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岐阜 |
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<湖になる古里>第1部(6)
教え子の心、気遣う

鼓笛隊の赤い帽子を見つけ、目を細めて懐かしがる大牧さん=旧徳山村本郷の旧徳山小学校で |
「懐かしいなあ。小学校を離れる私を、子どもたちが笛や太鼓で送り出してくれたときにかぶっていた赤い帽子だ」。四月九日、湖底に沈む故郷を見納めしようと旧徳山村を訪れた元教諭の大牧冨士夫さん(78)=北方町芝原中町=は、旧徳山小学校の廃校舎で鼓笛隊の帽子を見つけ、目を細めた。
大牧さんは徳山村出身で、一九六九年から十六年間、旧徳山小学校と旧徳山中学校で教師を務めた。同小学校では教師の着任時と離任時に、子どもたちが鼓笛隊になって先生を囲み村を練り歩いたという。教師たちのほとんどは村外出身者。冬は雪で村外との交通が閉ざされる厳しい土地に、はるばる赴任してくる先生たちは、村にとってかけがえのない存在だった。村全体で歓迎し、送り出した。
村ただ一つの中学校、徳山中へは、通学の困難な戸入、門入、塚など五集落の生徒が寮から通った。教師が交代で当直をし、学校が終わった後も、学習の時間として食堂で教師が自主勉強を指導することもあった。「寮で三年間過ごすと、子どもたちのきずなは本当に強くなった」と、大牧さんは振り返る。「徳山みたいな山の学校でしか勉強できないこともある。自然に親しんで、子どもたちは純粋な心をはぐくんだ」
六六年から十年間、旧徳山村の小学校に勤務した鷲見順道さん(64)=大垣市久徳町=は三十、四十代を迎えた教え子らの心情を思いやると不安がぬぐえない。「働き盛りで今は気にならなくても、古里をなくした喪失感は徐々に深まる」との不安が頭をもたげている。
鷲見さんは十年間の赴任期間のうち、九年以上を山手分校で過ごした。分校の最大行事は、旧正月に取り組んだ学習発表会。子どもたちは観察学習のまとめや日本舞踊を披露した。「雪の中、見学に来るお年寄りもいた」ほど盛況だった。
「徳山の自然、山の子。すべてが好きだった」。野外活動では、四季の風情を満喫した。冬はそり、春先はスキーでカーテラ(固く締まった積雪)登山。夏はアマゴ突き、秋はウンベ(アケビ)や山芋を採った。
教師という立場を離れ住民としても地域に溶け込んだ。砂防工事や道路建設で昼間に若者がいないため、消防団にも加入した。「最初の三年は入り人。信頼関係を築き、最後の四年は親類のように地元の人と付き合った」
徳山での十年間は、「山や川の楽しさを知った何の不足もない時間」でもあった。それは子どもにとっても同じではないか。「人生のスタートで経験したことは、さまざまな形で生かされている。心のよりどころを失った寂しさはこれから出てくるだろう」
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