般的問題点を主張するものであるが、その中においても、イヌワシ・クマタカなどの大型猛禽類の保護は特別な考慮が払われる必要がある。すなわち、イヌワシ・クマタカなど大型猛禽類は自然の生態系の頂点に立つ生物であり、その存在は捕食する生物も含めて様々な生物の存在を前提とするため、絶滅への圧力に非常に弱い種である。そのため、それらの種の存在は当該地域の自然度を示す最も重要な指標となる。そこで、差し当たっては、大型猛禽類がどのように生息し保護されているかを検討することが求められる。公団による環境保全対策の多くも大型猛禽類の保護の問題に費やされているのは、同様な認識に立つものである。
 ところで、日本自然保護協会の大型猛禽類の保全についての指摘は、このまま徳山ダム建設工事を行うこと自体を否定するものである。この指摘に従えば、工事を中止して、大型猛禽類を保全することができるかを調査検討しなければならない。このような調査検討をしないでなされた本件事業認定処分は、大型猛禽類の保護について、考慮・検討をしないでなされたものに他ならない。原判決の認定・判断には誤りがある。

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