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岐阜 |
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<湖になる古里>第1部(10)
演技じゃない真の涙
「徳山ダムは、莫大(ばくだい)な費用と徳山村の人々の精神的犠牲の上にできた巨大ダム。ダム計画自体に賛成ではないが、中止もできないだろう。今は役に立ってほしいと思う」
沈みゆく徳山村を舞台にした映画「ふるさと」の監督、神山征二郎さん(64)=東京都三鷹市=は、感慨深げに語る。
「ふるさと」は、徳山村の老人「じい」と隣に住む少年「せん坊」との心温まる交流を描いた作品。認知症で周囲の人間から孤立していくじいが、せん坊と触れ合う時だけ元の自分に戻る。徳山村の自然の美しさが息をのむほど鮮やかに描かれる一方、ダムで故郷を失う村人たちの苦悩と寂しさが見る者の心を打つ。
原作は児童文学者の平方浩介さんが書いた児童文学作品「じいと山のコボたち」。原作ではあまり描かれていなかったダム問題をテーマに脚本を作り替えた。
一九八〇年から徳山村に入り撮影を開始した。映画の中に登場する山河や家々は、実際に当時の徳山村で撮影。撮影には村人もエキストラとして参加した。「このころ徳山村は、ダム建設をめぐって揺れに揺れていた」と神山さん。ラストシーンを飾る、徳山村に別れを告げる小学校の学芸会のシーンでは、村人が演技ではなく本当に泣いたという。「生きた芝居だった。村人の心情がそのまま映画で表現されていたから、演技指導は必要なかった」と神山さんは振り返る。
撮影のきっかけは、平方さんの知人から「徳山に本当の人間を見に行かないか」と誘いを受けたこと。「実際、村には、都会の人間が失った人間性を残す人々がたくさんいた」と神山さん。「村人たちは、面白いときには本当に笑い、悲しいときには本当に泣いた。『人間とはこういうものだったか』と気づかされた」と懐かしむ。
徳山ダム建設に対しては「国土の自然を荒らさないでほしかった」と否定的な本音を漏らす。「撮影当時からダム不要論は出ていた。造らなくて済むのなら、造らないでほしかった」
「国の大方針として、人々の生活は農業中心から商業、工業中心に移ってきた。徳山ダムもこの大きな流れの一つ。だが長いスパンで見たときに、本当にそれでいいのだろうか」と疑問を投げかける。
「地球温暖化など大規模な気候変動で、百年後、千年後には大都市に人間が住めなくなる日が来るのでは。そのときに徳山村を沈めたことを後悔するかも知れない」
=第一部おわり
(この連載は石川徹也、小野谷公宏、坪井千隼が担当しました)
【映画監督・神山征二郎】1941(昭和16)年、岐阜市生まれ。新藤兼人監督の下で映画製作を学び、71年に「鯉のいる村」で監督デビュー。83年公開の「ふるさと」は、文化庁優秀映画奨励賞を受賞。「じい」を演じた故加藤嘉さんが第13回モスクワ国際映画祭で主演賞を受けるなど、内外で高い評価を受けた。他に「ハチ公物語」(87年)「遠き落日」(92年)「郡上一揆」(00年)など。
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