徳山ダム建設中止を求める会・事務局ホームページ


徳山ダム事業の問題点

報告 村瀬惣一

財政状況と徳山ダム

私の徳山ダム事業に対する立場は、「用途のないインフラ投資はすべきではない」という一点に尽きるということです。
私たちが住む日本では採算性を無視した高速道路、巨大な橋梁、干拓事業、ダムなどの公共施設に対し、過剰な資金の投入が行われており、諸統計によれば政府による総固定資本形成のGDPに占める比率は、1990年代前半において、アメリカが4.40〜3.35%、イギリス4.82〜2.86%、フランス3.40〜3.27%、カナダ2.82〜2.70%となっている。これに対し日本のそれは7.80〜8.44%にも上り、他の国の実に2倍から3倍にもなっている。これを可能にしているのは財政投融資(財投)と特定財源である。こうした財源から公共事業などに投入された結果、2002年度末で国と地方自治体の債務は660兆円を超え、約500兆円の国内総生産(GDP)の130%にも及び、ヨーロッパ連合(EU)が許容限度とする60%と比べても、日本の財政状況は極めて悪くなっていることが分かる。こうした過剰な投資先としては、東海地方では徳山ダムであり、それに先行して建設された長良川河口堰なのだ。
国家・地方財政が逼迫する中、依然として何らの見直しも行われず建設が進んでいる徳山ダム事業について、本件裁判の原告の一人として、@「開発水の用途はないこと」、A「水道用水を受け入れる市町村(県)が担うことになる費用負担について、B工業用水分の債務は償還不能に陥ること、C治水はダムによるべではないこと、D地盤沈下は虚像であることの五つの問題点を示していく。参照[財務省資料]

徳山ダムの開発水の用途はない

岐阜県は、徳山ダムで開発される水のうち、不特定補給を含めて毎秒1.5立方メートル、日量で13万立方メートルに上る水量を西濃地域の1市13町で受け入れ、この地域30万人余に供給する計画だとしている。しかし、この地域の水道用水の供給実績は概ね横ばい傾向が続いて、日量12万立方メートルにとどまっており、これに新たに徳山ダムの開発水、日量13万立方メートルが加わってくることになる。13万立方メートルという量は現在の実績とほぼ同じであり、驚くべき追加水量である。一方、同地域の工業用水は漸減傾向にあり、補給量としての実績で日量40万立方メートルで、これに新たに徳山ダムの開発水、毎秒3.5立方メートル、日量にして30万立方メートルを積み上げようというのである。この大垣地域は地下水が豊富であることは周知の事実であって、水道用水も工業用水もそのほとんどは地下水で賄われていて、何らの不足も枯渇に陥った事実もない。また、時代とともに産業構造も著しく変化を見せ、市民の節水意識なども進み、現状を超えるような水量が俄かに必要になってくるとは言えず、「新規水需要はない」と考えるのが自然である。(※)1市13町:大垣市、安八町、池田町、揖斐川町、大野町、海津町、神戸町、墨俣町、関ヶ原町、垂井町、南濃町、平田町、養老町、輪之内町。

水道用水にかかる岐阜県の費用負担

岐阜県は、徳山ダムの建設費について県の負担分は126億円だとしている。しかし、これはダムの建設費が当初の計画通りに完成した場合である。これまでの工事の進捗状況や既に支出された費用、それに長良川河口堰の場合、その他の先例から推してみて超過は避けられないとみるのが常識的である。恐らく150億円から200億円なるのではないかと予想され、さらにこれに水道として配水する導水施設に投入する追加の予算を強いられることになる。
開発される水を引く導水施設の建設費用を仮に長良川河口堰を例にとれば、知多半島まで導水した愛知県の場合、筏川―河口堰間の距離20kmの施設を連結したことでそれは328億円に上った。また、三重県の場合は中南勢地域の津まで、距離にして約50kmの導水施設を造り754億円、北勢地域までの建設費は374億円で合わせて1,128億円に及んだ。この河口堰の水を受け入れたこれら自治体の財政状況を圧迫し、住民は今や、重い負担を強いられているのが現実である。
徳山ダムの開発水を受け入れる岐阜県の場合はどうか―。この先例をもとに導水距離から推定して500億円から600億円を下回ることはないと考えられる。したがって、ダム本体建設と導水施設建設を合わせた岐阜県の費用負担は700億円から800億円にもなり、例えば、これを給水される地域の人口30万余で割ると1万人につき25億円から30億円に達する。これは、同じような規模の町村の一般会計予算のほぼ1年分に相当し、税収規模の3年分にもなるのである。
仮にこれを、20年償還、財投融資の金利を5%、人口14万人、供給量1日当たり6万立方メートルという条件で、大垣市にあてはめて試算をすると、1立方メートル当たりのコストは資本費分だけでも、180円から200円上昇することになるだろう。また、水道料金に占める資本費は30%程度になる。さらに施設の補修費を含めると常識を超える額になってしまうことに間違いない。
水道事業の規模は10年に1回の渇水に耐えられる程度に設定する、とするのが国の方針であるはずだ。それ以上の事態に際しては節水および農業用水との相互調整によって対処すべきであって、無限の施設を持つことは水道事業の経営上も、住民負担の上からも愚策なのである。

工業用水の償還は返済不能

徳山ダムより先に完成した長良川河口堰においては、水利権の3分の2を工業用水が占めている。この開発水を受け入れることになった愛知県と三重県はともにその需要はなく、その導水施設を造る計画さえないのである。しかし、負うことになった費用だけは支払わなければならない――。
愛知県は、企業会計に対する貸付金の形で年額33億5000万円を、三重県は出資金として20億8000万円を、それぞれ一般会計に計上することで償還財源に充てている。開発された水は売れないまま、ただ税金だけが費やされている。今後、愛知・三重両県ともにこれまでと変わらず水需要は発生せず、収入を見込むことは困難な状況だ。既に厳しい経営状態に陥っている水道事業はさらに債務返済に圧迫され、いずれは地方公営企業法による事業の再建を強いられることは想像に難くない。すなわち破産処理は避けられないのである。こうした憂慮される事態が徳山ダム事業でも起ころうとしているのである。

ダム治水論は成り立つか――

1.揖斐川の最大流量は、基準点になっている大垣市の万石地点で毎秒6,300立方メートルとされている。これを横山ダムで同1,080立方メートル、徳山ダムで同1,720立方メートルの合わせて同2,400立方メートル(同400立方メートルはタイムラグによるロス)の同3,900立方メートルを計画高水量(要するに許容最大流量)とする。ダムによる水位低下は横山ダムが1.40メートル、また徳山ダムが1.50メートルの合わせて2.90メートル。これにより、万石地点の最高水位は、同地点の計画高水位であるT.P.12.09メートルをクリアする―というのが建設省(現・国土交通省)の説明する、このダムの洪水調節機能である。しかし―。
1)建設省は、揖斐川の水位流量式を一旦は1960年に定めたものを75年になって、水位の高い部位で70%に、低い部位ではほぼ同じとするように全体として下方修正しているのだ。これと合わせて最大流量を修正するならば毎秒4,400立方メートルとなるのだが、同6,300立方メートルのままである。これは、伊勢湾台風以後の諸水害における水位と流量の関係に整合する。なお、国の発表によれば、主要水害における水位と流量との関係は次のとおり。
 1960年8月 T.P. 11.12(m) 4,200(立方メートル)
   65年9月     10.96   3,600
   75年8月     12.37   4,200
   76年9月     11.86   3,800
2)揖斐川の水害は1959年と60年に支流の牧田川が根古地で破堤したことを除き、その他の浸水は内水氾濫なのである。根古地の破堤は牧田川から本川に流入する部位の河川形状の不良に起因するとして改修されており、その後は破堤していない。他の内水氾濫に対しては排水ポンプが有効であり、整備は完了しているはずである。
なお、万石地点の水位が12.09メートルを超えたのは1975年8月水害の時だけである。その原因は河積の不足であり、対策は以下の河床の浚渫がよい。高水敷低水敷との落差は5.0メートル、高水敷の2分の1を削れば1.2メートル程度の水位低下が得られると考えられる。

2.戦後の木曽三川の大水害は、揖斐川では前記の根古地地区で起き、長良川では1976年9月に安八町の新幹線橋の下で破堤したことにより発生した。この水害の原因は、築堤の際の手抜き工事であって、水位は計画高水位より1メートル以上低かったのだ。また木曽川では、83年9月に1回のみ坂祝(各務原市と美濃加茂市の中間)で溢水しているが、この原因は丸山ダムの放流によるものだった。
戦後50年余、木曽三川においてはダム貯水が有効な水害防止の手段であったと考えられる水害はなかったのである。

濃尾地域の地盤沈下は虚構である

「地盤沈下 → 揚水規制 → ダム」。地下水を汲み上げれば地盤沈下が起きる。地盤沈下が起きるなら水源転換を図ればよい。したがって、ダムを造ればよい、という三段論法だが、建設省がかつて公表した濃尾地域の地盤沈下図によれば、沈下地点はすべてJRの東海道線、新幹線、関西線および木曽川、長良川、揖斐川、天白川の堤防と佐屋川の廃川敷だった(不可解なことに名神高速道路が含まれていない)。その後、2000年9月に公表した地盤沈下図と市販の地図を同縮尺にコピーして重ねると、ほとんどすべての沈下地点が道路と堤防と重なるのである。あるエリアのすべての道路に地盤沈下がみられれば面的な沈下とも考えられようが、沈下は特定の道路だけにおこっている。
原因は地下水の枯渇ではなく交通量の多さに起因すると解するのが合理的ではないのか。沈下は1970年代前半に終わっているのである。


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